ラニ lani【天】
その日、遅番の仕事が終わり、アパートに戻ってしばらくすると、携帯に祖母から電話があった。
「もしもし。おばあちゃん?由季だよ。どうしたの?一周忌のこと?」私はすぐに携帯に出た。
「由季ちゃん?元気にしてるの?
そうそう、一周忌が決まってね。電話したのよ。1月15日なのよ、来年ね。もう1年経つのね..」祖母はゆっくりとした口調でそう話した。
「わかった。お休みとるね。1年は早いね..。
この頃、風邪もインフルエンザも流行っているから、おばあちゃん、気をつけてね。
じゃあ、またね。」
祖母が返事をしたのを聞いて、ゆっくりと電話を切った。
私は、受付の仕事をしているのに、世間話が苦手、もっというとできないと言ってもよいと思う。まず、自分から世間話を相手にしかけることはなく、その仕方がまだつかめない。人と話しているうちに、これが世間話?と思うことがよくあり、それに気づいてしまうと、私の胸の内はなぜかがっかりとした気分になる。もうこれは、もはや、お話ではなくなってしまった。楽しくない、と思ってしまう。でも、それを顔に出さず、淡々といつまでも付き合ってあげれる術は身につけたけれど、それは、単に仕事の延長の感覚だった。
父や祖母には、そんな気を遣わなくてよくて、私は楽だった。
父はもう、この世にはいないけれど。
再び携帯が鳴った。
岸本さんだ。
「はい、もしもし。岸本さん?どうしたの?」私は自然と優しい声になったように感じた。
「こんばんは。
あのさ、今からそっちに行っていい?なんか、君と話がしたくなったんだ。」岸本さんは真面目な声でそう言った。
「岸本さん、酔ってるの?」私は何となくそう感じて聞いてみた。
「ううん。1滴も飲んでません。どうして?」逆に聞き返されて、私は少し困った。
「何となく..
岸本さん私に【君】って言わないのに言ったから。」と少し慌てて、私は答えた。
「ごめん。本読みすぎたからかな。」と、よくわからない返事を岸本さんが言い、「じゃあ、今から行くね。30分くらいで着くから。」と言い、
「うん、待ってるね。」と私は言い、電話を切った。
クリスマスイブまであと二日、という日で、岸本さんとお付き合いを始めて丸1ヶ月が過ぎたところだった。
私たちの恋愛の速度はゆっくりとしていて、形はまだはっきりしていないような印象を自分は持っていた。
お互いに、重たい荷物を背負いながら、人生を生きた時間を持つ同士のようで、私はクリスマスなど何も思うことのない時間が人生で長かった。
でも今は、岸本さんとケーキを食べたいと思う。
気づくとインターホンが鳴った。出ると岸本さんでオートロックは解除され、玄関を開けると彼は立っていた。
願いが届いたがごとく、コンビニの袋を持ち、中にはいちごショートケーキが2つ、形よく並んでいた。
私は彼の目をみて
「今、ケーキを一緒に食べたいって思ってたの。」と伝えると、岸本さんは、
「珍しい。何かにこんなにはしゃぐなんて」と、優しさのかたまりみたいな視線を送ってきた。
「温かい紅茶入れるね。入ってくつろいでて。」
岸本さんは、いつも座る位置でやっぱりあぐらをかいて座っていた。
部屋は充分に暖めてあった。
岸本さんは、急に語り始めた。
「今日は僕の亡くなった妻のことを君に伝えたくてここに来たんだ。
妻は12年前に癌で亡くなったんだ。癌が見つかって、たった9カ月で亡くなってしまった。
最初、肺にいくつも見つかってね、その時もうリンパ腺にも転移していた。妻は35歳と、とても早くに亡くなってしまった。僕は妻より3歳上でね。友人の妹で、友人が僕に紹介してくれた。結婚は妻が30歳、僕は33歳の頃にした。お互い、結婚するタイミングが合っていたんだと思う。
彼女はとても静かなひとだった。最初は緊張したけど、しばらくすると沈黙も苦ではなくなった。
僕は彼女の声をとても好きになってしまった。だから結婚したと言っても過言じゃないよ。
彼女の声は僕の耳にやさしかった。
癌の治療は色々したけれど、何せ進行には全く歯が立たなかった。最後は骨に転移して、痛みを取り除く緩和ケアを受けながら亡くなっていった。
僕は自分の墓を持っていなかった。位牌ができて仏壇は開いた。のどの骨には霊魂が宿ると坊さんが言っていた。だから、その骨は永代供養に頼んだ。彼女の母親が生きていて、実家のお墓に分骨してほしいというので渡した。
僕は仕事があったから、妻の死が薄れるまで、耐えられたんだ。
それでも、心の一部がえぐられる感覚がしていたんだ。その闇をくぐり抜けるのに10年僕はかかった。
くぐり抜けると君が目の前にいて、なんとかしなくては、このひとを。と思ったんだ。」
私たちは話が終わってから、冷めた紅茶、ちょっと曲がったケーキを食べた。私は胸がいっぱいだった。
「話してくれてありがとう。」そう言って私は、にっといつものように笑った。
玄関先で、そんな私を彼はふわりと抱き寄せた。痛みはなかった。
そして、私たちはそれぞれの孤独へと帰って行った。
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