63 教えてくれるまで、放さぬぞ? その3
「……っ、きゃ――っ!」
何をされているのか理解した瞬間、悲鳴がほとばしる。
「りっ、りりりりり龍翔様っ!?」
驚愕のあまり、まともな言葉が出てこない。
必死で指を引き抜こうとするが、龍翔の大きな手にがっしり掴まれていて、動かすことすら、叶わない。
「なっ、ななななになさるんですか――っ!?」
問いただすが、口がふさがっている龍翔から答えは返ってこない。代わりに、舌で指先を舐められ、明珠はふたたび悲鳴を上げた。
「ひゃあぁぁぁっ!? なっ、ななななめ……っ!?」
目を伏せた龍翔の熱く湿った舌が、ゆっくりと指先を舐め上げる。
痛みなど、感じている余裕もない。恥ずかしさで頭が爆発しそうだ。
指先を誰かに舐められるなんて、母が生きていた頃、夕食の手伝いをしていて包丁で引き先を切ってしまった時以来ではないだろうか。いや、
甦りかけた記憶を、あわてて心の奥底に押し込む。
今、そんなことを思い出したら、それこそ恥ずかしさで気を失ってしまう。
龍翔の口の中は燃えるように熱くて、このまま、指が融けてしまうのではないかと、
龍翔の舌が肌を辿るたび、背中がそわりと泡立つ。変な声が出そうになって、明珠はぎゅっと唇を噛みしめた。
がっしりと掴まれた手は、まだ放してもらえそうにない。本当は立ち上がって逃げ出したいのだが、身体に力が入らない。仕方なく、長椅子に座ったままじりじりと後ろに下がろうとすると、逆に腰に手を回され、ぐいっと引き寄せられた。
「ひゃあっ!」
布地の上からとはいえ、
「り、りゅうしょ……っ」
息が上がって、うまく言葉が紡げない。
切羽詰まった明珠の声に、目を閉じていた龍翔がゆっくりとまぶたを開ける。
ようやく声が届いたとほっとしたのは、ほんの一瞬。
「っ!」
指先を辿る舌よりも熱い視線に貫かれた瞬間、熱風に喉を
「あ……っ」
明珠の指の形を確かめるように、龍翔の舌がすべる。
洩れた声は音を成していたのか、かすれた吐息だけだったのか、自分でもわからない。
指と一緒に思考まで融けてしまったかのように、頭がぼうっとする。黒曜石の瞳に宿る熱に融けて
「や……っ」
腰から背中へと撫で上げた龍翔の手のひらが
思わず声を洩らすと、龍翔のまなじりが困ったように下がった。
ゆっくりと、龍翔が明珠の人差し指を口から引き抜く。
「《癒蟲》」
同時に、喚び出された《癒蟲》が、明珠の指に融けるように消えていった。
「すまぬ。わたしの説明が足りていなかった。《氷雪蟲》は氷よりも低温でな。不用意に素手でさわれば、ひどい凍傷になることもある。今回はすぐに還したゆえ、大丈夫だと思うが……。どうだ? 痛みや違和感はないか?」
懐から取り出した手巾で指を
「まだ指が冷えているようなら、ぬるま湯を持ってこさせよう」
「だ、大丈夫です! 痛くもなんともありませんっ!」
ぼうっと龍翔のなすがままになっていた明珠は、我に返ってぶんぶんと首を横に振る。
「すみませんっ、私がうっかり手を出したせいで……っ。母さんにも《氷雪蟲》にはさわっちゃだめだって言われてたのに、すっかり忘れていて……」
しょぼんと肩を落とすと、「気にするでない」と穏やかな声で慰められた。
「……うむ。何事もなさそうだな」
拭き終わった指先をためつすがめつ観察していた龍翔がほっとしたように頷く。
「本当にすみませんでした。そ、その……」
応急処置だとわかった今でも、さきほどののことを思い出すと、かぁっとふたたび頬が熱くなる。心臓は今もばくばくとうるさいほどだ。
「お前が龍玉を握りしめたままだったからだろうな」
「え?」
不意に、龍翔がくすりと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「まるで、
「なっ、な……っ!? そんなわけありませんっ! もうっ、ご冗談はおやめくださいっ」
きっ、と睨み上げると、龍翔が楽しげに笑いながら掴んだままの指先にちゅっ、とくちづける。
「ひゃあぁっ」
一瞬で、ぼんっと顔が沸騰する。
先ほどの熱もまだ引いていないというのに、これではそのうち本当に頭から湯気が出るのではなかろうか。
「も、もう何ともないですから――っ!」
無意識のうちにすがるように握りしめていた守り袋から左手を放し、龍翔をぐいぐいと押すと、ようやく手が緩んだ。すかさず引き抜き、胸の前で両手をぎゅっと握り合わせる。
頬も指も、まるで内側から燃えているように熱い。《氷雪蟲》が必要なのはまさしく今だ。
と、まだ龍翔にちゃんと礼を言えていないのを思い出す。
明珠は固く握りしめていた両手をほどき、膝に乗せると丁寧に頭を下げた。
「あの、龍翔様。本当にありがとうございました。《氷雪蟲》の喚び出し方を教えていただいて、それに指まで治していただいて……」
深く下げた頭を、龍翔の大きな手が優しく撫でる。
「礼を言われるほどのことではない。わたしはただ、《氷雪蟲》を喚び出してみせただけだ」
「ですが、龍翔様が《氷雪蟲》の気配をお教えくださらなければ、一人では決して喚び出せなかったでしょうから……。やっぱり、ありがとうございます!」
さらに深く頭を下げると、頭を撫でていた龍翔の手が止まった。
「ふむ……」
と何やら考え込んでいるらしい声が落ちる。
「どうかなさいましたか?」
身を起こして尋ねると、「ああ、いや……」と龍翔がゆっくりと言葉を紡ぐ。
「お前が《蟲》を喚ぶのをじっくりと見るのは、蚕家で《癒蟲》を喚んで以来だと思ってな……。お前は解呪の特性ゆえ、《蟲》を喚ぶのは苦手なようだが、気配を探るのは不得手というわけでもないらしい。下位の《蟲》しか喚べぬのは、単に高位の《蟲》の気配を知らぬだけだろう。もっと多くの《蟲》の気配を覚えれば、それらも喚べるようになるだろう」
「えっ!? 本当ですか!?」
思いがけない喜びに、思わず声が弾む。
もっといろんな《蟲》を喚び出すことができれば、今よりも龍翔の役に立てるに違いない。それに……。
「落ち着け。まあ、《風乗蟲》などはかなりの《気》が必要だからな。そう簡単には喚び出せぬだろうが……」
食いつくように身を乗り出す明珠に、龍翔が苦笑する。
「《風乗蟲》なんてすごい《蟲》を喚び出そうなんて大それたことは思っていません! 私などでは、使う機会もないでしょうし。でも、《氷雪蟲》以外にも、《炎熱蟲》や《旋風蟲》も喚び出せるようになったら……。どんなにいいでしょう!」
そのさまを想像して、うっとりと呟く。
「そういえば、さまざまな《蟲》がいるというのに、なぜ《氷雪蟲》だったのだ? 確かに、これからさらに暑くなるゆえ、喚び出せたら便利だろうが……」
「だって、お野菜やお魚が腐りにくくなるじゃないですかっ!」
「……は?」
両手をぐっ! と握りしめて断言すると、龍翔が呆けた声を上げた。
龍翔の
「《氷雪蟲》が喚び出せたら、日雇いの畑仕事の報酬が現物支給の野菜でも、酒楼で余り物のお料理を多めにもらった時でも、腐らせずにとっておけるんですよっ! 夏の暑い日だって、順雪に涼しく勉強させてあげられますし……っ! すごいじゃないですかっ!」
「お姉ちゃん、涼しいよっ! すごいねっ!」と、満面の笑みを見せる順雪の幻まで浮かんで、思わず声が弾む。
明珠が《氷雪蟲》を喚べるようになったと知ったら、順雪はどれほど喜んでくれるだろう。もしかしたら、術師と名乗れるようになって、今までよりももっと稼げるようになれるかもしれない。
幸せな妄想に浸っていた明珠は、龍翔の表情がどんどん険しくなっていくのに気づかなかった。
「……つまり、お前が《氷雪蟲》を喚び出したかったのは、わたしの元を辞した後のことを考えていたからか?」
「え?」
地の底から響くような龍翔の低い声に違和感を覚えるより早く。
肩を掴まれ、明珠はとさりと長椅子に押し倒されていた。
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