59 華やかな伏魔殿 その2


「不自然?」


 龍翔達の視線を集めた初華が、こくりと頷く。


「わたくしも、瓓妃様の影響が皆無とは思っておりません。ですが、龍耀様はとうに成人されておりますし、ここ数年、娘を持つ貴族達は、龍耀様か龍誠様に娘をめあわせようと、後宮に入れておらず、蕙妃様を除いて、敵となる妃がおらぬ瓓妃様の権勢は、陰る気配がありません。今、陛下の血を引く皇子が数人、生まれたところで、瓓妃様の野望の妨げにはなりえぬでしょう」


「確かに……。初華姫様がおっしゃる通り、今、第四皇子が生まれたとしても、よほど陛下のご寵愛が深いか、大貴族の娘でもない限り、龍耀殿下に対抗するのは難しいでしょう」


 季白が初華の言葉に深く頷く。


「でも、瓓妃サマの苛烈な性格を考えると、邪魔になりそーな芽は、徹底的に摘んで踏み潰しそうな気もするっスけどね~。ってゆーか、玲泉サマの言うことが真実だとしたら、なんて瓓妃サマはあんなにぴんしゃんしてるんスか?」


 安理の放った疑問に、沈黙が落ちる。


 安理が言う通り、病がちな蕙妃と異なり、瓓妃が身体が弱いという話は、ついぞ聞いたことがない。むしろ、我が子を帝位に就けるために、精力的すぎると言っていい。


「もしかして、龍耀サマは不義の……って、そりゃないっスね。いちおー、龍耀サマも《龍》を顕現けんげんさせられますもんね。陛下の御子であることは間違いないか~」


 安理が瓓妃一派に聞かれたら、不敬罪で即刻、首をはねられそうなことを平然と口にする。

 あまりにあっけらかんとした物言いに、龍翔は思わず苦笑した。


「そうだな。龍耀殿下が陛下の血を引いていなければ、いろいろと楽だったのだろうが……。お前の言う通り、その可能性はあるまい。毎年の『昇龍の儀』で、《龍》を喚び出しているからな」


 腹違いの兄だが、龍翔は龍耀を「兄上」と呼んで敬ったことは一度もない。


 先方も、没落貴族のはらから生まれた子よとさげすんでいる龍翔に、「兄上」などと親しげに呼ばれたくはないだろう。


「ではなぜ、瓓妃様は龍耀殿下をお産みになったというのに、身体を壊されていないのでしょうか?」


 季白のもっともな疑問に、初華が眉を寄せ、考え考え口にする。


「これは、わたくしの推測に過ぎませんけれども……。龍耀様はあまり《龍》の気がお強くありませんでしょう? もしかしたら、そのために、瓓妃様のご負担が少なかったのかもしれません……」


「なるほど。それは一理ありそうっスね」

 安理がうんうんと頷く。


「聞いた噂によると、瓓妃サマはあまり陛下のご寵愛が深くなかったそうっスからね~。実家が大貴族なんで、陛下も無下にはできずにある程度は通われたそうっスけど……。ココだけの話っスけど、龍耀殿下が生まれてお喜びになったのは、瓓妃サマだけじゃなく義務を果たしてもう通わなくてもよくなった陛下もだった、とか♪」


 噂と言いつつも、安理の言ったことはかなり真実味を帯びている。


 幾人もの美姫の間を逍遥しょうようするのを好む皇帝にとっては、一人の妃に縛られるのは嫌気がさしたことだろう。


 現に、龍翔の母も、龍翔が身ごもるまでの一時期こそ、寵愛が深かったものの、身ごもって夜の務めにさわりが出るようになってからは、寵愛どころか、見向きもされなくなった。


 だが、陛下に打ち捨てられたことが、瓓妃の嫉妬を軽減し、こうして生き延びることができたのだから、何が幸いとなるかはわからない。


 同じ『毒』だとしても何度飲んだのか、どれほどの強さだったのかによっても、母体にかかる負担は異なるに違いない。


 安理の言う通り、陛下の瓓妃への寵愛が薄かったのなら、『毒』もさほどではなかっただろう。


 と、黙って話を聞いていた季白がぽつりと呟く。


「……身ごもった妃の体質、ということもあるのでしょうか……?」


「どういうことだ?」

 龍翔が水を向けると、


「いえ、初華姫様のお話をうかがって、ふと思いついたのですが……」

 と前置きしてから、季白が説明する。


「数百年の歴史を誇る龍華国の皇帝陛下に、代々、《龍》のお力が引き継がれており、まだ大貴族達が娘を後宮に入れて、外戚として権勢を振るっていることを考えますと……。今、大貴族となっている貴族達は、《龍》の気に耐えて、御子を生むことができた家……。つまり、《龍》の気にある程度の耐性を持っている血筋が、自然に淘汰された結果ではないかと……。そう考えることもできるのではないでしょうか?」


「……つまり、貴族達は己の娘の命が危うくなると知ったうえで、己の権力を強めるために娘を後宮に差し出していると?」


 出した声が怒りを宿して、無意識に低く、険しくなる。

 季白があわてた様子でかぶりを振った。


「これはあくまでも、わたくしの仮説でございます。龍翔様や初華姫様でさえ、真実を知らぬのです。果たして、貴族のうち、どれほどの者が《龍》の気が『毒』となることを知っているのか……。わたくしには、さほど多いとは思えませぬ。ただ……」


 季白が険しい顔のまま、言を継ぐ。


「玲泉様が『毒』のことをご存じでいらっしゃるということは、こう大臣も知っていらっしゃるということでしょう。蛟家は、建国史にも名が出てくるほどの歴史ある名家。皇后も何人も輩出しております。蛟家のように、皇帝に近しく、後宮の事情をよく知る貴族なら……。《龍》の気が、御子を宿す者にとって、『毒』になることを知っているやもしれません。――が、今、問題とするべきことはそこではなく!」


 急に季白が語気を強める。


「《龍》の気が女人に与える影響がどれほどのものかということです! 皇帝がおとなうたびに、妃が急死していては、そもそも後宮が成り立ちません! ということは、子を孕ませさえしなければ、床入り自体には何ら問題がないのではありませんかっ!?」


 くわっ、と目を見開いた季白が、卓に乗り出さんばかりの勢いで主張する。


「ちょっ、季白サン! 思惑ぶっちゃけすぎ……っ!」


 つっこんだ安理がぶっひゃっひゃっひゃっひゃ、と爆笑する。

 真剣そのものの表情で言い募る季白に、龍翔は思わず額を抑えて嘆息した。


「……季白。そのことについては、今朝、はっきりと言っただろう? 玲泉の話があろうとなかろうと……。わたしは、まだつぼみのままの花を無理やり手折る気は、まったくない、と」


 心の底から真摯に告げる。


 玲泉によって、大きな釘を刺されたのは確かだが、わざわざ釘を刺されずとも、今すぐに明珠との関係を変える気は、もとからない。


 ……《龍》の気が『毒』だと知った今、迂闊うかつに明珠に手を出せなくなったのは確かだが。


「お兄様は明珠を大切にしていらっしゃるのですね。お兄様にそれほど想っていただけるなんて、明珠は果報者ですわね」


 初華がどこか羨ましそうな口調で告げる。


「何を言う。初華、おぬしのことも、心から大切に思っておるぞ」


 即座に返した龍翔の言葉に、初華が驚いたように目を丸くする。かと思うと、花が開くようにあでやかに微笑んだ。


「もう、お兄様は……。わたくしを喜ばせるのがお上手すぎますわ」


 悪戯いらずらっぽい笑みをひらめかせた初華が、軽く龍翔をにらむ。


「皆をとりこになさるのは、お兄様の得難い資質でございますけれど……。妹とはいえ、他の女人にそのように甘い言葉を囁いていては、明珠にねられてしまいますわよ?」


「明珠は、そのような嫉妬などせぬと思うが……」


 弟思いの明珠は、龍翔が初華を大切に思う気持ちをよく汲んでくれている。王都を出航した日にも、龍翔が気づいていなかった初華の寂しさを思いやってくれたほどだ。

 何より、あの天真爛漫な明珠が嫉妬している姿が、まったく想像できない。


「むしろ、嫉妬できるほどの機微があの小娘に備わってくれたらと願いますよ!」

 吐き捨てるような声を上げたのは季白だ。


「初華姫様! この季白、たってのお願いごとがございます」


 やにわに初華に向き直った季白が、卓に額がつきそうなほど深く頭を下げた。

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