45 なぜ、これほどまでに心に突き立つのか その2
なぜ、玲泉が発する言葉のひとつひとつは、これほど胸に突き刺さるのだろう。
玲泉が明珠について話すたび、心が波立ち、居ても立っても居られぬ気持ちに襲われる。
叶うなら、今すぐ玲泉の口を縫いつけ、視線の届かぬところへ明珠を
龍翔の望みが、はっきりとした形をとる前に。
「龍翔様。よろしいですか?」
季白の声とともに、扉が叩かれる。
「何だ?」
入室の許可を与えると、季白が入ってくるなり、深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。ただいま、全力で賊の捜索にあたっておりますが、現在のところ、行方を掴めておりません。ただ、総督が今後の方針の確認も兼ねて、お話する時間をいただきたいと求めておられます。すぐに賊を見つけ、捕らえることが叶わなければ、人相書きなどで市中を探すこととなります。そのためにも、可能ならば明順から賊の特徴を聞き取りたいと……」
「し、周康さんはっ!? 周康さんの怪我はの具合はどうなんですか!?」
誰よりも早く、明珠が噛みつくように季白に問う。
言葉を遮られた季白が不快そうに明珠を
仕方がないと言いたげに、季白が小さく吐息した。
「周康殿の傷は、命に係わるほどではありません。が、剣に塗られていた毒はかなり強いものだったようで……。賊の風体を簡単に伝えた後、意識を失ってしまいました。今は、下船して治療を行っています。あの様子では、快癒までは日数が必要でしょう。船旅を続けるのは難しいかと」
「命懸けで賊と相対したのだ。ゆっくりと傷を癒す時間が必要だろう。全快するまで淡閲で世話をしてもらえるよう、その点についても総督に依頼しよう。だが……」
龍翔は隣に座る明珠を見やった。
周康の怪我が命に係わるものではないと聞いた時には一瞬、表情を緩めたものの、毒の件を聞いてからは、さらに顔色が悪くなっている。今にも倒れるのではないかと心配なほどだ。
当然だ。もしかしたら周康ではなく、明珠自身が斬られていたのかもしれないのだから。
龍翔は玲泉に視線を移す。
「玲泉殿。おぬしも賊の顔は見ておるな? 明順はまだ襲われた衝撃が抜け切らぬようだ。少し、休ませてやりたい。すまぬが、代わりに総督に賊について知っていることを伝えてくれぬか?」
案に相違して、あっさりと玲泉が頷く。
「承知いたしました。とはいえ、賊は顔の下半分を布で覆っていた上に、わたしは一合剣を交わしただけですが。ただ……。ためらいもなく剣を振るった様子からして、術師としての腕だけではなく、剣の腕もかなりあるかと」
「明順を庇っていたとはいえ、宮廷術師の一員である周康が傷を負わされたほどだからな……。やはり、捕らえるのは難しいやもしれん」
ちらりと窓の外を見る。
紫電が走っていた黒雲からは、今や大粒の雨が降り注いでいる。窓に当たる雨粒は大きく、外の景色は紗をかけたようにけぶっている。敵にとっては恵みの雨だろう。
夕刻が近づいているので、これからさらに視界は悪くなる。淡閲のような大きな街に潜むたった一人の賊を見つけるのは、至難の業だ。
「では、玲泉様。わたくしと総督の元へまいりましょう」
優雅に椅子から立ち上がった初華に、龍翔は目をむいた。
「初華!? 何を言う!? 狙われたのはお前やもしれぬというのに……っ! 大人しく部屋で――」
「あら、お兄様。季白と玲泉様がご一緒ですのよ? 船室にいるより、お二人と一緒のほうが安全なのは確実でございましょう? それに、もしかしたら、逃げたふりをしてまだ賊が船内に潜んでいる可能性もございます。もし、わたくしの姿を見て襲ってきたら、今度こそ、返り討ちにしてやりますわ。ね、玲泉様」
「初華っ!?」
「初華姫様っ!?」
龍翔と季白が険しい声を上げたのを綺麗に無視して、初華がにっこりと玲泉に笑いかける。
「玲泉様はわたくしの指し添え人ですもの。たとえふれることは叶わずとも、必ずやわたくしを守ってくださいますでしょう? もちろん、わたくしも足手まといになる気はさらさらございませんわ」
勝気そうに、つんと鼻を上げた初華に、玲泉がこらえきれぬとばかりに吹き出す。
「指し添え人のことを持ち出されては、断れませんね。かしこまりました。初華姫様の仰せのままに」
立ち上がった玲泉が、芝居がかった仕草で一礼する。
初華は《龍》の力こそ顕現しなかったものの、術師のしての腕前は並の宮廷術師以上だ。だが、賊は剣も扱うという。性格はともかく、文武両道な玲泉が警護してくれるというのならありがたい。
「というわけで、お兄様。総督のことはわたくしと玲泉様にお任せくださいませ。明順のことは、お兄様にお任せいたししますわ」
龍翔が抗弁するより早く、初華が眉をひそめ、責めるように兄を見る。
「まさか、今の状態の明順を、誰かに任せるだなんて、おっしゃいませんわよね?」
「それは、無論だか……」
血の気の引いた顔で、恐怖に耐えるように身を強張らせている明順を、他の誰かに任せることなどできない。もちろん、一人で放っておくなど論外だ。
正直、初華が総督と打ち合わせをしてくれるとのなら、助かることこの上ない。だが同時に、指し添え人の責務を放棄しているのではないかと罪悪感を覚える。
歯切れの悪い龍翔に、初華がさらに眉を寄せた。
「さぞ怖い思いをしたことでしょう。明順が一番頼りにしているのはお兄様なのですから……。どうか、優しくしてあげてくださいませ」
心の底から明珠を気遣う初華の様子に、龍翔は心を決めて頷く。ここで龍翔が迷っていては、初華も明珠が気になって動きづらかろう。
「初華。心遣いに礼を言う」
次いで、玲泉を見やり、頭を下げる。
「玲泉殿。すまぬが初華を頼む。季白、張宇が戻ってきたら、玲泉殿に代わって初華の警護につくよう伝えてくれ」
龍翔の言葉に、季白がかしこまりましたと首肯する。
玲泉が口の端に薄く笑みをのせた。
「初華姫様、直々のご指名とあらば、仕方がございません。今は、明順は龍翔殿下に託すことにいたしましょう。せいぜい……。主人として明順を慰めてやってください」
明らかに
季白が切れ長の目を細めて玲泉を睨みつけたが、主の龍翔が何も言わないため、沈黙を守る。
二人の視線を
初華に付き従って、季白と玲泉が部屋を出ていく。
そっと扉が閉められ。
「明――」
「もっ、申し訳ございませんでしたっ!」
龍翔が名を呼ばうより早く、明珠が転がり落ちるように椅子から下りて土下座した。
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