40 少し離れるだけでも心配でたまりません!? その1


「ふわぁ~っ」


 王都を出発した日と同じ、銀糸で龍の刺繍ししゅうが施された立派な着物をまとう龍翔の姿に、明珠は思わず感嘆の声を上げた。


 今日はあいにくの曇天で、正午を過ぎたというのに、蝋燭ろうそくを灯していない船室の中は、やや薄暗い。


 が、光り輝くように麗しい龍翔がいるだけで、まぶしく感じるほどだ。

 決して、小窓から差し込む陽光が銀糸や縫い留められた宝石に反射してきらめいているからというだけではあるまい。


 そんな龍翔の両隣には、これまた立派な礼装に身を包んだ季白と張宇が控えている。


「明順チャン、口、口! またぽかーんと開いてるよ♪」


 こちらは普段と変わらぬ着物のままの安理が、きししと笑いながら指摘する。

 明珠ははっとして慌てて口を閉じた。


「また?」


 龍翔が不思議そうに首をかしげる。

 できれば、そこには気づかないでほしかった。


 明珠が口ごもっていると、安理が悪戯いらずらっぽく笑って暴露する。


「明順チャンってば、王都を出立する日も、魂が抜けたような顔で龍翔サマに見惚みほれてたんスよ~♪ 口をぱかーんと開けて、またたきも忘れて♪ オレが声をかけるまで、何の反応もしなかったくらいなんスから♪」


「あ、安理さんっ!?」


 あけすけに暴露され、思わず顔が熱くなる。

 本人を前にばらされるなんて、恥ずかしいことこの上ない。


「ちっ、違うんですよ!? 初華姫様が、まるで天から降りてこられた仙女と見まごうほどお綺麗だったので……っ! 玲泉様もご立派でしたし、御三方がそろうと、ほんと、まばゆいくらいきらびやかで……って! どうなさったんですか!?」


 あわあわと説明するほど、なぜか龍翔の秀麗な面輪がどんどん不機嫌そうになってゆく。


「玲泉に見惚れるなど……」


 顔をしかめて告げた龍翔が一歩踏み出す。その迫力に押されるように、明珠は思わず退いた。


「初華はともかく……。間違っても、玲泉の見てくれなどに惑わされてはならんぞ。ろくな目に遭わんからな! よいなっ!?」


「は、はい……!」

 こくこくと何度も頷くと、「ならばよい」と龍翔がようやく表情を緩める。


「間もなく、淡閲たんえつの総督様と会見なさるのですよね?」


 少し前に、銅鑼どらが二回鳴った音を聞いている。


 すでに、淡閲の港についているのだろう。荷の積み下ろしが始まっているのか、どことなく船内がさわがしいような気がする。とはいえ、貴人の船室であるここまでは、人夫達の声など聞こえてこないが。


 港に停泊しているものの、あいにく今日は天気が曇りで風も強いため、船の揺れは航行している時とさほど変わらない。むしろ、いつもより揺れているほどだ。


 明珠の問いかけに答えたのは龍翔ではなく季白だ。


「そうです。淡閲は龍華国において、北西地方の乾晶けんしょうと並ぶ、華揺河かようがわ沿い最大の交易都市。とはいえ、王都からは遠いため、皇族が淡閲まで御幸する機会はなかなかありません。今回の機会に、龍翔様の素晴らしさを淡閲の民にもあまねく知らしめねば!」


 ぐっ! と拳を握りしめて熱弁する季白は、龍翔本人以上に気合いが入っている。


「というわけで。いいですか! わたしと張宇は龍翔様のお供で甲板へ出ますが、あなたは初華姫様の船室から一歩も出ないように! もし一歩でも出たり、初華姫様にご迷惑をかけたら、減給しますからね!」


「は、はいぃっ!」


 刃のような視線と声音に、明珠はぷるぷる震えながら何度も頷く。

 減給なんてされたら一大事だ。


 玲泉との茶会から帰ってきた二日前、明珠を初華の船室で預かるという話を聞いた季白は、最初、大反対した。


「龍翔様は、明順が初華姫様に迷惑をかけずに大人しくしていられると本当にお思いですか!?」


 と。が、玲泉が明珠に興味津々であること、玲泉本人は龍翔や初華とともに甲板に出るものの、少年従者達のほとんどは船内に残ることを考慮した結果、周康一人に任せるのは不安が残るということで、初華の申し出を受けることになったのだ。


「季白。それほど厳しく言いつけずともよいだろう。緊張のあまり、かえって粗相をしてしまうのではないか?」


 血の気の引いた顔でこくこく頷く明珠を気の毒に思ったのか、龍翔が穏やかに口をはさむ。


「明順。会見はおそらく二刻(約四時間)ほどかかるだろう。終わったらすぐに初華の船室へ迎えに行く。いい子にして、周康と待っているのだぞ?」


 心配そうに明珠の顔をのぞきこむ様子は、まるで幼子を一人残して遠出する親のようだ。


「龍翔殿下。お嬢様はわたくしが何としてもお守りいたします」


 周康がかしこまって頭を下げる。明珠も大きく頷いた。


「ご心配なさらなくても大丈夫ですよ! 周康さんも一緒ですし、初華姫の船室ではちゃんと大人しくしております!」


 これから大事な公務が控えている主を安心させようと、勢い込んで答えると、なぜか難しい表情で沈黙された。


「いや、もちろん、お前の言葉を信用せぬわけではないのだが……」


 歯切れの悪い龍翔の言葉に同意するように、全員が微妙な表情で沈黙する。


「……何でしょうね、この妙な不安感は」


 張宇がぼそりと呟く。

 きっ! と切れ長の目を吊り上げたのは季白だ。


「重ねて言っておきますが、初華姫様の船室では大人しくしているのですよ!? 初華姫様や萄芭とうは殿にご迷惑をおかけしないようにじっとして……。むしろ、置物になった気で息をひそめていなさいっ!」


「は、はいっ! 緊張で固まっているでしょうから、もとからそのつもりです!」


 ぴしりと背筋を伸ばして答えると、季白が厳しい顔つきのまま頷く。


「ええ。ぜひそうしていなさい。くれぐれも、初華姫様の寛大さに甘えて、従者としての領分を超えぬように! あなたが迂闊うかつなことをすれば、迷惑をこうむるのは龍翔様なのですからね!」


「はいっ、承知しております!」


 明珠のせいで龍翔に迷惑をかけるなど、論外だ。

 気合いを込めて答えるが、季白の不機嫌さは治まらない。


「まったく! 先日の茶会では、あなたがすっとぼけたことを抜かしたせいで、玲泉様の従者達から冷ややかなまなざしを投げつけられ……! 宮中に勤めて数年も経たぬ若造ごときにあなどられるなど、屈辱極まりません!」


 二日前の屈辱を思い出したのか、季白がぎりぎりと奥歯を噛みしめる。


「ご、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでしたっ」


 鬼上司の怒りように、明珠はびくびく震えながら、身体を二つに折るようにして頭を深く下げる。庇うように間に割って入ったのは龍翔だ。


「季白。そう明順を責めるな。すでに初華も無理を言ったと詫びているのだ。お前もその時には何も言わなかっただろう? それに、明順はよく努めてくれているではないか」


 龍翔の言葉に、季白が苦虫をみ潰したような顔になる。


「明順の「努める」方向性につきましては、数刻ほど膝詰めで確認したいところでございますが……」


「ひぃっ!」


 鬼上司の膝詰め説教なんて怖すぎる。明珠は思わずびくりと身体を震わせた。

 季白が不満を隠さぬ様子で吐息する。


「今は、そのような時間もないゆえ、後日にいたします。周康殿! 決して明順から目を離さぬよう、くれぐれもお願いしますよ!」


「重々承知しております」

 睨むように鋭いまなざしの季白に告げられた周康が、表情を引き締めて頷く。


「周康さん……。本当にお身体は大丈夫なんですか?」


 船酔いでずっと吐いて寝込んでいたせいだろう。旅の前より、明らかにせた周康が心配で、明珠は思わず周康を見上げた。

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