32 断りきれないお誘いです!? その2

 

 明珠が季白、安理とともに龍翔のお供として向かったのは、初華の船室だった。


 『花降り婚』の主役である初華には、船の中で最も立派な船室が割り当てられている。


 足元が揺れてさえいなければ、とても船の中とは思えない立派な部屋では、すでに初華と玲泉が、それぞれの供を背後に控えさせて卓についていた。


「お兄様、来てくださって嬉しいですわ」


 招いた側の初華姫がわざわざ立ち上がって歩み寄り、龍翔を迎える。玲泉も立ち上がって近づいてくると、優雅な所作で一礼した。


 と、初華が龍翔からおつきの明珠に視線を移し、にこりと微笑む。


「明順。昨日は気遣ってくれて、ありがとう」

「な、何のことでございましょうか……?」


 わけがわからずきょとんとすると、初華がころころと喉を震わせた。


「あなたがお兄様に言ってくれたのでしょう? わたくしが寂しがっているかもしれないと。優しいのね」


「と、とんでもないことでございます! 私はただ、思ったことを龍翔様にお伝えしただけですので……っ。初華姫様の元へ行かれたのは、龍翔様ご自身のご意思でございます!」


 ふるふると首を横に振って恐縮する。


 あでやかな初華の笑顔がまぶしすぎて、くらくらしそうだ。

 舞い上がって、頬が熱くなっているのが自分でもわかる。


「おや、初華姫も明順のことをご存じだったのですか。これは、耳がお早い」


 意外そうな声を上げたのは玲泉だ。

 初華が玲泉を振り返ってにっこりと微笑む。


「目ざといのは玲泉様だけではございませんのよ? わたくし、可愛い明順のことを気に入りましたの。ですから玲泉様。万が一、明順を泣かせるようなことをなさったら、わたくしも承知いたしませんわよ?」


 軽く睨むように、すらりと背の高い玲泉を見上げた初華に、玲泉は心外そうに目を円くする。

 と、すぐに、とりなすように柔らかな笑みを浮かべた。


「とんでもない誤解です。わたしは明順を泣かせるつもりなどございませんよ? 可愛らしいものを愛でたいだけです。それに、というのならば、なかせているのは龍翔様の方でございましょう?」


 玲泉が思わせぶりな視線を龍翔に送る。

 安理が「ぶっ!」と吹き出しかけ、あわてて押し殺す変な音が聞こえた。


 龍翔が形良い眉を不機嫌そうにひそめる。


「事実に反する事柄を口にするのはやめよ。わたしが大切な従者を泣かせるような暴君だと?」


 龍翔の苛立いらだちをはらんだ低い声音に背中を押されるように、明珠は玲泉の身分も忘れ、思わず反論する。


「そうです! 龍翔様はとってもお優しいご主人様です!」


 尊敬する主人を誤解されて、黙ってなどいられない。龍翔ほど優しい主人などいないというのに。


 憤然と告げると、玲泉がぱちくりと目をまたたいた。かと思うと、小さく吹き出す。


「……なるほど。よくよく可愛がっておいでらしい」


 きっ、と切れ長の目を怒らせたのは季白だ。


「明順! あなたのような身分で、玲泉様に口答えをするなど、なんと恐れ多いことをっ! 玲泉様、申し訳ございませぬ」


 季白が見事な所作で玲泉に謝罪する。

 龍翔に心酔している季白が、主を不当におとしめられて怒るどころか、玲泉に詫びるなど、信じられない事態だ。


(季白さん、怒りのあまり、冷静な判断力を失ったんじゃ……?)


 明珠が恐怖におののいていると、


「かような不躾ぶしつけ者で初華様、玲泉様のお目をけがすわけにはまいりませぬ。王城に勤めに入ったばかりの田舎者ゆえ、龍翔様の名誉のためにも、未熟者はわたくしがしっかり指導いたすまで、このように華やかな場に出すのは控えさせていただきとうございます」


 今にも明珠を引っ立てて退出しそうな勢いの季白に、明珠はようやく季白の真意に気づく。


 「明順」をできる限り人目にふれさせたくない季白としては、叱責にかこつけて、一刻も早く明珠をこの場から下がらせたいらしい。それには明珠も大賛成だ。


(この後に待っている季白さんのお説教は怖いけど……っ! でも、この場にとどまっていたら、緊張でどうにかなっちゃいそう……っ!)


 だが、季白が明珠を下がらせようとするより早く。


「さすが、龍翔殿下の片翼である季白殿。従者の一人一人まで厳しく指導しているようだね。しかし、わたしも初華姫も、まだ宮中の作法に不慣れな少年をとがめるほど、狭量ではないよ」


 「そうでございましょう?」と玲泉に水を向けられた初華が、こくりと頷く。


「もちろんですわ。誰だって最初は不慣れなですもの。ましてや、お兄様を敬愛しているがゆえの明順の発言でしょう? 微笑ましいと思いこそすれ、咎めるなどありえませんわ。季白、そんなに厳しく明順を叱らないであげて?」


 初華に優しく微笑んで頼まれては、さしもの季白も一瞬、黙り込む。


 だが、すぐに、きっ! と強い光を切れ長の目に宿らせた。


「初華姫のお優しさには感じ入るばかりでございます。ですが、甘やかしては、明順本人のためになりません! ここは厳しくしつけねばっ!」


「では、わたしに預けてみるかい?」


 楽しげに口をはさんだのは玲泉だ。


「龍翔殿下の従者は、明順をのぞけば、大人ばかりでしょう? 手本となるべき者が身近にいて、切磋琢磨せっさたくました方が、明順も早く学べるのでは?」


 さも親切そうな提案に、明珠は壁際に控える玲泉の従者達を見た。


 玲泉の言う通り、玲泉の従者達は皆、少年と呼べる年頃の若い者ばかりだ。

 下は十四、五くらい、上は二十歳を越してはいないだろう。玲泉の言うとおり、明珠とは同年代だ。


 明珠の実際の年齢は十七歳だが、「明順」としての年齢は十四歳ということになっている。少女である明珠には声変わりは不可能なので、仕方がない。


 それにしても、と明珠は感嘆の思いで玲泉の少年従者達を見やる。


 どの少年も、まるで女の子かと思うように愛らしく、品がよい顔立ちだ。


 明珠が知っている一番愛らしい少年――少年姿の龍翔には及ばないものの、本当は少女である明珠よりよりも、何十倍も可愛らしい。

 ちなみに、最愛の弟、順雪は、明珠の中で燦然さんぜんと首位に輝く特別枠なので、そもそも比べようがない。


(やっぱり、高貴な方々ってすごい……っ! ご自身も麗しくてきらびやかだけれど、従者でさえ、みんな見目麗しい……)


 初華の侍女達だって、初華より年上で年代はまちまちだが、皆、整った顔立ちだ。まとう衣の色合いも品よく統一されている。


(うううっ、なんだか、すごくいたたまれない……)


 自分一人だけが場違いなところにまぎれ込んでしまったという申し訳なさに、消え入りたい気持ちになる。


 玲泉の少年従者達が、険に満ちた視線を明珠に注いでいるのも、不出来な従者に呆れているのだろう。


 自分のせいで、主の龍翔まで軽んじられたらどうしようと、泣きたいような気持になる。


「おや、どうしだんたい? そんな哀しげな顔をして……」


 不意に、玲泉が一歩踏み出し、龍翔の後ろに控える明珠に手を伸ばす。


 明珠が避けようと動くより早く。

 ぱしり。と、龍翔が玲泉の手を払い落とした。


「玲泉殿。心遣いは感謝するが、わたしは従者の躾を他人任せにする気はない。わたしの従者のことは、わたしに任せてもらおう」


「そうですわ、玲泉様! 子兎をむざむざ狼のあぎとの前に差し出すような真似をするはすがありませんでしょう?」


 呆気あっけにとられたように龍翔を見つめていた初華が、我に返ったように大きく頷く。


「明順を泣かせたら、わたくしが許しませんわよ?」

 大きな目を怒らせて、睨むように見上げた初華に、玲泉が苦笑する。


「狼とは、ずいぶんな言われようですね。泣かせなど――」


 明珠の耳には、玲泉の言葉は最後まで入らなかった。


「どうした?」


 後ろに控える明珠を振り返った龍翔が、眉をしかめる。

 かと思うと、玲泉の視線を遮るように、明珠の正面に立った龍翔が、明珠の頬に手を伸ばしていた。

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