9 仕込まれたのは、何ですか?
「――季白。お前、何を企んでいる?」
かたりと
蚕家の一室で、張宇は季白、安理、周康の四人で豪華な夕食に舌鼓を打っていた。龍翔と明珠は、明珠と一緒に食事をして、親睦を深めたいという遼淵のわがままで、別室で食べているらしい。
「何のことです?」
優雅に茶器を傾けた季白が、表情を変えずに聞き返す。が、その程度で
「嘘をつくな。何か企んでいるだろう? 正直に話せ」
まなざしに力をこめると、季白の隣に座る周康が、
が、季白の表情は平坦なままだ。代わりとばかりに、張宇の隣の安理が、明るい声を上げる。
「張宇サン、どーしたんスか~? 食後のお菓子なら、ちゃぁんと、たっぷり用意してるっスよ~?」
「安理、黙っていろ。どうせお前も、一枚噛んでいるんだろう?」
見もせず断言すると、安理が
「えーっ、張宇サンったらひどいっス~」
と返してきた。
「安心しろ。季白が口を割らなかったら、次はお前を問い詰めてやる」
「ヤだな~。それはご勘弁願いたいっス~。ってゆーか、そもそも隠し事なんてしてないっスよ? いったい何を根拠に言うんスか~?」
「安理の言う通りです。わたしは何も――」
「さっき」
張宇は季白の言葉を問答無用でぶった切る。
「そこの炒め物を食べて、顔をしかめていただろう、
偽りは許さぬと、真っ直ぐに季白を見つめて、張宇は問う。
「お前がそんな間違いを犯すなんて、いったい、何に心を囚われているんだ?」
まるで口の中に椎茸を突っ込まれたように、季白が渋面になる。
切れ長の目を伏せ、諦めたように一つ吐息し。
「張宇。わたしの話を最後まで聞いてほしいのですが……」
「そう言う時点で、龍翔様に叩っ斬られても仕方ないような内容だな?」
ふと、張宇は背筋がざわつくような予感を覚える。
この場にいない二人の姿が脳裏をよぎった瞬間。
「やっほ~♪ いや~、明日の朝が楽しみだねっ♪ ホントは今すぐ戻って観察したいとこだけど……。せっかくうまくいきそうなのを、水の泡にするワケにはいかないからねっ♪」
やたらと上機嫌な遼淵が、扉を開けて入ってくる。
「遼淵サマ……。よりによって今……」
安理が額を押さえて小さく呟く。
ずかずかと入ってきた遼淵は、安理に気づくとにぱっ、と笑顔を見せた。
「えーと、安理クン、だっけ? いや~、ちゃんと明珠に仕込んでくれたみたいだねっ♪ 上出来、上出来♪」
「……仕込んだ?」
得も言われぬ不穏な気配を感じ取り、張宇は腰の剣の柄に右手をかけて、椅子から立ち上がる。
「あちゃー」と額を押さえたまま呻いていた安理が、張宇が立ちあがったのを見て、あわてて張宇を振り返る。
「ちょっ⁉ 張宇サン、落ち着いてっ! オレはただ――」
「ただ?」
柄にかけた拳に力をこめ、続きを促す。
安理は立ち上がると、盾にするように素早く椅子の後ろに回り込んだ。
不穏な気配に、季白と周康も椅子を引き、いつでも立ち上がれるように身構える。
安理があからさまに張宇から視線をそらしたまま、ぼそぼそと答えた。
「オレはただ、お風呂上がりの明珠チャンの髪を結ってあげただけっスよ~。やっぱり女のコは可愛く着飾らないとねっ♪ ただ、そのついでに、喉が渇いてるだろうと、果実水を持っていってあげただけで……」
「そうそう、び――」
「わーっ! 遼淵サマ、バラさないでっ! 口つぐんでっ‼」
にこにこと口を挟んだ遼淵に、安理が珍しく本気で焦った声を出す。
「び? 何だそれは?」
安理を睨みつけるまなざしをさらに鋭くすると、左右に視線をさまよわせていた安理が、諦めたように張宇を上目遣いでみた。
「そのぉー。飲んだら頭がふわーっとして、キモチ良くなっちゃうヤツっていうか……。その、大丈夫! お相手は龍翔サマだし、とっときの台詞も教えといたし! きっと大事に……」
「え、アレ、けっこう強い
「びや……っ⁉」
遼淵の暴露を頭が理解した途端、張宇は扉へ駆け寄ろうとした。
素早く動いた安理が、張宇の前に立ちふさがる。
「どけっ!」
怒りを隠さず怒鳴ると、安理が眉を下げて困り顔になる。
「いや~、オレだって張宇サンの前になんて、立ちふさがりたくないんスけどね。これにはふかぁーい事情が……」
「お前の
明珠に――あの純真無垢な少女に、何も教えず媚薬を仕込むなど。
怒りのあまり、視界が暗く、狭くなる。
龍翔がどれほど明珠を大切にしているか、そばで見ていて知らぬはずがなかろうに。
「季白っ‼ いったい何を考えているっ⁉」
今回の主犯だろう季白に、斬りつけるように問う。
「お前なら、たやすく想像できるだろう⁉ もし明珠をその手で傷つければ、龍翔様がどれほど己を責められるか――っ⁉」
「それでも」
立ち上がった季白が、切れ長の目に、鋼の忠誠心をのぞかせて宣言する。
「だとえ、明日わたしが龍翔様に斬られようとも、王都に戻る前に、禁呪は解くべきなのです!」
「俺は龍翔様のお心と、明珠の貞操を踏みにじってまで為すことが、正しいことだとは思わない!」
叫びざま、動く。この四人全員を相手取ってもかまわぬ覚悟で。
「《ば、縛蟲》!」
周康が震え声で《縛蟲》を放つ。
術師ではない張宇は、《視蟲》がなければ蟲の姿は見えない。
だが、張宇の動きを止めようと放たれたのなら。
腰に
不可視のものを斬り裂いた手応え。
と、周康と同時に遼淵も動いていた。
「邪魔されると困るんだよねぇ。おいで、《縛蟲》」
突如、膨れ上がる不可視の気配。
縛蟲に弾き飛ばされた卓の上の皿などが、けたたましい音を立てる。
気配を頼りに、数匹ずつまとめて斬り払い。
その合間を縫って、安理が投げつけた短剣を、刃で弾く。瞬間。
ばふり、と羽がはためく気配。
まずいと息を止めたときにはすでに、
《眠蟲》の鱗粉だと考えるより早く、己の左腕を剣で傷つけようと試みる。痛みで眠気を吹き飛ばそうと。
だが。
「悪いね、張宇サン。オレ、今回は遼淵サマと季白サンについてるんスよ」
右腕を、安理に掴まれる。
一瞬、動きが止まった身体に縛蟲が絡みつき。
指一本動かせないまま、張宇は床にうつぶせに倒れこむ。
「遼淵サマ……。張宇サンを怒らせるのはやめてくださいっスよ~。もー、肝が冷えたじゃないっスか……」
ほっとしたように、安理が大きく息をつく。
「しっかし、遼淵サマってば、えげつないっスねぇ。媚薬だけじゃなく、《媚蟲》の鱗粉まで仕込むなんて……」
「えーっ、だって、愛しの君には薬は効かない。むしろ、見破られるだけだからやめておけって言ったのはキミ達だろう? ……あー、やっぱり見たいなぁ」
「お控えください、遼淵様っ! 今回の目的は、龍翔様の禁呪を解くことです!」
「そうっスよ~。龍翔サマは気配に
遠のく意識の中で、安理達の話し声が耳に届く。
(龍翔様、明珠……っ!)
身命を賭して守ると誓った敬愛する主君と、妹のように可愛い少女の無事を祈りながら。
張宇の意識は、深い眠りへと落ち込んだ。
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