1 鬼上司からの厳命です⁉ その3


「すみません。龍翔様。まだお休みのところを起こしてしまいましたか?」


 龍翔が内扉をくぐって隣室へ行くと、張宇ちょううに申し訳なさそうに謝られた。龍翔は鷹揚おうようにかぶりを振る。


「いや、もう起きていたので、気にするな」


「それでしたら、よいのですが……」

 張宇が龍翔の着替えを手伝う。


 乾晶けんしょうへ赴く時は、お忍びの旅だったが、王都への帰路は第二皇子としての旅だ。人前では必ず青年姿でいなければならない。


 とはいえ、馬車で移動するため、素材こそ絹だが、特に華美でもない動きやすい服装だ。


 元々、華美な服は好きではない。動きやすいのが一番だ、

 というか、服というのなら。


「……夜着を見るのが当たり前になっているのは、いかがなものか……」


 苦く呟き、嘆息すると、張宇が「どうかなさいましたか?」と視線を上げる。


「いや……」

 と、龍翔はごまかすようにかぶりを振った。


 夜、眠るとき以外、青年姿で過ごすようになってからというもの、朝、お互いに夜着のままでくちづけを交わすことが常態化している。


 青年姿に戻ってから着替えた方が明らかに効率的だからだが……。


 男の龍翔はどうでもよいが、お仕着せの男物とはいえ、年頃の娘である明珠の夜着を、龍翔が頻繁に見ていいものなのだろうか。


 明珠に「破廉恥はれんちです!」などと言われて軽蔑されるなどもっての他なので、青年姿に戻った時に、夜着がはだけないように、少年姿で寝る時の着付けには気をつけている。


 明珠からの抗議があれば、すぐに改めるつもりなのだが……。明珠からは、一向に要望も反発もない。

 かといって、龍翔から言うのも、やぶへびな気がする。


 蚕家にいた頃、風呂上がりに薄手の夜着で廊下を行き来していたことを思い出し、龍翔は明珠の無防備さに頭を抱えたい気持ちになる。


 今、明珠が着ているのは、龍翔に命じられた張宇が見繕みつくろってきた、厚手で仕立てもしっかりした男物の夜着なのだが……。


 寝乱れて微妙に緩んだ襟元だとか、すねが見えそうな裾だとか、色々と目の毒だ。


 龍翔を信頼してくれるのはこの上なく嬉しいが、もう少しだけ、自分が年頃の娘だという自覚を持ってほしい。


 でなければ、そのうちうっかり――。


「龍翔様。明順はそろそろ《気》のやりとりに慣れてきておりますか?」


 季白の問いかけに、上衣に腕を通しながら、龍翔は思わず顔をしかめた、

「王都までは数日ある。焦る必要はあるまい」


ではございません! 「数日しか残っていない」でございます!」


 季白が切れ長の目を怒らせる。


「まったくあの小娘は……っ! 禁呪を解くことの重要性をなんと心得て……っ!」


「そう言うな。明順なりによく頑張っている」

 明珠への不満を並べ立てようとする季白を制する。


「過度に無理をさせるわけにはいくまい。暇を取りたいと言われてはかなわん」


 明珠が実家に戻りたいのではないかと誤解した途端に感じた衝撃を思い返しつつ、龍翔は吐息する。

 あんな想いを味わうなんて、御免こうむる。


「えーっ、無理って、どぉんなコトをさせるつもりなんスか~?」


 にやにやとものすごく楽しそうに笑いながら口をはさんできたのは、龍翔が来た時から顔が緩んでいる安理あんりだ。


 季白は、

「暇など、このわたくしが認めるわけがございません! 龍翔様にお仕えできる僥倖ぎょうこうをなんと心得ているのか‼」

 と、額に青筋を浮かべて憤慨ふんがいしている。


「最近、朝こちらに来られるまで、やけに時間がかかってるっスよね~♪ もしかして、朝から明珠チャンと……」


 安理が何かを探るように、きしし、と下品に笑う。


「帳宇」

「はっ、ただちに」


 龍翔が一声呼ばうと、帳宇が即座に、腰にいた剣の柄に手をかける。

 さやからよく手入れされた刃のきらめきが、わずかにのぞき。


「ちょっ⁉ 軽~い冗談じゃないっスか! 朝から物騒なのはご遠慮っス!」


 顔を青くした安理が、素早く張宇から距離をとる。


「ならば、口をつつしめ。余計なことばかり言っていると、そのうち、口を引き裂くぞ?」


 龍翔は冷ややかに睨みつけたが、安理はこたえた様子もない。


「えーっ、でも気になるっスよねぇ?」


 相変わらずにやにや笑いながら安理が盾にしたのは、四人のやりとりを呆気にとられて眺めている周康しゅうこうだ。


 筆頭宮廷術師である蚕家の当主・遼淵りょうえんの高弟である周康とは、お互いに何度も王城で顔を合わせて見知ってはいるものの、親しくしたことはない。

 おそらく、安理の龍翔を主とも思わぬ口ぶりに呆れているのだろう。


「周康サンだって、龍翔サマが明順チャンと朝っぱらからナニをしているのか、気になるっスよねぇ~?」


 急に話題を振られた周康が、目を白黒させる。


 傍若無人な安理が、新たに一行に加わった周康を、新しい玩具とばかりにからかうのは、ここ十日ほどの間に、すっかり見慣れた光景だ。


 いつものように、周康が「そんな話題、わたしに振らないでください!」と安理を邪険に振り払うかと思ったのだが。


「殿下……」

 予想に反して、周康が思いつめた表情で龍翔を見つめる。


「無礼であることは重々承知しております。ですが、一つだけお教えください」


 周康が緊張に満ちた固い声と表情で、問いかける。


「殿下は、その……。明珠お嬢様にちょうをお与えに――」

「そんなわけがないだろう⁉」


 周康の問いを半ばで叩き斬る声がとがっているのが、自分でもわかった。


「わたしが、何も知らぬ従者に手を出すような主人だと⁉」


 龍翔の怒気に、周康がおびえたように顔を強張らせる。


「い、いえっ! とんでもございません! 誤解をなさったのでしたら、心よりおび申し上げます! ただ、その……」


 よほど気にかかっていたことなのか、周康がなおも食い下がる。


「龍翔殿下が、明珠お嬢様を、大切になさっておられるご様子でしたので……」


「当り前だ。唯一の解呪の手がかりを、大切にせぬ理由がどこにある?」

 不機嫌に告げると、周康が、


「うがった見方をいたしまして、まことに申し訳ございません」

 とうやうやしく頭を垂れる。


 安理は周康の後ろで、ぶっひゃっひゃっひゃっひゃ、と高笑いしている。


「いや……」

 周康の殊勝な様子に、龍翔は声音を柔らかくする。


「明順に限らず、わたしは、わたしに仕えてくれる者を、大切にしたいと考えている。むろん、周康。お前も例外ではない」


「ありがたき幸せに存じます」

 周康が拱手きょうしゅの礼を取る。


「ところで周康殿。「明珠」ではありません。「明順」です。周康殿ならば、人前で間違えることはないかと思いますが、くれぐれもお気をつけを。どこで誰が聞いているか、わかりませんから」


 渋面で注意したのは季白だ。

 周康は、「承知しております。十分に気をつけますので」と素直に頷く。


 明珠の素性をごまかすため、また明珠自身を危険な目に遭わさぬために、明珠は「明順」という名で、男装して、侍女ではなく官吏見習いとして龍翔に仕えている。

 王都に戻っても、それを変える気はない。


 むしろ、敵ばかりの王城でこそ、明珠の存在は秘さねばならぬ。


 今まで、侍女としてすら、年頃の娘をそばに置いたことなどないのだ。

 そんな龍翔が、突然、明珠を王城の宮に連れ帰れば、どんな憶測おくそくを呼ぶことか。


 決して、明珠が注目されるようなことがあってはならない。龍翔の足を引っ張るために、天真爛漫てんしんらんまんな明珠を毒牙にかけようとする者は、山といるだろう。


 そんな薄汚れた手が明珠に伸びるかもしれぬと思うだけで、喉がひりつくような苛立いらだちに駆られる。


(まずは、無事に王都に戻れるかだが……)


 龍翔に禁呪をかけたのみならず、乾晶で龍翔を襲った術師は、深手を負わせたものの、その後、ようとして行方が知れない。


 全く減る様子の無い心配事に、龍翔は心中でそっと溜息をついた。


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