呪われた龍にくちづけを 第三幕 ~急にせまられるなんて聞いてません!~

綾束 乙@4/25書籍2冊同時発売!

1 鬼上司からの厳命です⁉ その1


※ ※ ※

 こちらは、「呪われた龍にくちづけを 第一幕 ~特別手当の内容がこんなコトなんて聞いてません!~」

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054884543861

および、「呪われた龍にくちづけを 第二幕 ~お仕着せが男装なんて聞いてません!~」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885652282

 の続きとなります。


 前二作をお読みいただいてからの方が、楽しんでいただけるかと思いますので、よろしければ、未読の方は先に前作をお読みくださませ~。

※ ※ ※



 自分が守らねば、と思っていた。

 母・麗珠れいしゅが病で亡くなった時、明珠めいじゅは十二歳、父親違いの弟の順雪じゅんせつはまだ五歳で……。


 義父の寒節かんせつは、麗珠が病に倒れた時から、心配のあまり気が狂ったようになり、麗珠のこと以外、何も手につかなくなっていた。

 必然的に、家のことは明珠がすることになり、子ども心に、明珠は自分が順雪を守らねばと決意したものだ。


 だが、たかが十二歳の少女に、満足に家の切り盛りができるわけがなく……。だから、母が亡くなった前後の頃の記憶は、ところどころ曖昧あいまいだ。


 ただ、すがるように、いつもぎゅっと握ってきた順雪の小さく温かな手だけが、鮮明に記憶にきついている。


 きっと、順雪がいてくれたから、母を亡くした哀しみを乗り越えられた。

 順雪がいなかったら、きっと明珠はたった一人で哀しみに押しつぶされていただろう。


 可愛くて大切な、最愛の弟。たとえ、今は順雪の手が明珠と同じくらい大きくなっていても、明珠にとって順雪が守るべき存在であり、愛しい弟であることは変わらない。


 今までそばを離れることなんてなかったせいか、奉公に出てからはいっそう、毎日元気に過ごしているだろうか、ちゃんとご飯を食べているだろうか、学問所でしっかり勉強しているだろうかと、心配は尽きない。


「順雪……」


 夢うつつに、大切な弟の名を呼ばう。


 夢でもいいから、会えたらいいのに。

 切なくて、胸の奥がきゅぅ、と痛む。


「……順、雪……」


 潤んだ声で名を呟くと、きゅ、と温かな指先に手を掴まれた。

 明珠よりの少しだけ小さい手。気遣うような優しい指先に。


「順雪っ!」


 明珠は思わず掴まれた手を思いっきり引っ張った。

 驚いた声を上げながら倒れ込んできたせた身体を、ぎゅっと抱きしめる。


「め、明珠っ⁉」

 あわてにあわてた声と、ふわりと届くこうの薫り。


 順雪は、「明珠」なんて名前で呼ばない。そもそも、声が違う。


 我に返って目を開けた明珠の眼前にあったのは、女の子と見まごうほど、愛らしい少年の面輪おもわだった。


龍翔りゅうしょう様っ⁉」

「め、明珠、その……」


 ものすごく困り果てた顔で、少年姿の龍翔が、明珠の腕の中で身を固くしている。


「す、すみませんっ!」


 明珠はあわててばっ、と腕をほどいた。

 龍翔がぎこちない動作で身を離し、寝台の隣に立つ。


 夜明け近い薄明りの中で、少年らしいすべらかな曲線を描く頬は、うっすらと紅い。


 まるで、花の精のように愛らしい……。と寝ぼけ頭でぼんやりと思い、気づく。


 龍翔も明珠も、二人とも夜着だ。そして、部屋の中は夜明けの光で、うっすらと明るい。

 ということは。


「すっ、すみませんっ! 寝過ごしましたか⁉」

 布団をがばりと跳ねのけ、寝台から下りようとすると、


「違う! まだ大丈夫だ!」

 と、あわてた様子の龍翔に押し留められた。


「その、すまん。勝手に衝立ついたてのこちら側へ来て……」


 明珠の方を見ないまま、龍翔が気まずそうに謝る。


 龍翔と毎夜、同じ部屋で寝ているが、常に部屋は衝立で区切られており、よほどのことがない限り、龍翔が明珠の側に入ってくることはない。

 従者の明珠などに気を遣ってくれるのが、いかにも真面目で優しい龍翔らしい。


 愛らしい顔をひそめ、龍翔がぎこちなく口を開く。


「その……。ひどくうなされている声が聞こえたのでな……。心配で、いても立ってもいられず……」


「えっ、うなされていましたか?」


 実家の……最愛の弟、順雪の夢を見ていたのは、うっすらと覚えている。


 大切な弟をぎゅっ、と抱きしめて幸せだったことも。というか、それは明珠の勘違いで、本当が龍翔だったのだが。


「す、すみません。急に龍翔様に抱きついたりして……」


「いいや。謝るな。そもそも、勝手に入ったわたしが悪かったのだし、寝ぼけていたのなら、仕方がない」


 早口にいい、かぶりを振った龍翔が、

「というか」


 不意に、真っ直ぐなまなざしを明珠に向ける。


「最近、うなされていることが多いだろう? 何かあったのか?」


 龍翔の黒曜石の瞳には、明珠への気遣いがあふれている。


「そ、その……」


 心の奥まで見透かすような視線から逃れるようにうつむくと、小さな手が、膝の上で握りしめた明珠の拳に伸びてきた。


 温かな手が、明珠の手の甲にそっとふれる。


「お前の憂い顔を見るだけで。不安と心配で、心が千々に乱れて苦しくなる。頼むから、教えてくれ。……強行軍で、疲れが出ているのか?」


「ち、違います!」


 眉を寄せて問うた龍翔に、ぶんぶんとかぶりを振る。


 西北地方の要の街、乾晶けんしょうで、騒動の後始末を終え、王都へ戻るために旅立ってから、約十日。


 朝から日暮れまで馬車で揺られつつ、車内では鬼上司・季白きはくの官吏見習いの講義が続いているので、疲労がたまっていないといえば、嘘になる。


 だが、逆にいえば、日中は余計なことを考える暇などないので、かえって幸いと言えた。


 眠る前など、一人になった時に、明珠の心に押し寄せるものは。


「……その……。実家が近くなってきたので、里心がついてしまって……」


 うつむいたまま、ぽつりと呟くと、明珠の手にふれていた龍翔の指先が、震えた。


 ぎゅっ、と強く手を握られる。


「――それは、わたしに仕えるのをやめて、実家に帰りたいということか?」


 割れた硝子がらすのように、固く、ひび割れた声。


 いつもと違い過ぎる声音に、明珠は弾かれたように顔を上げた。

 龍翔と目が合った途端、息を飲む。


 凶暴な感情を宿す黒曜石の瞳に、貫かれたような気がして。


 明珠の指先を掴んだ龍翔の手に、痛いほどの力がこもっている。

 痩せた少年の身体が、ずいと距離を詰める。


 まるで、みつきそうな表情の、少年龍翔の整った面輪が眼前に迫り――、



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