第18話 ノーフェイス社会
今日は流行りのギンガムチェックのマスクを着けて家を出た。
20××年、世界には圧倒的致死率の感染症が流行り、全ての人間は顔が全て隠れるフルフェイスのマスクを被る、それが常識になっていた。
紫外線から目を守るため、ウイルスから呼吸器をガードするため、覆面レスラーのような外からは全く顔が見えないマスクを皆が被っている。フルフェイスマスクはもう着けるのが圧倒的常識であり、家の外であろうが中であろうが皆着けていた。
そうなってくるともうマスクは下着のようなものであり、家族の前ですら着けるのが当たり前になっていた。
もう現代人は人と会話をする時に相手の表情を見ることは出来ない。マスクの向こうを想像して会話の音色から相手の気持ちを推測する事しかできない。食事も全て皆、「食事室」という個室で取るようになっていた。
しかし人類は思ったよりもそのノーフェイス社会に適応した。考えてみれば電話もネットコミュニケーションも相手の顔が見えずにやってきたのだ。それが実社会に適応されただけに過ぎない。今ではニュースを読むテレビに出てる人間、雑誌のモデルなど全ての見られる人間の顔はマスクを被った人間だけだ。
当初はノーフェイス社会への批判は強かった。しかしウイルスの猛威がその批判の声を消していった。そしてマスクを着けない、いわゆる裸の人達は街から消えていった。
そしてノーフェイス社会の副次的効果として、一つの歴史的変化が起きた。
それは外見で評価をされることが全くなくなったことだ。外見の美醜で人間が評価されることはない。それは信じられないくらい平等な社会の到来であった。
「あー吐き気がする……」
重田エイセイは都内の大学に通う大学生だ。今日は人生で一番とも言える緊張を身に纏っていた。半年前から付き合い出した女性、鶴岡ニナと初めての「顔合わせ」をするのである。
「顔合わせ」とは文字通りマスクを取って素顔をお互いに見せ合う行為である。家族間ですらマスクを取るのは相当気まずい行為であるので、家族以外で素顔を見せ合うというのはほぼないことである。しかし同時にそれは結婚前のカップルの儀式として不可欠の行為でもある。
重田エイセイはノーフェイスカフェへと向かっていた。ノーフェイスカフェとは「顔合わせ」のための一つ一つ二人用の個室になっている完全滅菌処理カフェである。カップルがそこに行きマスクを外し食事するのは紛れもない大人の行為だった。
エイセイが携帯で連絡を取ると鶴岡ニナはもうすでに店の中に入っているようだった。
店の前に着いた。緊張の面持ちでエイセイはノーフェイスカフェの重たいお洒落なドアを開けた。ドアに着いたベルがチリンチリンと鳴る。そうすると直ぐにマスクを着けた店員がやって来た。「ご予約のお客様でしょうか?」
「はい、予約した重田です」重田エイセイの声は緊張で多少上ずっていた。
「お待ちしておりました。お連れ様はお着きになっております」店員は重田エイセイとは違い落ち着いた様子だった。
店員に導かれエイセイは薄暗い間接照明の店内を進む。他の客はいるのかどうか。個室の防音はしっかりしているのか会話などは聞こえてこない。廊下では店内放送のジャズの音が控えめに流れていた。
そしてとうとう部屋の前に着いた。「こちらでございます。ごゆっくりどうぞ」落ち着いた店員は去っていった。
意を決してエイセイは個室のドアを開ける。ドアの向こうにはカーテンがあり、直ぐには中は見えない。このスペースにワゴンを置くスペースがあり。食事などは店員がここに持ってくるのだろう。
「あのー……俺だけど」エイセイは不安げに声をかけた。
「ああいるよ……」鶴岡ニナの声が返って来た。彼女も緊張しているように聞こえた。
エイセイがカーテンを開けるとこじんまりした個室の中にテーブルと二つの椅子があった。そしてマスク姿のニナがいた。
「早かったね」
「うん、まあね……」
二人の会話はぎこちない。
エイセイは適当に飲み物を選び、運ばれて来るのを待った。
「ニナは経験あるの?」
「何が?」
「いや、こういうところだよ」
「私は初めてだよ」
「そうなんだ」その言葉が本当かどうかは分からない。
しかしエイセイもよくよく考えた上でここに来たのだ。もう覚悟はできている。
それでも大きな不安はあった。自分の顔をニナは受け入れてくれるのか。正直自分の顔に自信はない。だからエイセイは今のノーフェイス社会に非常に感謝していた。外見で人間性が判断されない、それはなんて素敵なことなんだろう。もう皆がマスクを取って外を歩く社会には戻ることはないだろう。しかしだからこそいっそう「顔合わせ」は重要な行為である。
店員が持って来たドリンクは既に二人ともほぼ飲み終えていた。二人の間には沈黙が居座っていた。
エイセイは勇気を出した。「もういっそのこと同時にバッっとマスクを取らない?」
「……いいよ」ニナは答えた。
「……そうか、よーしいくぞー。3、2、1、0!」
二人はマスクを外した。
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帰り道を歩く重田エイセイ。
結果から言うとエイセイにとってニナは想像していたような顔ではなかった。しかしエイセイは喜びに溢れていた。
マスクを取った鶴岡ニナは、エイセイと同じ、額に目がある三つ目だったからだ。
了
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