月下の戦い(前編)

 食堂で昼食をとろうと席を立つと、康に呼び止められた。


「なあ、どうせなら、これからは四人で食わねえか? 折角同じ学校なわけだしよ」


 康がにかっと笑いながら、廊下を指さす。

見れば、後ろ側の引き戸から弥里と芽亜梨が顔を覗かせていた。

考えることは一緒、ということらしい。

反対する理由などどこにもなく、雄介は頷いた。

 テーブルと椅子に埋め尽くされた食堂は、やはり賑わっていた。

発券機に並び、学食の食券を購入してカウンターに行く。

いつも雄介は食べやすいし値段が安いから、という理由でうどんばかり食べていた。

雄介の指がうどんのパネルに伸びるのを見て、康がそれを掴む。


「待て待て雄介、おまえは十代の消費カロリーをなめてやがる。

そんなんで持つわけねえだろ」


「いや、いつもこれだけど」


「おまえ、身長は? 体重何キロだ」


「173センチで、53キロ」


 後ろの康たちが絶句する。関係のない周りの生徒まで面食らっていた。

馬鹿野郎、と康がなじってきた。


「おまえ、うどん封印な。肉食え、肉。つか一日三食食ってるのかよ」


「いや、お昼だけ」


 今度は芽亜梨が詰め寄ってきた。

信じられないものを見たと言わんばかりに芽亜梨が指を突き付けてくる。


「親は何も言わないんですかっ!?」


「外で食べてきたって言ってごまかしてたんだけど」


 弥里がため息を吐き、「あなたは大馬鹿ね」と目を伏せた。

白い指が伸びてきて、チキンカツ定食のパネルを押す。はらりと食券が吐き出され、それを弥里が取る。

並んでるんだし早くしなさい、と食券を押し付けられた。

 確かに、中学生になってから食欲は一気に落ちた。

食事を選ぶときも大抵は値段と食べやすさしか考えていなかったし、

夕食を食べるのも億劫だったので、胃の中が空っぽでもそのまま寝てしまっていた。

頬がこけたりはしなかったものの、体力はだいぶ落ちていった。

もしかしたら、黒百合で大きな影を出しているとすぐに息切れを起こすのは、

それが少なからず影響しているのかもしれない。

 三人に叱られしょんぼりする雄介を連れた一行は、それぞれの食事が乗ったプレートを受け取った後、

なんとか二人ずつ向かい合って座れる席を確保し、雄介と弥里、芽亜梨と康という位置で座った。


「このままじゃだめね。私たちでどうにかするわよ」


 弥里を筆頭として、三人は謎の連帯感を発揮していた。

こくこくと頷く康と芽亜梨。それを見ていると、「おまえはとりあえず食え」と康に小突かれた。


「いいか雄介。人間の体はうどんでできてるんじゃねえ。

タンパク質、ミネラル、ビタミン、カルシウム、食物繊維、塩分、アミノ酸、とにかく色々必要なんだ。

体重制限で減量中ならまだしもよ、それはちょっとやべえって」


「意外、康先輩がインテリっぽいこと言ってる」


「インテリゴリラ?」


「二人とも覚えてやがれ、そのうちすげえことしてやるからな」


 康が指をわきわき蠢かせ、二人の胸元に交互にいかがわしい視線を送る。

芽亜梨が両腕で胸を隠す。耳たぶには微かに赤色が差していた。

対する弥里は冷静そのもので、ふっと鼻で康を笑う。


「いいのかしら? こっちにはボールブレイカーがいるのよ」


「人に変なあだ名つけるのやめてくださいっ」


 雄介は箸を止め、たまらず吹き出した。目尻に涙が浮かんでいるのが分かる。

三人とも変なことばかり言うものだから、食事どころではない。

笑う雄介を見て、三人も食事の手を止めた。


「こうやって誰かとふざけたり笑ったりするの、久しぶりかもしれないです」


「俺も、馬鹿な事言って笑いあったりするなんて何年ぶりだって話だよ」


「そうね。人生の中で一番ふざけてるかもしれないわ」


 三人とも、穏やかな表情で懐かしいと口にした。

きっとこの三人も、雄介と同じように、当たり前を捨てて生きていたのだろう。

当たり前に誰かと話して、笑って。手を伸ばせばすぐにでも手に入るような、小さな喜び。

そういった喜びや安らぎに背を向けて、生きてきた。

これからは、どうなのだろうか。

 そこまで考えて、雄介は腹部に鋭い痛みが走るのを感じた。

ぷるぷる震えながら机に突っ伏す雄介の背中を弥里がさすってくる。


「どうしたの?」


「腹筋、つった」


 弥里の鉄仮面が崩れ、ぷっと吹き出す。


===


 新しく作った掲示板、『いじめ・暴力被害匿名相談掲示板ネモフィラ』には新しい投稿もなく、

雄介たちはその日は普通にそれぞれの家へと帰った。

 戻ってきた雄介を見て、母がそれとなくを装って「友達とはどう?」と聞いてくる。


「三人いるよ。女子の先輩と、男子のクラスメイトと、後輩。

結構、一緒にいると落ち着くっていうか」


「そう」


 母は上機嫌そうに頷き、台所に足を向け、止まった。


「お夕飯は?」


「食べるよ」


 そう答えた途端に、母は満面の笑顔で台所に向かっていった。

雄介の両親は、とても穏やかな人だった。夫婦喧嘩をしても一時間も持たないような二人だった。

共働きをしており、母は午後三時までスーパーマーケットで働き、

父はシステムエンジニアとして企業勤めをしていた。

勉強も運動もそれなりでいい、健康に普通に育ってくれればいい、というのは父の口癖だった。

父は昔、幼いころから英才教育を受けていたらしく、

その反動なのだろうと母が語ったことがある。母もその教育方針に賛成していたようだ。

 小学生のころから、周囲の子供の家族の愚痴を聞くたび、雄介はこの両親でよかったと思った。

普通というのはとても幸福なことなのだと、幼いながらに雄介は理解していた。

 しばらくすると居間に呼ばれた。

テーブルには三人分のハンバーグにサラダと、お椀に盛られた大盛りの白米があった。

更にだめ押しと言わんばかりに、中央にはトマトソースのパスタが大皿に盛られている。


「母さん、俺太っちゃうよ」


「いいのいいの、今日はお父さんも早めに帰ってくるって話だから」


 こんなことは何年ぶりだろう、と母が小躍りしながら椅子に座る。

もしかしなくても、自分は両親に多大な心配をかけていたのかもしれない。

雄介は母に謝罪するように目を閉じ、手を合わせた。


===


 ベッドに腰掛けながら、スマートフォンの画面を見つめる。

新しい通知が来ていた。グループチャットで会話が更新されている。


「ニュース見たか?」


 チャットルームで、康が皆に尋ねていた。


「見ました。市川先生、書類送検されたって。退院後に逮捕だとか」


「いい仕事をしたわね、芽亜梨」


 ぴこぴことスマホが鳴り、文字が並んでいく。

あの後、病院送りにされた市川は睾丸が二つとも破裂していたらしい。

同じ男として恐怖を覚えざるを得ないが、同情はする気はなかった。

命があるだけましというものだろう。


「あとは、あれです。うちの学校の近くにある占い屋さんなんですけど」


「あー、あれか。どうなんだろな」


 それについては雄介も少し知っていた。ネットで流れていたのだ。

以前から、高見丘高校から十分ほど歩いたところにある通りに、その店はあった。

「占い店AKIRA」という名前のその店は、五月の始めころから急激に繁盛し始めたというのだ。

今では予約が半年先になるほどらしい。


「五月の始め、ね。時期が被ってると思わない?

私たちが花の夢を見たのも、五月の始めだったけど」


 弥里が指摘し、雄介も占い店を怪しんだ。

どうせ掲示板にも何の投稿もないのだ。やれることは少しでもやっておきたかった。

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