月桂樹(前半)

「アニマだとかアニムスだとか、わけわかめだなあ」


 康がパイプ椅子の上で腕を組みながら唸っていた。

眼帯のアニマ、弟切草を得た康と、弥里と雄介は昼休みにカウンセリングルームに集まっていた。

雄介と弥里はそれぞれのアニマを呼び出し、康に見せる。


「えっと、その鎧と指輪も名前があんのか?」


「うん。俺のは黒百合。弥里さんのは彼岸花」


「そうかあ、俺のは弟切草とかいう名前らしいんだが、弟切草ってなんだ?」


「黄色い花よ。たった一日だけ咲いて枯れる花だって聞いたことあるわ」


 そう言って、弥里は鞄から分厚いハードカバーの本を取り出した。

だめだ、活字アレルギーなんだとのたまう康をよそに、弥里はページをめくった。

表紙を見ると、花言葉大全とある。


「黒百合は百合の仲間ね。黒い百合というわけではない、とのことよ。

この花にまつわる伝説もあるみたい。悲しいお姫様の話ね。

花言葉は恋と呪い、復讐」


 恋はよく分からないが、呪いと復讐という単語は腑に落ちた。

過去の風景が脳裏のスクリーンに映し出される。

袋叩きにされている礼二。醜い同級生たち。それを遠くから見つめる自分。


「彼岸花は毒の花。花言葉は悲しい思い出、諦め、想うのはあなただけ。

よく墓地に植えられていることから、弔いの花、墓守の花とも言われているわね。

弟切草はかつて魔よけの花だったそうよ。花言葉は秘密、恨み」


 それを聞いた康は顔を歪めた。


「秘密に恨み、ね。確かに俺にぴったりだ。ていうかよ、暗い花ばっかじゃねえか」


「仕方ないじゃない。蝶が言っていたわ。この花は私たちの罪だって」


 康が黙り込み、雄介は弥里を見た。

罪を象徴する花。自分が望む償いを形にしてくれるアニマ。

助けられなかった礼二。助けなかった過去の自分。礼二を殺した奴ら。

雄介は思考の糸を断ち切り、黒百合を消した。


「で、だよ。アニムスっていうのはなんなんだろ」


「蝶も言っていたわね。被害者意識を具現化させるって」


 それがいまいち分からなかった。被害者意識を具現化させたら、なぜ腕が鉄になったり、

おもちゃが凶器に変わったり、体液が猛毒になったりするのだろう。

疑問に思っていると、康が苦虫をかみつぶしたような表情で口を開いた。


「後から聞いたんだ。屋上で暴れたあの女子、氷川峰子っていうらしいんだけどよ。

どうも他校の男子に無理やり服剥がされて、色々やられたって話だ」


 それを聞き、雄介と弥里も眉間にしわを寄せる。聞いていて気持ちのいいことではない。

だが、同時に雄介は思いついた。


「だから、体液が毒に?」


「かもしれねえな。あんなになっちまったら、もう二度とあいつに乱暴できる奴なんていねえだろうし。

その他校の男子も体中が壊死しちまって死んじまったらしい」


「罰、なのかしら。その人に害を及ぼした人間への罰。それがアニムスなのかも」


「よくわかんねえよ」


 康がついに匙を投げた。対する弥里は大体理解したという表情で頷いている。

雄介は、なんとかある程度の理解は得られた。

 とにかく、アニムス使いは危険だ。基本的に誰かを害することを目的としているようにしか思えない。

そこで、雄介は自分の右腕を見た。黒百合は本当にアニマなのか?

誰かを害するためだけの力など、まるでアニムスのようではないか。

頭を振る。それ以上考えてはいけない。


===


三人で下校していると、弥里が「そういえばね」と切り出した。


「どうも、一年の担任が女子にちょっかいを出してるって噂があるの」


「誰だよ、そいつ」


「科学の市川先生。一年B組の。ほら、最近眼鏡かけだした男の先生よ。

あの人に反抗的な態度をとって呼び出された女子生徒が、軒並み不登校になってるらしいわ」


 最近眼鏡をかけだした、という言葉に、雄介と康はお互いの顔を見やった。


「アニムスかもしれないわ」


 弥里が頷く。雄介は反射的に自分の右腕を掴んだ。

一体なんだというのだ。自分たちがあの夢を見た同時期から、

アニムスも一緒になって出てきたような気がしてならない。

アニマとアニムス。罪の力と罰の力。


「少し、調べてみない? 市川先生が本当にアニムス使いだったら、

被害者が訴えたところで信憑性は薄い」


「まあ、通報したところでって感じだしな。俺は乗るぜ。雄介は?」


 そこで「雄介もやるよな」と言わずに確認をとってくるところに、

雄介は康の気遣いを感じた。もちろん、答えは一つだ。


「やるさ。弥里さんも康も、それ自体が武器になるアニマじゃないだろ。

ああ、でも康は平気か。殴ってれば終わるんじゃないか?」


「んだと、人をゴリラみてえに言うんじゃねえ」


 憤慨する康を見て、雄介と弥里は二人して目を細めた。

本当は痛いのも苦しいのも怖いのも嫌だ。アニマなど今すぐにでも捨てたい。

 輪ゴム鉄砲で肩や足に風穴を開けられた時はぼろぼろ泣いたし、失禁寸前だった。

毒の唾を吐かれた時は恐怖で卒倒するかと思った。あんな死に方はごめんだ。

 けれど、それよりも恐ろしいことがある。苦痛や恐怖より恐ろしいものがある。

誰かが苦しんでいて、そこに手を伸ばせるのに伸ばさないなんていうのは、二度としたくなかった。


===


 次の日、下校時間が大きく過ぎ空になった二年C組に、雄介たちは集まった。

弥里はいつも通りだが、康はいつになくやる気だ。鼻息荒く、市川はどこだと目をぎらつかせている。

 効率を求めて、とりあえず二手に分かれて行動することにした。雄介一人と、弥里と康の二人組だ。

二人とも直接相手を倒せるアニマではないが、康はどうも格闘技か何かをやっていたらしい。

昨日の康の動きを見て雄介は確信していた。種別は分からないが、あれは素人の動きではない。

それなら一人でもある程度戦える自分は単独で、戦えない弥里は康と一緒に行動すべきだと思った。

それに、康にはブレーキ役が欲しい。弥里にも、だ。二人とも無茶が過ぎる節がある。


「よし、俺らは職員室を見てくる。雄介は?」


「一年B組の教室に行ってくるよ」


 また後でな、と手を振り歩き出す康とそれについていく弥里を見送りながら、雄介は階段へ向かった。

一年B組の教室もまた、空っぽだった。夕陽に照らされた教室は、中々に風情があった。

ドラマのワンシーンでありがちな風景だ。ここで男女が告白したりされたりしている場面をよく見る。

 教室に入り、真っ先に教壇を漁る。

何か市川の私物、あわよくば証拠になるものがあるかと思ったが、空だった。


「外れか。市川先生、まだ学校にいるのかな」


 ため息をつき、教室を後にしようと踵を返すと、がたりと物音がした。

教室の後方からだ。自分のものではない。

雄介は物音の方向を睨みつけるが、何もなかった。だが、確かに音はした。

それもそこそこ重いもの、椅子か机に何かがぶつかった音だ。

 雄介は廊下に誰もいないことを確認した後で、黒百合を呼び寄せる。

右腕を物音の方向に向け、装甲を展開させる。形成する腕はなるべく細く長くした。

音がしたあたりに腕を伸ばしてみる。何もない、と思った時だった。

今度は小さな悲鳴が聞こえた。若い女性の声だ。

 次の瞬間、教室の隅に女子生徒が現れた。

尻餅を突きながら、雄介の黒百合を幽霊でも見たかのような眼差しで見ている。

雄介はその女子生徒に見覚えがあった。あの特徴的な金髪を忘れるはずもない。

相川芽亜梨だ。制服こそ普通だが、左足が黒く染まっていた。

いや、違う。あれはロングブーツか何かを履いているのだ。黒地に金色の文様が走っている。


「君は一体」


 問い詰めようと教壇から降りた途端に、芽亜梨は立ち上がったかと思うと姿を消した。

文字通り、一瞬で姿が消えたのだ。影すらない。音もなく、ふっとこの世から消えてしまった。

瞬間移動でもしたのか? 雄介は眩暈を覚える。自分の黒百合も、彼岸花も弟切草も非現実的だったが、

まさか瞬間移動をしだす人間がいるとは。

 徒に動けば危険だと判断し、しばらく雄介は黒百合の装甲を展開していつでも影を出せるようにしていたが、

何も起きなかった。どうやら、本当にいなくなってしまったらしい。

 黒百合を消し、廊下に出る。市川は帰ってしまったのだろうか。


「あの」


 耳元で囁き声が聞こえる。

飛び上がりそうになり、悲鳴を上げながら振り返るが、何もいない。


「ごめんなさい、あの、わたし」


 足音がする。まるでたった今別次元の扉から出てきたかのように、芽亜梨が姿を現した。


「わたしも、今から市川先生に会いに行くんです」

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