彼岸花(前半)
次の日の朝、雄介は真っ赤に目を腫らしながらも登校した。
帰宅した後、一体何があったのかと問い詰めてくる両親を躱し、制服のままベッドに潜り込んだ。
右腕を覆っていた白い鎧はいつの間にか消えていた。
授業が終わり、下校のチャイムが鳴る。各々が帰る準備をする中、教室がざわめきだした。
正確には、帰り際にはいつもざわつくのだが、それとはまたちがった趣があった。
教室の後方にある出口を見ると、女子生徒が立っている。
友達を迎えに来たのかな、と最初は思うが、違うことがすぐ分かる。
額や手、とにかく制服から露出しているありとあらゆる箇所が包帯やガーゼに覆われ、
見るも無残な姿になっていた。そして、その傷の位置と切れ長の目に、雄介は覚えがあった。
素知らぬ顔をして通り過ぎようとすると、「話があるの。ついてきて」と言われてしまった。
観念して、「噂になりたくないから、先に歩いて。ついてくから」とうなずく。
女子生徒を先に歩かせながらついていくと、渡り廊下を通って特別教室棟に移っていた。
実験室、調理実習室、視聴覚室ともろもろ揃っている場所だ。
「入って」
引き戸を開けられ、中に入れと促される。
カウンセリングルームと書かれていた。
「別にカウンセラーなんていないわ。何年も前に雇うのやめちゃったみたい。
埃まみれになってたから、掃除させてもらってるの。そのついでに、一人で落ち着きたいときに使ってる」
雄介は一年以上この学校にいるが、カウンセリングルームなんてものがあること自体初耳だった。
大方、国かPTAあたりからうるさく言われて導入したものの、形骸化したのだろう。
中に入ると、かわいらしい絵が飾られた空間の中央にテーブルとパイプ椅子が四つ置いてあった。
それ以外には何もない。時計すら掛けられていなかった。
「立ち話も疲れるでしょう」
女子生徒が先に椅子に座るので、雄介もつられるように椅子に腰を下ろす。
「それで、何の用」
「その前に、自己紹介させて。こういうのは段取りが大事なんだから」
「はあ」
よくわからない。とりあえず、大人しく聞いておこう。
「私は東堂弥里。三年A組よ。部活は帰宅部」
そう聞いて、雄介は気まずい思いをした。まさか先輩だったとは。
改めて弥里を見据える。肩のあたりで切りそろえられた黒髪は艶があり、よく手入れされているのが分かった。
切れ長の目からは冷たい印象を受ける。テレビでこんな顔をした女優がいた気がした。
無表情なせいか暗く見えるが、普通にしていたら相応の美人なのではないだろうか。
「あなたも夢を見たの? 花畑があって、蝶々に話しかけられて」
「うん……じゃなくて、はい。真っ黒い花が一杯で」
「黒? 私は赤かったけど」
そう言って弥里は自分の左手をテーブルの上に置いた。
昨日見た赤い指輪はない。
「来て、彼岸花」
彼女がそう呟くと、左手の人差し指に赤い指輪が現れた。
材質は何かの宝石のように見える。よく見ると何か刻まれているが、読めなかった。
「彼岸花?」
「そう。それが私が夢の中で摘んだ花の名前。初めて出てきたときに、色々言われた。
アニマだとか、アニムスだとか。あなたの、あの白い鎧はなんていうの?」
「多分、黒百合。けど、あれは現実じゃ」
「名前を呼んで、お願いしてみて。来て、力を貸してって」
弥里に促されるがままに、黒百合の名を口にしてみる。
あれが夢でないのなら、もう一度。それに応えるようにして、右腕が白い鎧に包まれた。
「不思議。黒百合なんて名前なのに、真っ白なのね」
「うん。そこは俺も思う。出すものが真っ黒だからじゃない?」
結局、夢ではなかったのか。落胆したような、安心したような気持ちで、右腕を伸ばす。
板金が動き、ずれたところから黒いものが溢れ出す。
それはもう一つの右腕となり、雄介の右手の動きに合わせて曲がったり握り拳を作ったりした。
「影じゃないかしら」
弥里が冷静に述べる。それから、彼女はこう言った。
「とりあえず、この、アニマ? っていうのは、人に露見しないようにしないと。
メディアの目に晒されたら、どうなるか分からない」
「それは同感」
ちょっとした手品だ、と言えばそれで通せそうなものだが。
なんにせよ、隠しておくに越したことはないだろう。
しかし、いくら不思議なことができるようになったからといって、雄介は全然嬉しくなかった。
これは確実に、人と争うための力だ。それも人知を超えた。
雄介は身震いした。もし黒百合が礼二が殺される前に出てきていたならば、
自分は周りの人間を殺していたかもしれない。あの時の自分にこれほどの力があったなら、やりかねない。
「まず、できることを把握しておいた方がいいと思うの」
よいしょ、と弥里が鞄からレジ袋を取り出す。
中からは何の変哲もない石ころが出てきた。
「その影の腕、握力とか重量とかどうなってるのかしら」
それは雄介も気になった。言われるがままに石ころを影の腕で拾い上げ、握ってみる。
ばきばきと影の中で音が鳴り、手を開けると、砕けた破片が転がっていた。
「うわあ、結構強い。これ、ちゃんと加減しないと人が死ぬやつだな」
「そうね。手と剣と盾にしかなれないの?」
こんな拳であの男子生徒を殴ったのか、と戦慄する雄介をよそに弥里が質問を重ねる。
試しに拳銃を形作ろうとしてみた。なぜ拳銃なのかというと、
自分が想像できる道具の中で一番殺傷力があるからだ。
銃口を向ければ、それだけで相手をねじ伏せることができる。要は、傷つけずに終われる。
影はしっかりと拳銃の形を成したが、やはり影だけあってか本物の銃には見えなかった。
引き金の部分を左手で押してみても、何も起こらない。
他にも試そうとすると、雄介は息切れを感じた。心臓がはち切れんばかりに脈打っている。
肩を上下させながら、椅子にもたれかかる。弥里が心配そうに手を伸ばしてきて、何とかそれを避ける。
「東堂先輩のその指輪、どういう仕組みなんですか」
弥里は視線を左手に落とし、恥ずかしそうにうつむいた。
「私の彼岸花は、あなたの黒百合みたいに凄いことはできないわ。ただ、触れた生き物の傷や病気を、別の生き物に移すだけ。触れてるのが私だけなら、私に移るみたいだけど」
「傷を移す、って……」
雄介は顔をしかめ、弥里を見やった。
確かに、それをすれば相手は治るかもしれないが、君がこんなに傷ついてどうするんだ。
この細い体に、あの巨大な影の拳の衝撃が与えられたのかと思うと、雄介は罪悪感で息が詰まる思いだった。
「あと、自分の傷や病気を誰かに移すことはできないみたい」
「それ、すごく不便じゃないですか? あまり使わない方が」
弥里が首を振る。その目には見覚えがあった。
鏡に映った、自分の目だ。生気のない、今ではなく過去を見つめている遠い目。
「今日はこれくらいにして、帰りましょうか。似た者同士、助け合いましょう?」
似た者同士。確かにそうかもしれない。アニマがあるということは、彼女も雄介と同じ、何かしらの罪の意識に苛まれてるということだろうから。
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