第3話 分裂
『僕』は分裂を繰り返す。
今日もまた分裂してしまった。
『僕』の意思とは関係なく、突然に分裂は始まる。分裂したものは更に内部分裂を繰り返し、少しずつ大きくなり、『僕』が一人増える。
その『僕』は、考え方や趣味が『僕』とは違う。表情や行動も違う。でも間違いなく『僕』なんだ。
外出する『僕』らは、ちゃんと一人ずつ出かける。順番は決まっていないので、出掛けた者勝ちな感じ。
今日の『僕』は紳士的。誰に対しても丁寧で親切。ちょっと演技が入ってるぐらいの爽やかさ。道を譲ってあげたり、扉を開けてあげたり、落とし物もさっと拾ってあげる。
なかなか気分のいい1日だった。
今日は朝から雨で、どんよりと暗い。
だから、というわけでもないが、どよーんと暗い『僕』が外に出る。
うつむいて歩く。誰とも目を合わせない、しゃべらない。落とし物が足下に転がってきても気がつかないふりをして通りすぎる。
へとへとな気分でようやく家に帰り着く。
今日の『僕』はぼんやりさん。
書類の束を豪快にばらまいた。
「どうぞ。」
白くて細い綺麗な指が、『僕』の書類を拾って渡してくれた。
でも、まだまだ散らばっている。
「手伝いますね。」
彼女は長い髪を耳にかけて、一生懸命に書類を拾ってくれた。『僕』も慌てて一緒に拾う。
横顔がとても綺麗で、一瞬にして恋に落ちた。
「拾ってくれてありがとう。
あの…お礼にランチ一緒にどうかな?」
「喜んで。」
『僕』の心臓が破れそうに脈打つ。きっと顔は真っ赤だったことだろう。
そのとき、また分裂した。いつもは小さい分裂から徐々に大きくなる分裂が、いきなりの急スピードでどんどん大きくなっていく。
その日の昼にはもう新しい『僕』が、彼女とランチをしていた。
優しくて綺麗な彼女と少しカッコつけた『僕』。
『僕』は会話も上手くて、彼女も楽しそうだ。
また食事に行く約束をした。
『僕』はそのあとも彼女とごはんを食べたり、彼女のショッピングに付き合ったり、映画を見たりした。
いろんな『僕』が彼女と出掛けたけど、どんな『僕』も彼女のことが好きで、彼女もどんな『僕』にも変わらず優しくしてくれた。
ある日、せっかちな『僕』が、とうとう我慢できずに彼女に告白してしまったが、彼女は嬉しそうに受け入れてくれた。
しかし真面目な『僕』は、このまま黙って付き合うことはできないと、みんなの反対を押し切って、たくさんの『僕』がいることや、今も分裂することを彼女に話してしまった。
彼女は少しの間黙っていた。
「たくさんの『あなた』がいること、なんとなく気づいてた。でも、どの『あなた』も可愛らしくて、私は好きになったの。
それから、私も『あなた』ほどじゃないけど分裂はするのよ。嫌われるかもしれないって思うと怖くて言えなかった。」
「そんなこと大丈夫だよ。『僕』を受け入れてくれた君を嫌いになるなんて『僕』には考えられない。だから、安心して、いつか他の『君』も見せてほしい。」
それからしばらくして、彼女はいろいろな『君』を見せてくれるようになった。
『僕』はどの『君』もやっぱり好きだった。
『僕』は外部からの刺激や、増えた『僕』同士の討論で分裂を繰り返し、たくさんの表情や考えで毎日を過ごしていく。
時には短気な『僕』と『君』でおおいにやり合うこともあるけど、そのあとには優しい『僕』と『君』がお互いにいたわりあってキスを交わし、恥ずかしがり屋に交代して抱き締め合い、『僕』が自信家に代わってベッドに運ぶ。
目まぐるしい毎日だけど、『僕』だけじゃないよね?
誰もがみんな、分裂を繰り返して、たくさんの『自分』を作って社会に対応しながら生きてるんだ。
ねえ、ほら、今日も、『僕』も『君』も『あなた』も分裂しているよ。
自分でも知らないうちに分裂を繰り返し、無意識に無限に自分を増やし続けていくんだ。
短編小説集『ウツボの夢』 紬季 渉 @tumugi-sho
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