第38話 日本海海戦

現太郎が満州に戻ってきてからは陸軍の動きは鉄嶺からさらに北進した「公主嶺」の地でロシア軍と睨みあっている状態であった。


補給を待つ両軍にはもはや大きな会戦を行う余力が無くあとは「海軍に委ねる」という雰囲気の中対峙を続けている。


日本海海戦


1905年5月27日早朝


対馬の南方を探索していた日本の哨戒艦信濃丸から「敵艦見ユ」との通信を秋山真之参謀は旗艦三笠の艦上で受け取った。


秋山は日本を囲む四方の海に碁盤目に区画を決めて番号を振っていた。

そしてそれぞれに商船、漁船を改造した哨戒艦を配置して迫り来るバルティック艦隊の進路を一秒でも早く捉えれるように苦心した。


信濃丸の配置は、区画番号203番の対馬南東である。


「ついに来たか、すべては手はずどおりである。これでこの戦いは勝ったも同然だ!」

秋山は満面の笑顔で小躍りして傍らに立つ通信士に対して

「通信士、敵艦隊の戦力、速度、進路を問え」

「は、すぐに返信します」

さっと敬礼してきびすを返すように作戦室を出て行く通信士の後姿を見ながら

「それにしても発見水域番号が203番とは・・・」

その声は出て行った通信士には届かなかった。


秋山は6ヶ月前の旅順要塞攻防戦の際、分水嶺となった203高地のことを思い、この数字の一致の偶然性に人間の人知を超えた力の存在を意識したのである。


また当時旅順港を閉塞するために湾外で駐留していたときに旅順港外から見た203高地攻略の必要性を、乃木希典率いる第3軍に執拗に説いたのは他ならぬ秋山であった。


「報告!敵艦隊数は約40、戦艦8隻を認む!先頭はスワロフ。敵陣形2列の縦陣、速力15ノットで北東に進路を取っています」

通信士からの伝令に対して秋山は矢継ぎ早に指示を下した。


「予定通り、巡洋艦和泉をもって対馬沖の主戦場に引っ張り出せ、夜襲に備え水雷艇の準備もだ。それと海軍司令部に以下を打電『敵艦見ユとの報告を受けこれより戦闘に入る、なお本日天気晴朗なれど波高し』」


この短い文章の中に今日の戦いは日本艦隊にとって有利であることを盛り込んでいる、「天気晴朗」とは視界がよく敵艦がよく見えるということ、「波高し」は高波によって艦が上下するので通常は射撃の精度が落ちるが我が軍はそのための訓練を厳しくやったので命中精度はこちらに利があるということだ。


また波が高いことで当初予定していた秋山考案の連携機雷を敵艦隊の予定進路に敷設する作戦はできない意味も込めていた。


早朝の発見から巡洋艦和泉が率いる小艦艇は、秋山の緻密な作戦によって小口径砲などで巧みに攻撃をかけては計画的な退避行動を行い、あらかじめ決めらていた決戦水域にバルチック艦隊を誘い込んだ。


ここから秋山の考えた7段構えが始まることになる。


午後1時ごろには旗艦三笠を先頭にした戦艦と巡洋戦艦で構成された主力が待ち構えた水域に見事にバルチック艦隊は誘い込まれたのである。


そこまでの午前中の戦いは駆逐艦などの小艦艇だけの攻撃で、しかもロシア艦の大型砲を撃たれたらすぐに逃げ出す作戦であった。この弱腰を装う日本海軍に対してロシア各艦の将兵は「前評判と違い日本海軍は逃げるばっかりで思ったより腰抜けのようだ、どうやら我々は敵を過大評価しすぎていたのではないか」という楽観的な雰囲気で包まれていた。これを作戦とは気がつかないバルチック艦隊は勝利をなにも疑うことなく威風堂々とした威容で旗艦スワロフを先頭にした2列縦陣を構成して悠々と決戦水域に登場したのである。


日本艦隊旗艦三笠艦上の司令塔内で東郷平八郎司令長官は愛用の8倍のカールツアイス製の双眼鏡から目を離して「やっと来たか、総員戦闘配備!」と命令した。続いて「皇国の荒廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」という意味を持つZ旗がするするとマストに掲げられた。


この物語では日本海海戦の詳細に迫るものではない。午後1時半に開始された主力艦どうしの戦いは有名な東郷ターンによる丁字戦法によって敵戦艦を撃沈。残りの艦艇は水雷艇による夜襲攻撃によってそのほとんどを海の藻屑にしてしまった大戦果は周知のことである。


3日間にわたった日本海海戦の結果を下に集計してみた。

日本海軍の損失はわずか100トン以下の水雷艇3隻だけで、しかも、これはロシア側に攻撃されて沈没されたのではなく味方同士の衝突が原因である。


それに対しロシア艦隊の損害は、


戦艦8隻のうち撃沈6、捕獲2

装甲巡洋艦3隻はすべて撃沈

巡洋艦6隻のうち撃沈1

装甲海防艦3隻のうち撃沈1、捕獲2

駆逐艦9隻のうち撃沈4、捕獲1

仮装巡洋艦1隻は撃沈1

特務艦6隻のうち撃沈3

病院船2隻は捕獲2


なんと38隻のうち26隻が撃沈または捕獲されたことになる。

ことに主力とされた戦艦、装甲巡洋艦、装甲海防艦は全滅。生き残った12隻のうち、逃走中に沈没または自爆2、上海、サイゴンなどの中立国に逃げ込んでそのまま武装解除されたもの6隻で、ウラジオストックにたどり着いたのはたった4隻のみというからほぼ全滅といってもいいほどの敗北である。


また人的被害もロシア側、戦死4545名、捕虜ロジェストウエンスキー中将を含む6106名、日本側は戦死わずか107名という圧倒的なスコアでこの海戦を終えた。


このように戦果としては勝利という生易しいものではなく「完膚なきまでに叩いた圧勝」に終わったのである。


もとより海軍軍令部が連合艦隊に与えた命令は「全艦撃破」という難易度の高い注文ではあったが秋山参謀の7段構えの戦法と東郷司令長官による丁字戦法によってみごとに軍令部の命令を完遂することができた。


この報を聞いた現太郎は「これで両国の講和が成った」と確信したのであった。

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