第37話 終戦工作

3月10日、源太郎率いる満州軍司令部はクロパトキンが放棄した奉天市内になんの抵抗もなく入城した。


奉天のはるか北方にある鉄嶺に逃げたクロパトキンを追って第二軍を先頭に全軍は掃討戦をおこなった。


日本軍の追撃を受けた軍隊の秩序を失ったロシア軍は文字通り「蜘蛛の子を散らす」ようにしてそのさらに後方のハルビンまで撤退したのである。

このハルビンの地でクロパトキンはロシア帝都からの罷免の報告を受けることになったことは述べた。


クロパトキンの後を継いだのがリネウィッチ将軍であった。リネウィッチ将軍は非常に勇猛な将軍でもし最初から奉天の会戦がこの将軍よって行われていたら源太郎を含めて日本陸軍の命はなかったことであろう。


いずれにしても猛将のリネウィッチ将軍を立てることによってロシア政府は世界世論に対して未だ日露戦争においてのファイティングポーズを誇示していたのである。


一方、奉天会戦に勝った側の日本は逆に第3軍は文字通り「刀折れ矢尽きた」状態であり他の軍にもかなりの死傷者が出てまさにふらふらの足取りでロシア軍をロープ際に追い詰めただけの状態であった。


問題はこの「奉天の会戦の勝利」を知った日本国内の一般大衆の反応であった。

奉天陥落の日には全国で提灯行列ができて戦勝を祝った。


そして日本国内の各新聞社は奉天の会戦の勝利を大々的に報じてこのままはるかウラジオストックやハルビンまで攻め込むべきだと言う楽観的な風潮が紙面を飾ったのである。


当然その新聞を読んだ日本国民たちは本当はフラフラでもう立てない日本陸軍の実態も知らずに「このままの勢いでもっと戦って気持ちの良いKOパンチを繰り出すべきだ」と囃し立てた。

たしかに「臥薪嘗胆」で贅沢を我慢して戦費を捻出した国民の権利ではある。


しかし兵士の損傷や砲弾の枯渇状態を熟知している現太郎はこの事を一番恐れた。


大山巌も満州軍司令部を創設して日本を発つ前に「私は満州の現場を一生懸命がんばりますが、戦争の引き際だけはよろしくお願いします」という意味のことを内閣に伝えて広島をたっている。


「どう考えてもここらが潮時である」と現太郎は心の中で思った。

そろそろ誰かにリングにタオルを投げ込んでもらわなければならない。



しかし陸軍参謀本部次長の長岡外史からは一向に講和を押し進めているような報告が来ないのであった。

それどころかウラジオストックやサハリンへの出兵案すら出るような始末であった。


一方伊藤博文の命令でアメリカに渡った金子堅太郎はハーバード大学の旧友であるルーズベルト大統領に盛んに働きかけを行っていた。


その証拠にルーズベルト大統領は大統領の職務以上に日本のこの講話に対して非常に好意的にロシアの皇帝ニコライ2世に向かって積極的に働きかけてくれていたのである。


しかしニコライ2世は、まさに今波を蹴って日本に向かっているバルチック艦隊が日本海域に到着すれば鎧袖一触で日本海軍連合艦隊を海の底に沈める事を信じてやまない。


すなわちロシア政府の正式回答は決戦は日本海海戦だとルーズベルト大統領の特使に伝えた。

つまり日本との講和などはその後であるという態度をとったのである。


同じく日本国内も意外と「世界最強」と言われたロシア陸軍は脆いものだと感じ取った日本国民は、「もっと領土を取れ。そして領土を広げた後に講和だ」という雰囲気が盛り上がっていた。


この報告を受けたルーズベルト大統領は両国の間での講話の話はまとまらないと判断したのであった。


両国の意見の相違を知った現太朗はもうこの終戦処理をするのは自分しかいないと決意した。

彼はまだ目の前の敵の掃討戦が終わっていないにも関わらず大山の許しを乞い奉天の司令部から密かに東京へ帰国したのであった。


思えば源太郎の成したことは


1 ロシアの開戦に伴う情報収集

2 ロシア開戦までの政財界への説得

3 各軍の創設、人選

4 満州軍司令部参謀長として作戦立案

5 旅順要塞戦への実戦指揮

6 奉天会戦に向けての28センチ砲の移動


さらにこれに加えて終戦工作をしなければならなくなったのである。


実に何人もの人間が集中してやらなければならない仕事をたった一人でこなすはめになってしまったのである。


極秘で満州から東京に戻った源太郎を長岡外史が東京駅まで出迎えをしたときの言葉が印象的である。


「長岡!貴様なぜ火消しをせんのじゃ!」


この一言は「そこから旅順は見えるか!」に匹敵するほどの名文句である。


源太郎はその足で海軍の山本権兵衛の所に赴き陸軍の現況を報告した後に急いで終戦工作をすべきであると説いた。


源太郎と同じく聡明な山本権兵衛は即座にこの現太郎の意見を了承したのであった。


もちろん海軍にはこれからのバルチック艦隊との決戦が控えている時期であった。


ここに陸軍と海軍が揃って正式に終戦工作を開始するのであった。


さらに主戦論者であった外務大臣小村寿太郎を説得したのちの5月5日に現太郎は満州に戻ることができたのである。

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