第34話 黒溝台の戦い




旅順の攻略戦は源太郎が満州に去る前に言ったように後は残敵掃討であった。

その言葉通り203高地山頂を奪った第3軍は弾着観測所を設けて28サンチ榴弾砲を旅順市街と港に送り込み海軍の要請どおりに旅順艦隊を壊滅させたのである。


陸戦においてもその後は完全に戦のペースは日本側に傾いていた。

そして年が明けた1月1日敵将ステッセル将軍からの使者がやってきて降伏の意思を伝えた。

ここに長い期間の旅順攻略の戦いが終わったのである。


1月の5日水師営における乃木将軍とステッセル将軍の会見が劇的に行われたのである。

これが世に言う「水師営の会談」であった


結果としてその後の奉天会戦後にクロパトキンは北方に逃げてしまったので「クロパトキン対大山」という会談が実現しなかったので日露戦争を象徴するこの2人の会談が美談として後々語られるようになった。


ステッセルとの会談


やはり日本人が好きな乃木像の代表としては旅順が落ちた後の「水師営」の会見であろう。

このころまで西洋の「騎士道」と日本の「武士道」がまだ残っており、あれほど激しかった戦いですら一旦降伏となったら敵味方の区別を超えてお互いに健闘を称えあうという気風が存在したのである。

現在のラグビーでいうところの「ノーサイド」である。


しかも乃木は敗軍の将ステッセル将軍に対して会見に臨んで帯刀を許したばかりでなく決して負けた相手を見下すことなく談笑と食事を行ったことが戦後歌にもなったように日本国民の心を捉えたのであろう。


その報告を煙台の満州軍司令部で聞いた源太郎は一気に肩の荷が下りた。


降りたどころではない。

これで心置きなく旅順に拘束されていた第3軍をいよいよ満州の平原に引っ張ってきて総勢力でもってクロパトキンと対峙できるからであった。


鴨緑江軍の創設


各戦闘で死傷者が想定していた以上に出たことにより現太郎は来るべき奉天の会戦にあたり臨時で「第5の矢」とも言える鴨緑江軍を創設した。


しかしこの新設軍は軍とは名ばかりで内地で応招された妻子もあるような年配者で構成された集まりであった。


源太郎はこれを強化するためにここに第3軍から引き抜いた第11師団(善通寺)を加えて組織したのである。


この第11師団を入れたことが現太郎は知らないことであったが後々にクロパトキンの思考回路を惑わす事になったのである。


すなわち年寄りばかりで編成された臨時の鴨緑江軍に第11師団が入ったがばっかりにこのいわば「寄せ集め軍」を乃木軍の第3軍とクロパトキンは勝手に勘違いしたのである。


その効果をわざと狙って源太郎は11師団を配備したのではなかったと思うがこの辺りが源太郎のツキがあるところであろう。


陸軍最終決戦の「奉天の会戦」の序盤戦は1月25日黒溝台の戦いで切って落とされた。


現太郎は旅順攻略が終了した第3軍に対して急ぎ戦場に来るように伝えたがこの戦いにはまだ行軍中で参加はしていない。


この戦いはおそらく日露戦争の中でも一番日本陸軍が窮地に立たされた戦いである。

もしボタンひとつ掛け間違えていれば総軍が壊滅していてもおかしくはなかった戦いである。


この戦いの異常性はそもそも宮廷から急遽派遣されたグルッペンベルグ将軍が功名心にはやって仕掛けてきた戦いであるということである。


しかし先輩格であるクロパトキン将軍は彼の功績になることを恐れて予定していた援軍を派遣しなかったのである。


この辺りがロシアの陸軍の弱点である。

すなわちロシア側は己の名誉と出世欲しかない将軍が頂点に立ち、一方日本陸軍は名誉欲など皆無に等しい大山巌とまた欲も功名心も全くない現太郎が指揮をしていたという対極的な構図であったから助かった。


秋山好古率いる騎馬隊はこの黒溝台の西側を薄い皮膜のように死守していた。どのくらい薄いかというとおよそ30kmの長さをわずか8000名で守っている極めて細い糸のような薄さであった。


着任したばかりのグルッペンベルグ将軍は偵察の報告からこの西戦線が一番弱いことを突きとめた。グルッペンベルグ将軍はクロパトキン将軍に対して「自分がここの薄い部分を攻めるからその間に中央の軍を出動して突き抜けた後は挟み撃ちにしよう」という約束を取り付けて進軍を開始した。


対する秋山好古率いる騎馬連隊はその機動性の根幹である馬を下りて大地に穴を掘り散兵壕を作って「にわか陣地」としてこれを迎え撃った。

しかし子供が大人のラグビーチームを防ぐような猛攻を受けて防戦一方の戦いとなった。

源太郎はこの窮の報告を受けて援軍を送るのであるがあといかんせん皮が薄すぎるので持ちこたえられない。


ここで期が熟したと感じたグルッペンベルグ将軍はクロパトキン将軍に対して全軍でもっての中央突破を要請するのであるがクロパトキン将軍はここで考えた。

「ここで戦いに勝てば着任したばかりのグルッペンベルグの株が上がり自分は左遷させられるかもしれない」

この逡巡している時間の間に立見尚文率いる援軍が秋山の部隊を援護して支えきったために総崩れから逃れ、かつ敗走するグルッペンベルグの軍を追尾できたのである。


まさしくこの戦いは私利私欲に走ったクロパトキンに日本軍は助けられたような戦いで終わったのである。


いずれにしても源太郎は首の皮一枚で勝利したのであった。


黒溝台の戦い (1905年1月25日-29日)

指揮官

大日本帝国 大山巌

ロシア グリッペンベルク

戦力

日本側 約54,000人

ロシア側 約96,000人

損害

日本側 死傷者約9,300名

ロシア側 死傷者約10,600名


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