第32話 旅順 第三回総攻撃
乃木が率いる第3軍は11月27日の未明、全ての勢力を203高地の攻略にかけることは述べた。
よく、源太郎が迷っている乃木に203高地の攻撃をするように進言するという場面があるがそもそも源太郎が旅順に着いたのが4日後の12月1日である。
すなわち乃木は現太郎が来る前にすでに自分の意思で203高地攻略を決めているのである。
いずれにしても27日の午前、乃木は28センチ榴弾砲を100発以上を203高地のロシア要塞に向けて突撃の前の準備砲撃を開始した。
砲撃が終わった午後には第一師団(東京)と第9師団(金沢)第11師団(善通寺)の部隊を中心とした勢力で203高地に突撃を開始した。
特に第一師団は松村師団長が直接陣頭指揮を執って突撃をすると言う異様な光景が見られたほどの死闘であった。
この一戦にまさに「日本の将来」がかかっていたことを将兵全員が身に染みて理解していたのである。
このように壮絶な砲撃と白兵戦を交えたこの戦いでは27日の午後8時には一時は203高地の一角が日本軍の手に落ちたという報が入った。
しかしロシア軍の士気も旺盛で塹壕を使い新たな兵力を投入してきて再び奪還されてしまった。
映画でも有名になったように、このように血で血を洗う壮絶な争いを標高203 M の山頂を巡って行われていたのである。
29日には、内地から来た新鋭の第7師団を新たに投入して203高地を攻撃した。
戦いを熟知した大迫尚敏率いるこの師団をしても、戦闘を開始してわずか1日で75%の死傷者を出し大きな損傷を被ることになる。
この日から12月5日まで山頂を争奪すること十数回という非常な激戦が見られたのである。
この一進一退の方を受けて源太郎は旅順行きを決意した。幸い沙河の対岸に布陣する目の前のロシア軍に動きはない。
旅順に行くにあたって彼は以下の3つの準備をした。
1 大山巌に満州軍総司令官の委任状を書かせた。
2 自分の直属の部隊として大連に上陸中であった歩兵第17連隊を手にした。
3 長男の秀雄に遺書を書いた。
前術のように12月1日の未明に3つの準備を終えた現太郎は満州軍司令部のある煙台を出発している。
副官の田中国重を伴い汽車に乗って旅順に向かう現太郎の耳に一時は「203高地を奪還セリ」という朗報が入ってきた。
こうなれば現太郎がわざわざ旅順に行く必要はない。途中の駅で下車して祝杯の酒を飲むことにした。
しかし先ほど述べたように一度奪った砦がその後ロシア軍の逆襲で奪還されると言う事態に陥った報を聞いて大いに落胆した。
本来なら満州の決戦に向けて投入したかった精鋭の第7師団をむざむざとたった1日の攻撃で消滅させた乃木の失策に激怒し「第3軍の大馬鹿野郎!」とグラスを叩きつけたという。
高崎山での乃木との会談
12月1日午後、高崎山にて映画のワンシーンである乃木と児玉の会談が行われた
貧しいアンペラを敷き詰めた地下で二人は膝を交わした。
もとより同郷であり何回も同じ戦場で玉の下をくぐっていた仲の両者であった。
現太郎は第3軍の攻撃のあまりにも稚拙さを伝え率直に乃木に迫った。
「第3軍の攻撃の指揮権を一時的に俺に委ねよ」と。
この一言は実は陸軍内では統帥権の干犯にあたる。
なぜかと言うと乃木は軍司令官でありこれは天皇から直接任命される部署であったからである。
それを満州軍副司令の現太郎が頭ごなしに「ちょっとワシに代われ」と言ってきたのである。
しかし阿吽の呼吸で乃木は「致し方なし。君に託す」と伝えたらしい。
最悪の状態を想定して現太郎が用意した大山巌の委任状は使われることがなかった 。
乃木から指揮権を得た現太郎は速やかに下記を行なった。
1 重砲隊の陣地の変更
2 司令部の前進
3 参謀による最前線の視察
普段から穏やかな現太郎にしては珍しく居並ぶ参謀たちを大激怒して以上を行なったのである。
よほど腹に据えかねたねであろう。
して現太郎の言葉で電流が走った第3軍は
12月5日、203高地全域を占領。
そのわずか1時間後には港内に向けての観測がなされて28センチ榴弾砲の間接射撃が開始された。
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