第30話 閑話休題 源太郎と軽気球
そのそも旅順攻略に乃木がてこずる理由が海軍の要望と陸軍の要望の2つを同時に満足させないといけない点であった。
海軍側 バルチック艦隊が来るまでに旅順艦隊を壊滅させたい。すなわち旅順港が一望できる観測点の攻略。
陸軍側 すみやかに要塞の中心を突破して旅順市街に突入。
歴史にIFは禁句であるが、もし日露戦争時に飛行機が開発されていて空中から旅順港の詳細が撮影できたら海軍側の要請を難なく達成できて、第3軍はいたずらに兵士を殺す必要がなかったであろう。
そしてまた陸軍の要請どおり「要塞の中心を突破」にのみ専念できたのではないかと思う。
さすがに飛行機の発明はなされていなかったが当時それを満たす「軽気球」がすでに開発されていた。
陸軍と海軍はフランスとプロシア間で起こったのいわゆる「普仏戦争」の時にフランス軍が軽気球を使ってパリまでの伝令や撤退を行った事実を鑑みて開発を進めていた。
このころ起こった西南戦争時に包囲されていた源太郎の守る熊本城を空中から観測できないかという観点から気球の開発に取り組んでいたのであった。
実戦配備が可能になると源太郎は日露が開戦すると同時に軽気球を旅順に送るように要請していたのである。けだし慧眼である。
実際に旅順では旅順港観測のために合計14回の気球の昇騰を成功させたが、その8回目の昇騰時(8月24日午前9時30分~10時15分)、幹家邨の上空・高度500メートルより旅順港と旅順の背面とを偵察し空中写真を撮影していたのである。
500mと言えば後に激戦地となる203高地よりも倍以上の高度である。かなりの広範囲で目視が可能であったはずである。
この時の撮影の詳細は旅順の気球から敵将ステッセルが隠れている白玉山の兵営や軍備を偵察したり、敵の戦艦や運送船の行動を発見したり、また旅順港内の敷設水雷を見つけることができたらしい。
かなりの精度であったことがわかる。
この時に下記のような陸軍の報告がある
「白玉山の麓にぴつたりと身をひそめて隱れてゐた巡洋艦バロラダ號を發見したときに、早速、これを海軍に知らせてやりますと、海軍側は『これには少しも氣付かなかつた』こととて非常に喜び、伊集院参謀はわざわざ氣球隊の陣地へ訪ねて来られ、自分で氣球に乘つてこれを確かめ、榴弾で攻撃するのを上空から觀測されました」
このように陸軍、海軍と連携して軽気球を使い間接砲撃の観測点として効果的に運用していたことがわかる。
結局、気球偵察は合計14回目の昇騰(10月3日)で終了しているが、その理由は気球の劣化であった。
もし気球が複数あるか、劣化せずに使用可能であったならば「観測地点の確保」は上記のようにある程度達成されていたのではないだろうか。
予断ではあるが源太郎は軽気球に関して面白いエピソードを残している。
陸軍が初めて軽気球を採用したとき、茨城県大洗でこれに試乗した源太郎は横揺れで気持ちが悪くなったのであろう、上空で顔面蒼白となっ思わず籠の中で吐いてしまった。
それ以来、陸軍内部では大酒を飲んで泥酔して吐く者のことをを「児玉将軍の軽気球」と呼んだらしい。
新しい物好きの源太郎の側面が見て取れるエピソードである。
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