第25話 旅順 第一次総攻撃
前哨戦
日本海軍はバルチック艦隊来航の懸念により1904年7月12日に伊東祐亨海軍軍令部長から陸軍 山縣有朋参謀総長に、旅順艦隊を旅順港より追い出すか壊滅させるよう正式に要請した。
準備を整えた第3軍は7月26日旅順要塞の諸前進陣地への攻撃を開始した。
しかし旅順要塞を攻略する方針を固めることが遅れたため、情報収集が準備不足だった。
つまりロシア軍の強化した要塞設備に関する事前の最新情報はほとんどなく、どの要塞から攻撃するのが一番効率がいいかの判断材料に不足していたのである。
そして情報不足の中の軍議の結果、緒戦の主目標はそのうちの東方の大孤山とした。
この大孤山を巡っての戦いが旅順の前哨戦となった。
大孤山を巡って3日間続いたこの戦闘で日本軍2,800名、ロシア軍1,500名の死傷者を出し、そしてついに30日にロシア軍は大孤山から撤退した。
前哨戦はかろうじて日本軍の勝利に終わったのであった。
続いて8月7日、海軍は黒井悌次郎 中佐率いる海軍陸戦重砲隊がこのたび占領した大孤山に観測所を設置し、旅順港へ12センチ砲で砲撃を開始した。
8月9日の朝に停泊中の主力艦 戦艦レトウィザンに命中弾を与えた。
またレトウィザンの直近に停泊していた艦船への命中弾は火薬庫に命中して爆発を引き起こし、それがレトウィザンに浸水被害を与えて大破を確認している。
8月10日、日本海軍の砲弾によって旅順艦隊に被害が出始めたことで、艦隊司令ヴィトゲフトは、極東総督アレクセイエフの度重なるウラジオストクへの回航命令に従い、しぶしぶ旅順港を出撃した。
ここに海軍側が陸軍に要請した「旅順艦隊を砲撃によって旅順港より追い出す」ことは達成されたのであった。
黄海海戦
しかし日本連合艦隊は黄海海戦で2度に亘り旅順艦隊と砲撃戦を行う機会を得つつも駆逐艦の1隻も沈没せしめることなく、薄暮に至り見失い、旅順港への帰還を許してしまう結果となった。
せっかく巣から出てきた獲物を取り逃がしまた巣に戻してしまったのである。
しかし帰港した艦艇のほとんどは上部構造を大きく破壊され旅順港の設備では修理ができない状況だったという。
最も損害が軽微だった戦艦セヴァストポリだけは外洋航行可能にまで修理されたが、旅順艦隊はその戦闘力をほぼ喪失した。
帰港後は、各艦艇は大孤山から観測されないよう、狭く浅い湾内東部に停泊させた砲撃を避けるようにしたのである。
第一回総攻撃(明治37年8月19日-24日)
総攻撃を前に第3軍は軍司令部を柳樹房から鳳凰山東南高地に進出させた。
さらに団山子東北高地に戦闘指揮所を設け戦闘の状況を逐一把握できるようにした。
ここは激戦地となった東鶏冠山保塁から3キロという場所でしばしば敵弾に見舞われる場所であったが敵地観測の利点により以降、攻囲戦は主にここで指揮が取られることになった。
8月18日深夜、第3軍(参加兵力5万1千名、火砲380門)各師団は其々目標とされる敵陣地の射程圏ぎりぎりまで接近し明日の総攻撃に備えた。
翌8月19日、各正面において早朝より準備射撃が始まる。
当初はロシア側は日本の砲兵陣地の位置を正確に把握できておらず反撃も散漫だったが、やがて本格的になり、この日は両軍合わせて500門の火砲が撃ち合う激しい戦闘となった。
乃木も午後1時に双台溝の236高地に登り戦況を視察した。
ロシア軍ではこの砲撃で松樹山、二龍山、盤龍山、東鶏冠山、小案子、白銀山、望台の各保塁・砲台に大損害が出ており、東鶏冠山第二保塁では弾薬庫が爆発し守備兵が全滅し、二龍山保塁では主要火砲の6インチ砲がすべて破壊された。
こうした光景を目の当たりにして日本軍前線の将兵の士気は大きく高まったという。
2日間の砲撃戦ののち、21日に第3軍は総攻撃を開始した。
22日午前0時、各隊は一斉に夜襲をかけるが、ロシア軍は探照灯や照明弾で周囲を照らし機関銃を乱射してそれを阻んだ。戦闘は明るくなっても続き後備歩兵第8連隊が増援、午前10時頃、盤龍山東堡塁の占領になんとか成功、午後8時には西堡塁も占領した。
望台への攻撃
乃木は占領した盤龍山堡塁を起点として23日、望台への攻撃を命じた。
望台は旅順要塞の中でもっとも標高の高い地点でありここを落とすと旅順港や旅順市街が一望のもとに見渡せる最重要攻略地点であった。
しかし盤龍山堡塁を占領する第九師団の戦力は予備兵力を含めても約1000名に激減しており、第1師団から歩兵第15連隊を応援に回し、第11師団も東鶏冠山堡塁への攻撃で疲弊した歩兵第10旅団を応援に出す。
戦力が整った各隊は24日午前2時より再度攻撃を開始する。
しかしこれらの突入も情報を事前に察知していたステッセル中将の指示で準備を整えていたロシア軍の反撃で各隊は死傷者が続出した。
午前7時、最後の予備兵力の歩兵第12連隊第一大隊が投入されるが要塞からの砲撃が激しく突撃は延期された。
24日午後5時、乃木は各隊の被害状況を聞いた後に総攻撃の中止を指示した。
第一回総攻撃と呼ばれたこの攻撃で日本軍は戦死5,017名、負傷10,843名という大損害を蒙り、対するロシア軍の被害は戦死1,500名、負傷4,500名だった。
第3軍はこの1回の総攻撃だけでほぼ一個師団分の損害を出したことになる。
この頃からロシア軍側は、旅順港内に逼塞した太平洋艦隊の海軍将兵で複数の中隊単位の陸戦隊を編成し、艦船の中小口径砲の一部も陸揚げして陸軍部隊の増援を図った。
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