第19話 陸軍大学校教官メッケルと児玉


日本人からは正統な評価が認められなかった源太郎であるが、外国人で彼の才能の高さを早くから評価した人物がいる。


「クレメンス・ウイルヘルム・ヤコブ・メッケル少佐」


長い名前なのでここでは単に「メッケル少佐」と呼ぶ。


西南戦争で参謀将校の養成所の必要性を痛感した日本陸軍は1892年(明治15年)に東京青山に陸軍大学校を創設した。


最初はフランス方式を採用していた陸軍であったが、普仏戦争の結果を踏まえて桂太郎が中心となってプロイセン(ドイツ)式の軍学を採用するに至り陸軍大学校はドイツの参謀長であったモルトケに教官の派遣要請を行った。


モルトケは自分が日本に行けないので、優秀な自分の愛弟子であるケルン生まれのメッケル少佐を推薦して日本に送り込んだのであった。


流石にドイツが誇る名参謀長の推薦である。メツケル少佐は優秀でかつ厳しい教官であった。


1期生で卒業できたのは、秋山好古を含むわずか半数の10名であったからのそ厳しさがよく分かる。


 しかしメッケル少佐は厳しい反面、寛容なところがあり、彼の講義は学生だけでなく興味があるものには誰でも開放して教えたという経緯がある。


このときに大学長をしていた源太郎が学生に混じって聴講生として参加しており、メッケルに対してその都度、非常に鋭い質問をつねに浴びせたという。


この授業中の質疑応答の鋭さによって源太郎の理解度と柔軟性と才能をメッケル少佐は瞬時に見抜いたのである。


日露戦争が始まる前に源太郎が参謀本部次長に就任したことを聞いたメッケル少佐は海外の新聞記者の「もし日露が開戦したらどちらが勝つか?」

という質問に対して


「私が教えた児玉がいる以上は日本の勝ちである」

と自信たっぷりに答えたと言う。


よほど源太郎を評価していたのであろう。


またどう見ても「日本の敗北」を確信しているドイツ陸軍関係たちにも

「日本陸軍には私が育てた軍人がいる。特に児玉将軍が居る限り日本はロシアに敗れる事は無い。児玉将軍は必ず満州からロシアを駆逐するであろう」

と述べて説得したと伝えられている。


開戦が決まった日にメッケル少佐は帰国後のドイツから電報を陸軍参謀本部に送っている。


「日本がんばれ! メッケル」

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