ネズミ捕りのワナや

 翌朝、陽が随分昇ったところで目が覚めた。秋晴れの良い天気である。

 庭に出て井戸端で顔を洗っていると、そばを八郎様が通りかかるのが見えた。


「ああっ、八郎様。お早うございまする」

 急いで顔を拭って挨拶しつつ、気付いた。八郎様は二匹の恐ろしげなオオカミを、傍らに従えているのである。

 しかも、手綱すら引いていない。うわ~っ、と吉次は思わず声を上げた。


「吉次か。いや、なに……こいつらは大人しいから心配せんでええ」

 八郎様は、こいつが及川奈○でこっちが明日花キラ○、と吉次に紹介しつつ、二匹の頭を撫でる。二匹はクンクンと可愛らしい声をあげ、八郎様の手首に鼻先を擦り付けて甘えた。まるで犬である。


(まったく、この御方は……)

 常に、八郎様には度肝を抜かれるのである。昨年の京住まいの頃からそうだった。


 そういえばここへの道中、耳にした噂によれば、豊後の山中にて巨大なオロチをあっさり退治なさったというではないか。今年の正月、早めの元服を済ませたばかりの御年だというのに、底知れぬ御方と言わざるを得ない。


 八郎様に付き従い、二人と二匹は庭の中程に移動し大きな庭石に腰掛けた。

「昨晩も言うたが、仕事がある」

「何なりとお申し付けを。わたくしめは再び八郎様のもとで商売をやりとうて、はるばる九州に下って参りましたるゆえ」

 吉次は畏まりつつ頭を下げる。


「まあ、暫くは館でブラブラしておってええ。ヒマが嫌なら、九州の商売事情を探って回ってもええ。こちらもこの地に辿り着いた途端、館の建設やら地元宇治衆との戦いやらで忙しゅうて、まだ商売の準備が整うておらん」

「なるほど」


「そうそう。この館も数日中に引き払う。三里ばかし先の、益城っちゅう土地に引っ越す予定や。全てはそれからやな」

 及川○央と明日花キ○ラは八郎様の足元に横たわり、陽を浴びつつ気持ちよさそうに目を細めている。


「して、まずは何を売りましょうぞ」

「せやなあ……」

 八郎様はつと立ち上がって屋敷の傍らに行き、小さな奇妙な器具を携え戻って来た。

「これやろなあ」


「これは……何でございましょう」

 木の板にバネ等が括り付けられた、見たことも無い奇妙な器具である。

「これは、ネズミ捕りのワナや」

「ほう」


 聞けば、この二匹のオオカミは随分と賢くて、既に大層な「武功」を上げているらしい。その反面、日々しっかりと餌を与えているせいか、ネズミを見かけても素知らぬふりだという。


「しかしこいつらがおるせいで、ネコが怖がって当やかたに居着かん。代わりにネズミがはびこり放題や」

 ――だからこれを考案した、と八郎様は言う。


「こいつを撥ね上げ、ここにエサを挿しておく。で、ネズミがエサを食うと、バネの力でこいつが素早く戻りネズミを捕らえる」

 八郎様の説明に、吉次はただただ感心する他ない。よく、こんなワナを考えついたものである。


「して、これをどこで売りますやら」

「せやなあ……」

 商売事情は吉次の方が詳しいやろうけど……と言いながら、八郎様は語る。


 当地にしろ引越し先の益城にしろ、人口が少ないし経済力も低い。貨幣などほとんど流通していない。それは数里先の肥後国府とて同様だ、という。商売にはまるで向いていないらしい。

「されば……筑紫の博多に運び、売りましょう」

「せや。それしかないやろな」


 京におけるヒット商品、シャベルやツルハシの製造販売も検討したらしい。しかしそれらは重いし嵩張るため、輸送コストがかかり過ぎて利が薄い……というのが八郎様の意見である。またどちらも構造が単純で、いずれ当地の鍛冶屋が真似して生産し始めるだろうから、長く商売出来る商品ではないという。


「その点、このネズミ捕りは」

 と八郎様は言う。小さいから輸送コストも大したことないし、意外に製造のノウハウが必要で他者に真似されにくいだろう。おまけに潜在需要も大きく、数を捌けるだろう……と。


「なるほど。やかた一つといえど、こいつを何十個も仕掛けるわけですな。されば大量に売れまする……」

 吉次は頷いた。


 改めて、八郎様の顔を見上げた。

 吉次の方が二歳ふたつばかし歳上である。しかし顔ひとつ分、八郎様の方が座高が高い。ましてや、共に立てば大人と子供程の差がある。


(しかして、その器量や才覚は……)

 と、吉次は思わざるを得ない。八郎様を慕って九州へ下ったのは正解だった、と強く感じた。膝に乗せたネズミ捕りに目を転じ、あれこれ思索を巡らしつつ、吉次の商魂が次第にたぎり始めた。

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