狼煙を上げろっ

「冠者、いよいよ宇治衆が来ますぞ。朝からあちらの館が沸いてござる。今晩あたりが危のうございましょう」

 宇治衆の近辺を探らせていた与次郎が、館に駆け戻りオレに告げた。その数、約五〇〇だと言う。

「なるほど五〇〇か。三郎忠国氏の読み通りやな」

 オレは頷き、全員にいくさ支度を命じた。


 与次郎の言う通り、連中はその夕刻、騎馬にて我が館へじわじわと迫って来た。

「今夜は大きな月があるじゃねえか。動きが丸見えで、夜討ちの意味がねえ。こ奴らはアホか」

 オレは思わず苦笑した。先日来、三郎忠国氏と打ち合わせをしていて驚いたことがある。当世には軍学だとか、用兵術の類いが全く存在しないらしい。オレが京にて「孫子」をかじり、「六韜」の講義を途中まで受けたと話すと、三郎忠国氏は目を丸くするのである。


「左様な書物がある、という噂は聞いておりましたが……。さすがは婿殿、抜かり無く学んでおられましたか」

 もう勝ったも同然、とでも言わんばかりの喜びようである。しかも婿殿扱いとは……何とも気の早い御仁である。


 いやまあ確かに、三郎忠国氏にはまだ告げていないだけで、最早もはや愛娘のお縫さんとは恥部のホクロの位置まで互いに熟知し合う仲ではあるのだが。――


 おそらくいくさの何たるかを知らない宇治衆は、ただただ、我が館を遠巻きにしようと迫るのみ……のようである。あとはただ、出たとこ勝負のつもりであろうか。我々を数で圧倒できる、と高を括っているのだろう。


「狼煙を上げろっ」

 オレが命じると、たちまち狼煙担当の連中三人がするすると物見櫓に登り、大篝火を灯した。阿蘇やかたへの合図である。

 既に明るいうちに、阿蘇やかたに早馬を遣り、今夜あたり宇治衆が攻めて来そうだと伝えてある。彼らはこちらの狼煙を確認するなり、直ちに騎馬一〇〇騎程が当館へ急行することになっている。


 騎馬の宇治衆は、その間じわじわとこちらへ距離を詰めてきた。

(こちらの館は高台にあるんだぞ。連中はどうやって、騎馬で攻めるつもりか……)

 オレは物見櫓に登り、連中の様子をしばらく眺める。幾人かが松明を掲げているため、夜目にも連中の動きが手に取るように分かるのである。


(アホ過ぎる)

 その稚拙な作戦行動に、オレは笑いが止まらない。

 お陰で、本格的な戦闘は初の経験であるオレも、恐怖を全く感じないし緊張もない。数だけみればこちらが明らかに劣勢だが、まるで敗ける気がしないのである。それが伝わるのか、郎党達も落ち着き払って寄せ手の様子を眺めている。


 いよいよ頃合いと見て、

「よし、投石開始っ!!」

 と全員に命じた。

 一〇程の投石機から、一斉にドカドカと石礫や砂利が飛び始めた。たちまち宇治衆が大混乱に陥る様子が、物見櫓から良く見える。


 ダメ押しとばかり、オレも櫓上から数本、マイケル・ジョーダンで火矢を射た。効果てきめんで、連中は陣形を崩して退き始めた。一町ばかし後退し改めて陣形を整えるが、そこから動きがない。完全に、こちらを攻めあぐねているようである。


 半刻ばかし膠着状態が続いた。

 たまに、思い出したように一部がこちらに距離を縮めて来るが、すぐにこちらが投石を再開する。すると連中は慌てて後退する……という無益な行動が続く。


(さて、連中はこの後どう出るか……)

 と寄せ手宇治衆を眺めているうちに、遠くから地響きを立てて騎馬部隊が駆けて来た。三郎忠国氏の援軍である。

 その数、一〇〇騎強。こちらの館には入らず、そのまま宇治衆の側面に迫った。宇治衆もそれに気付いたようで、再び大混乱に陥った。慌てふためき逃げ出す様子が丸見えである。


「よしっ。今だ!!」

 オレはマイケル・ジョーダンを握り矢壺を背負うと、馬に飛び乗り、数名の郎党と共に館を飛び出した。そして援軍と合流しその先頭に立つと、

「そのまま連中を追撃せよ」

 と、逃げ惑う宇治衆を蹴散らした。


 事ここに至れば、最早もはや彼我の数の問題ではない。宇治衆五〇〇騎はすっかり統率を失い、敗走した。オレは援軍と共にそのまま宇治の館まで駆け、館の周囲に火を放った。館に住まう者達は散り散りになって逃げた。オレの指示で館の門塀が尽く打ち壊され、夜半過ぎには丸裸になった無人の屋敷家屋のみが残った。


 完勝である。こちら方は一兵の死者も出さず宇治衆を撃退し、連中はこの阿蘇の地から雲散霧消した。翌朝、オレは宇治館の米俵や野菜、それに家財など金目のモノを一切合切荷駄車に満載し、館を空っぽにして意気揚々と引き上げた。


「勝ち戦さ、まことにおめでとう存じます」

 出迎えたお縫さんはしかし、何故か不貞腐れたようにオレに挨拶し、そのままふいと自室に引っ込んでしまった。


(なんでやねん……)

 不思議に思い、それとなく侍女達に話を聞き出し漸くその理由が判った。

 彼女は宇治衆の襲来を知るや、直ちに緋袴白装束に着替えると髪を束ねタスキ掛けし、大薙刀を携えて、

「八郎様と共に、命懸けで館を守ります」

 と息巻いていたらしい。


 ところがいつの間にやらオレが館から消えたかと思うと、たちまち連中が敗走し、あっさり宇治館まで陥落させてしまったため、

 ――白縫姫様は出番を失い意気空回りで、拗ねておられます。

 というのである。

(可愛いヤツやな……)

 その夜オレは、頬を膨らませそっぽを向くお縫さんを抱いた。


 愛に満たされ快楽に浸り、月明かりの射し込む中全身から幸せオーラを放ちつつ、その癖必死でふくれっ面を保つ美女を眺め、オレの伴侶以外の何者でもないと悟った。オレはひとつ、ハラを決めた。

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