どこぞなりと移動し他所で落ち着いて下されよ

 尾張権守家遠。――

 かつて八郎オレ君の祖父である対馬守義親が、九州一円の治安を回復すべく武威を振るった。その際義親の傘下に収まったらしい。


 父、六条判官為義は、当然ながら家遠氏を我が河内源氏の家来筋とみなし、オレの後見人となるよう要請した。ところが当の家遠氏は、今更そのような厄介事を背負い込む気はないらしい。


「この豊後国は今まさに、平清盛殿が豊後守を務めておられる」

 家遠氏は言う。


 つまり清盛が豊後の国司である。

 ちなみに家遠氏も権守なので、名目上は豊後国司(の長官)である。ただし、いわば名誉職に過ぎず、国衙行政に対し何の実質的権限も付与されていない。


わしも歳が歳ゆえ、もはや静かに余生を送りたい。波風立てず、田舎でひっそりと生きるつもりでござる」

 権勢を誇る平清盛殿に睨まれたくない、と言うのである。要するに、完全にオレを危険人物視しているっぽい。


 そりゃまあ、家遠氏とすれば当然だろう。目の前に居るのは六〇人もの郎党を引き連れた、六尺男である。しかもこの八郎冠者とやらは、弱冠一二歳ながら、既にその弓の腕前は世間に響き渡っている、という。話によると、数日前には何とオロチを退治したそうではないか。おまけにオオカミを二匹、あたかも犬同然に手懐てなずけ従えているのである。警戒しない方がおかしい。


 その上、

 ――尾張権守殿が、河内源氏の御曹司以下六〇名の猛者を庇護している。

 という噂が平清盛の耳に届けば、ただでは済まないだろう。家遠は何を企んでいるのか、と痛くもない腹を探られることになる。


「六条判官殿の御依頼である以上、八郎冠者の後見はお引き受け致しましょう」

 あくまで建前的には……、と家遠氏は言う。

「されど、当屋敷にて御一同をお世話するのは、無理がござる。申し上げにくいが、なるべく早めに、どこぞなりと移動し他所で落ち着いて下されよ」

 さすが年の功である。家遠氏は非常に言いにくいことを、オレにきっぱりと言い切った。


 物分りの良い好青年(少年?)たるオレとしては、同意せざるを得ない。

「わかりました」

「かたじけのうございます」

「ただし、一つ問題がございまして……」

 弓の話をした。


 オレの豪腕に適う弓がなく、最新の構造にて製造した強弓でもすぐに壊れてしまうこと。つまり特注の強弓が消耗品扱いであること……を説明した。

「その、それがし専用の弓が、現在手元に一本しかござらぬ」

「なるほど」


「一本では心許ないので、別府の職人に数本、製造を依頼したいのです。それが完成するまで、当地に逗留させて頂きたい」

「左様……やむを得ませぬな」

 家遠氏は渋々頷いた。オレは早速重季さんを呼び寄せ、先日の別府の職人に弓を七本発注するよう、命じた。


「ところで……」

 オレは改めて、家遠氏に九州の情勢を尋ねる。

「我々一行は、いずこへ行くべきでしょうか」

「う~む……」

 家遠氏は首を捻った。


「申してはばかりあることながら、対馬守義親殿の御威光は、今やすっかり影を潜めておりまする。九州のめぼしい勢力は平氏か、若しくは平氏の傘下にありますな」

「……」

「儂は見ての通り、この田舎にてひっそりと暮らす者。既に世間の情勢にも暗く、細かい事情にまでは通じておりませぬ」


 つまり、次の移動先は自分で探せ、という事らしい。

 仕方がない。オレは家遠氏に礼を言い、外に出た。丁度重季さん達が、支度を整え別府に向かうところだった。


「弓が届き次第、この地を発つことになった。急ぎ製造するよう職人に伝えてくれ」

 と、重季さんに伝える。彼らは勇んで出発した。


(さて……と。どこへ行くか)

 野営地に戻り、地にどっかと腰を下ろすと腕組みしつつ考える。

(前世やったら、幾らでもネットで検索して情報を取れてんけどなあ)

 勿論当世では、そうはいかない。


 世間の情報というのは極めて貴重で、意識的にコストをかけて収集するのである。

 例えば行商人を保護し、彼らが諸国にて見聞きした情報に耳を傾ける。或いは旅人に宿を提供し、彼らの見聞を吸収する。

 意識の高い者はそうして常にアンテナを張っている。しかし家遠氏のように半ば世捨て人的な生活だと、世間の情報はほとんど入って来ないらしい。


(困ったぞ。どないしよう……)


 既に三月の半ばである。弓の納品を待ち当地を出発する頃といえば、四月の半ば頃か。となると、すぐに五月を迎える。つまり新暦の六月であり、梅雨に入る。連日雨が降る中の移動は、困難を極めるに違いない。

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