数日、ゆるりと休んでいきなされ
キラキラと光る
船が小さい。前世すなわち平成の世であれば、寂れた漁港に多数係留されている漁船くらいのサイズである。いや、それでも川舟よりは随分大きいのだが。……
一行六〇人超は七隻に分乗し、ひとまず播磨(兵庫県)を目指す。
「揺れますな」
船に弱い郎党もおり、青い顔をしている。いかに波の穏やかな湾内であろうと、やはり船が小さい分揺れるのである。
(こないな船じゃあ、外洋航海は無理やろなあ……)
船頭に尋ねると、当世としてはこれがごく標準的なサイズらしい。沿岸の地形を目視確認しつつ、瀬戸内の潮の流れを読んで、天候の良い日中のみ航海する、という。
「人や積み荷が多い場合はどうするのか」
「いや、左様な場合は滅多に有りませぬ。一隻でどうにもならぬ時は、
「なるほど……」
つまり、そもそも人や荷物の往来が極めて少ないようである。俺達のように、何十人もの人間が移動する際は、大概陸路をとるらしい。
しかしながら、各所に大型の宿泊施設があるわけでもない。集団で移動する場合は、地元の有力者の屋敷や民家に頼み込み、分宿するのである。毎夕、宿の手配をせねばならず、非常に面倒臭い。
勿論船の手配も毎回面倒である。
「このまま豊後(大分県)まで行ってくれぬか?」
「それは無理でございますな」
船頭は首を横に振る。沿岸を見ながらの航海であろうと、やはりその土地その土地の船頭でなければ潮の流れが分からず、操船が難しいらしい。腕利きの船頭であればどこまでも行ける……というものではないのだとか。
「毎朝、船と船頭を雇いなされ。して、陽のあるうちに次の港まで行き、翌朝改めて別の船と船頭を雇う。豊後まで、その繰り返しでございますよ」
なるほど。それしか手はないのか。――
陽も大方沈みかけた頃、船は漸く須磨の港に到着した。オレは郎党に指示し、今晩の宿を探させた。一刻以上かかってどうにか全員分の宿が見つかった。
翌朝も幸い、快晴であった。
早朝に全員、港に集合し、船と船頭を雇い出港した。次なる寄港地は高砂である。
(二日かかっても、まだ関西を抜けられへんのかい)
うんざりしたが、厄介なのはそれだけではなかった。その晩の高砂の港周辺には、民家が少なく宿探しに苦労した。おまけにその翌朝も、今度は船探しに難渋した。結局四隻しか確保出来ず、やむ無く一行を
海路を採った側は、その日の夜に無事、赤穂港に到着した。陸路を採った側も、翌日夕方前には合流出来た。
このように、毎日のように何かと厄介事を抱えつつも、どうにか前進する。その都度オレが、上手く問題に対処するため、
――八郎冠者は実に頼もしい。
と、次第に信頼感が高まってきた。
こうして漸く備後(岡山広島県境)に到達し、相変わらず宿探しに苦労している時、
「河内源氏の八郎冠者なる御仁が、やって来たらしい」
という噂を聞きつけ、一人の男が大急ぎでオレに面会を求めて来た。
「備後守(国司)の
男は名乗った。
「それがしは先日まで京に居りまして、八郎冠者のお噂を聞いておりまする。直接お目にかかる機会と思い、早速駆けつけた次第でございます」
という。
彼はすぐに、オレ達一行のために、自らの屋敷や国司の館を宿として提供してくれた。一行は久々に、風呂と美味い飯を堪能した。
翌朝、オレは備後守
オレが備後守に、宿のお礼を伝えると、
「数日、ゆるりと休んでいきなされ」
と彼はにこやかに言う。
「実は
「そうですか。それがしでよろしければ……」
こちらに異存はない。早速弓の稽古場に行き、備後守から二人の息子に引き合わせられた。
郎党に命じてオレの弓を持参させ、
それから二刻ばかし、息子達や藤太さんに弓の手ほどきをした。備後守は大いに喜び、その夜は酒と海鮮料理を振る舞ってくれた。
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