お情けを頂戴しとうございます
幸い、昨日の雪は止んだ。肌寒いながらも空はカラリと晴れ上がっている。
そんな中、オレこと八郎為朝様御一行は、いよいよ九州に向け出発した。
館の郎党達は笑顔で見送ってくれたが、下女達の半数ほどは涙を流していた。ただし父、六条判官為義とのやりとりを知らされていない兄達は、
「
ヘラヘラ笑いながら高みの見物……といった様子である。
――名高い源氏ヶ御館の八郎様は、勘当されたそうじゃ。
という噂は既に隅々まで伝わり、
一行三六人はその中を
「
隣を歩く郎党の一人から言われた。
「昨晩は遅くまで、おなごと戯れておったそうでございますな。旅中はおなご遊びも程々になさいませ」
どっ、と笑いが興った。皆、表情は明るく、おおよそ勘当され都落ちする一行には見えない。
沿道の人々を眺めつつ歩き、心残りがひとつ、あった。一行三六人全員が、オレ考案の試作品であるリュックを背負っている。こいつを近々、大々的に売り出すつもりでいたのである。
案の定、
「あれは何ぞ!?」
という声が沿道から漏れ聞こえた。大いに売れただろうに、実に悔しい。
ちなみにオレのリュックには、油紙で幾重にも巻いた上文箱に収められた、お鶴の書写した大切な書物が入っている。お鶴の想いと、オレのお鶴への想い、未練を、肩に感じた。
いや、リュックの事などどうでもいい。暫く歩いていると、早速トラブルが発生した。
初めて履く
(しまった。先に履物を考案しとくべきやったわ……)
悔やんだが、今更どうにもならない。徒歩での長旅は厳しいと判断し、止む無く堺まで船で移動することにした。
桂川沿いで小舟を数隻雇い、一行は分乗し川を下る。
その日は山崎で舟を降り、民家に分宿した。翌日再び舟を雇って淀川を下り、堺に到着した。
暫くこの地に逗留し、河内からやってくる郎党達を待って合流するのである。
ちなみに京から離れたこの堺にも、オレの名が通っていた。そのせいで、オレは驚くべき当世の風習を目の当たりにすることとなった。
一行は摂津源氏の豪族を頼り、大きな屋敷を宿としたのだが、翌日から、
「八郎冠者の湯浴み水を、下され」
と周辺の住人達が、オレの入浴した残り水を貰いに当屋敷へ押しかけて来たのである。
つまり当世には、貴人や豪傑の入浴後の残り水を貰って飲むと、健康に良いという迷信があるらしい。
(うげっ。気持ち
と思い拒否したが、屋敷の使用人達が、彼らに勝手にあげてしまったようである。腹を壊しても知らんぞホンマに。――
他にも意味不明の風習に面食らった。
地方では貴人等が逗留すると、その屋敷の娘などが
(なんやねん、それ!?)
と思ったが、一応合理的な理由があるっぽい。つまり地方ではどうしても近縁者同士の婚姻が長く続き、血が濃くなり過ぎるという。そこで他所者、特に貴人が訪れると、これ幸いとばかり外部の血を取り入れるのである。
当屋敷は我々河内源氏の、いわゆるライバルたる摂津源氏であり、さすがに当家の娘がやって来ることはなかった。しかしオレにひと目惚れした下女達が、
「お情けを頂戴しとうございます」
と、入れ替わり立ち替わりオレの寝床に忍んで来た。弱冠一二歳設定の一七歳
――八郎冠者は、見かけによらず
という噂が彼女達の間に伝わり、誰が見事落とすかと競争になっているらしい。結局一〇日近い逗留の間中、女共に追いかけ回された。モテる男はツラい。――
ともあれ。
この期間を利用し、オレは履物対策を行った。
まず、特大サイズの足袋を沢山作らせた。それから藁ではなく綿を編んだ特大サイズの草鞋も、沢山作らせた。
とにかくカネはある。父、六条判官が充分に持たせてくれた上に、オレ自身のビジネスによる稼ぎもある。総勢六〇人超となる一行を、この先数ヶ月食わせていけるだけの費用は持ち合わせている。
旅装も心許なかったので、カネを払って特大サイズの衣類も急ぎ作らせた。
そういった準備をしているうちに、河内より郎党三〇人がやって来た。一行は、勘当されたガキにはあり得ない大集団となった。
「よし。では出発しよう」
当屋敷の主に礼を言って多額のカネを渡し、港で船と船頭を雇って出港した。既に(旧暦)二月の中旬。気温は多少暖かくなり、風も弱まり波は穏やかであった。
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