武家の癖に、なにゆえ学問まで!?

「拙僧は真言の、名も無き坊主崩れにございまする」

 と、短髪ボサボサ頭の四十男は言った。

 元々は大きな寺で長年修行していたそうだが、僧同士の権力争いに嫌気がさして寺を去り、今は洛外の小さな庵にて隠遁者のような生活をしているという。


「お武家様は、いずれ豪傑として名を上げましょうが、大いに書を読まれれば千載せんざいに不動の名を残す御仁となりましょう」

「ほう」

 オレは思わず、声を上げた。


「では貴方に、書を読む手ほどきを願えまいか」

「は?」

「いや実を言うと、周囲は無学の者ばかりで……。デカい館なのに書物が三冊しか無い上、誰一人としてそれを読めないのです。オレは日頃より武士の無学に危機意識を抱いており、学問の師匠が欲しいと思うておったところなのです」


「なるほど」

 四十男は頷いた。

「拙僧でよろしければ、多少のお力添えは致しましょう」


 彼は、自らを「円空」と名乗った。オレは翌朝より、目覚めると一人、馬を飛ばして京の東の外れにある円空法師のいおりに通った。


 場所は清水寺に程近い、鄙びた土地である。小ぢんまりとした古い庵であったが、よく掃除されていた。円空と同居する一五歳の養女が、日々念入りに掃除をしているらしい。

 源氏ヶ館とは大違いで、狭い室内に沢山の書物が積み上げられている。全て円空自身の手による、写本である。


 オレは円空に、当世の一般教養的な本について、講義を依頼した。

「左様……やはり、まずは四書五経でありましょう」

 儒教を体系化した一連の書物である。館にあった「論語」「大学」「春秋」がまさに、四書五経の一部を成している。


「漢文の読み書きを教わる気はない。中身をざっと解説してくれ」

 と依頼すると、

「武将たる者、それで充分でしょうな」

 円空も同意し、彼の仏教的解釈を交えつつ当世の学問を講義してくれた。易経や詩経は端折った。書経や春秋は意外と面白かった。


 当世の学問メソッドとはまるで異なるが、オレ自らが書物を読みこなすことに拘らず、エッセンスのみを上手く解説してくれるのである。偶然の出会いに導かれ、オレは実に良い師匠を得た。


 毎朝、下女に三人分の握り飯を作らせ、弁当代わりに持参する。

 一刻半程講義を受けると、三人で握り飯を食べる。加えて、館で穫れた様々な野菜を手渡す。それが束脩(授業料)である。


 円空の養女というのは、黒髪ストレートヘアの、綺麗な娘である。名を、お鶴、といった。

 色白で、切れ長の涼やかな目をしており、しかしまだ、どことなくあどけなさの残る愛らしい顔をしている。さらに下膨れならば当世風美人顔ドンピシャらしいが、彼女は逆に頬から顎にかけて細く、美人顔にはあたらないらしい。だが平成っ子たるオレから見れば、ストレート美人である。


 さる公家の幼女を、訳あって円空が預かることとなり、この庵で過ごすこと一〇年になるという。常に、着古しながら清潔そうな衣服を纏っている。何を着ていても垢抜けていると感じるのは、単なるオレの贔屓目だろうか。


「八郎様、どうぞ」

 オレの持参した握り飯に、お鶴が醤油と油を塗り七輪に並べる。軽く焼き目がつく頃合いに、それを皿へと乗せてくれるのである。


 その所作に、まるで無駄がなく、舞いを観ているように美しい。

 日々雑用をこなしている筈なのに、白いなめらかな手。それが手際よく食事を用意するさまに、色気すら覚えた。


 お鶴が用意してくれたお茶と香の物で、焼き握りを食う。これが非常に美味い。

 三人で談笑しつつ、ひとときの質素な食事を楽しむ。彼女はほとんど聞き役に回っているが、たまにさらりとタイミング良く挟むひと言から、知性を感じさせられるのである。


(聡いらしい)

 瞳の動きなども機敏で、ますますそう感じる。

(さすが、円空の養女やな……)

 オレは次第に、彼女に惹かれるようになった。


 昼食を終えると、円空とお鶴に見送られつつ、オレは馬に乗り館に戻る。それから夕方までみっちり、弓術や剣術の稽古に励むというのが日課となった。


 兄達は、どうやらオレのやる事なす事がことごとく気に入らないらしい。

「八郎は、なにゆえあれ程武芸ばかしやっておるのか」

 と陰口を叩いているのを郎党経由で聞いていたが、最近は、

「武家の癖に、なにゆえ学問まで!?」

 とバカにしているらしい。


「大きな声では言えぬが、遠からず京で大きないくさがある。我々源氏はそれに備えるべきである」

 と、親しい郎党達には説明した。


「学問は、人としての嗜みだと思っている。勿論オレは、学者になる気はない。少々齧るだけだ」

 郎党達は、なるほどと素直に納得した様子だが、出来の悪い兄達はオレに対し、大いに引け目を感じるらしく、陰口が止まらない。彼らとは溝が広がる一方であった。

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