学問と称して実はおなごと遊んでおったか
晴れの日は毎朝、師匠円空の庵に通う。
季節が冬に差し掛かる頃、四書五経の講義が終わった。その次に円空が取り上げたのは「韓非子」である。
「人の上に立つ者の心得を諭す、学問でございますな。儒教の思考とは、かなり毛色が異なります」
円空の言うように、「徳」や「智」、「礼」を重んじる儒学に対し、韓非子は現代合理主義に近い感じである。そのギャップが面白かった。
「八郎様は、いずれ人の上に立つお方ゆえ、両方を学んでおくのがよろしい」
と、円空は言う。
彼の講義は実に明快で、オレは随分とのめり込んだ。
のめり込んだのは、それだけではない。オレは、日々接するお鶴に、惚れ込んだ。
彼女もまたオレに対し、好意を抱いてくれているようである。
昼過ぎまで庵に滞在し、馬を飛ばして館に戻る。そして夕方まで武芸の稽古に汗を流す。しかし夜には再び庵を訪れ、お鶴と屋外で短い逢瀬を楽しむ日が増えた。
寒い時期ではあるが、時には彼女を馬に乗せ、清水寺や鴨川の畔を散策するのである。
館には大勢の下女がいる。
美女も少なからず、居る。大抵は兄達そっちのけで、オレばかり意識している。随分と積極的なアプローチをも受けている。しかしオレは彼女達より、清楚で嫋やかなお鶴の方が気になって仕方ない。
ある時、思い切ってお鶴と
しかし、お鶴は仮にも師匠円空の養女である。
いや、円空からそれを戒められているわけではない。むしろ円空は、オレとお鶴が付き合う事を望んでいるようにも見える。
(まあ、焦らんでもええやろ……)
と思いつつ、いまだプラトニックな関係を保っている。
ただ、オレ達が度々郊外でデートを重ねている姿を、街の者に見られた。オレはなにしろ当世の男としては異様にデカいので、夜目にもオレだとバレる。たちまち、
「源氏ヶ御館の八郎様は、若いおなごと夜な夜な逢引きしておられる」
という噂が広まった。
「そうか。八郎の奴は、学問と称して実はおなごと遊んでおったか」
兄達は、よい口実が出来たとばかり、オレを中傷し始めた。
ある時、五男頼仲と六男為宗が二人してオレに公然とケチをつけてきたので、オレは無言で二人の横っ面をぶん殴った。驚いた事に、彼らは思った以上に腕っぷしが弱かった。
二人は早速、父、六条判官に告げ口した。父は二人をその場で殴った。
「八郎が何をしようと、お前達には関係なかろう」
二人は
「八郎も、少しは自重せい。仮にも
と、オレを叱る。オレも素直に、父に頭を下げざるを得ない。
父は、典型的な武家の人間であった。無学で粗野だが、義理人情に厚い。
そんな父が河内源氏の棟梁として、公家に仕えて官職を得ている。魔窟の如き公家政治の間にあって右往左往し、随分と苦労しているらしい。
公家と武家では、気質も倫理観も価値観もまるで異なる。父は時折彼らの指示に背き、おのれの主義に従い身内を庇ったりするという。
過去、同じ河内源氏の源行遠が、郎党に殺された。朝廷は郎党を罪人として訴追したが、父はそれを庇ったそうである。またある時は、伊豆の源光国一行が年貢強奪事件を起こしたが、その際も父はその郎党を庇ったことがあるらしい。
似たようなケースが再三ある。つまり為義は、
「下手人として訴追されているが、彼の言い分にも一理ある」
と思えば庇ってしまう。
「それが源氏の棟梁たる者の、役目である」
と胸を張っているが、朝廷や院の側にしてみればとんでもない話である。
――六条判官は、まるでわれらの指示に従わぬ。
と叱責され、何度も官職を
オレは円空法師という師匠を得たため、この時代に対する理解も次第に深まってきた。
公家は藤原氏を中心に、皇室と深い縁戚関係を結び、長年強固な政治権力を構築、維持してきた。ところが地方行政を蔑ろにしたため、そこに武家が食い込み、公家からコソっと経済的実権を奪ってしまったらしい。
そのため、実力的には武家の方が隆盛した。我が河内源氏もまさにそうである。しかし政治の中心たる京においては、依然、公家に頭を下げて官位官職を得なければならない。つまり当世は、名目上の権力者たる公家と実質的強者たる武家……という上下関係の「矛盾」が生じており、破綻を迎え正常化する「臨界点」にあたるらしい。
(それが今後、保元の乱や平治の乱を経て
大学受験歴史の知識しか無かったオレも、何となく時代の流れというものが理解出来た。
(それにしても……)
意外に感じるのが、武士のひ弱さである。
多少、武芸に秀でた者は存在する。しかし総じて剣術も格闘術もまるでダメで、つまり接近戦に弱くガチの乱闘は出来ないらしい。
(平安鎌倉の武士って、そんなもんなのか)
つまり当世の武家とは、公家よりは多少喧嘩慣れしている……という程度のようである。日々鍛錬を積む自衛隊員を想像していたら、実は街のチンピラレベルだった、といったところだろうか。
兄二人を殴り、オレはそう察した。
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