第47話:東日本大震災の募金

 その後、我に返り、熱海市内の平成芙蓉会の仲間に連絡すると、大きな被害もなく、無事であることがわかった。もちろん、この出来事で、平成芙蓉会の会合が3ヶ月間、中止になり、再会されたのが、7月中旬だった。7月の熱海ので、平成芙蓉会に出席して、石津健之助は、自分よりも先輩の5人の70代以上の方に東日本大震災についての意見を聞くと、全員が、震災孤児の問題が大きなテーマだと言い、将来の日本のことを考えると、震災孤児に対して、援助すべきだと言った。そこで、平成芙蓉会で募金を募り、百万円をあつめて、東日本震災孤児基金の方に、送った。


 2011年4月以降は、以前通り、麻雀と、釣りに出かけて、石津健之助は、いつもの生活に戻り、奥さんは、7月から、今年もバンクーバーとシアトルから、アラスカクルーズの手伝いに、7月4日に、日本を出発して9月中旬まで、クルーズ船にのって、看護の仕事に当たる事にした。平成芙蓉会の仲間と、車で、西伊豆、南伊豆に出かけて、釣りを、教えていた。そして、暑い夏を過ごして、9月16日に、奥さんが、家に戻ってきた。その後、東京、銀座、橫浜へ行って、食事したり、買い物する生活を謳歌して、涼しくなってきた。


 今年も、12月中旬から2月中旬まで、避寒のために、ケアンズに飛んで、隣町のパームコーブのコンドミニアムで、生活して、美味しいオージービーフを食べたりして、過ごした。しかし、オーストラリアの物価が高くなって来て、特に、外食は高く、スーパーでの買い物をして、食べて、過ごし、釣り三昧の日々を過ごした。そうして、2011年を迎えた。その後も、レンタカーを借りて、遠出しても、長く続く、海岸線が続区だけの景色に飽きてきた頃に、日本に戻った。


 東日本で、親を亡くした、震災孤児に積極的に募金活動を奨めようと、平成芙蓉会の会合で、石津夫妻が2011年6月に「NPO未来の子供へ」というNPOを立ち上げると言い、積極的に協力してくれるようにお願いした。その後、東京都庁へ行って、NPO設立の手続きを取り、その年の秋に,正式に発足して、平成芙蓉会として募金を石津夫妻が「NPO未来の子供へ」を通じて、震災孤児の子供の教育資金として、5百万円が集め送金した。震災後の原発事故で、故郷から避難命令が出た、福島の人達の中には、農業を続けられず、首つり自殺を図った人もいたようだった。


 それでも、略奪や、強盗が頻発する事もなく、コンビニに整然と並び、買い物をする人達を見て、世界中の人々が驚嘆した様だ。その後、ガソリンや灯油が不足して、寒い東北でも、苦しんでいる人が多いのを知って、JRを使って、新潟方面から、盛岡へ、日本最大の橫浜の日本石油・根岸製油所から貨物列車で、地震発生後の8日後の3月19日、午前9時45分に盛岡貨物ターミナル駅に、ガソリン、灯油が、届けられた。この光景を見て、石津夫妻は、涙を流して、JRの鉄道員に感謝した。

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