第46話:福祉を考える。

 そして石津三千子は、英語の日常会話には不自由しないだけの語学力を身につけ、旅行会社、クルーズ会社でも名前が知れてきて、仲間が増えて、楽しそうに、仕事をこなしていた。2010年11月7日から16日のクルーズを終えて、奥さんと別れて、11月20日に日本に戻ってきた。石津健之助は日本に戻ってきて、釣りや、麻雀の日々が始まり、東京へ出かける日が多くなったが、東京でも高齢者の人口爆発の問題が、言われはじめ、2025年問題と言う言葉も、知られるようになった。


 やがて、老夫婦が増えて、一般的には、亭主の方が先になくなり、おばあさんだけの独居老人世帯が増えてくると言う。石津健之助も年を取ったら、自然豊かな、熱海の老人施設に入り、余生を暮らしたいと思っているが、将来の病気や、人生の行方は全くわからず、不安だけが募るのだった。やがて、奥さんが年末に帰ってきて、2011年を迎え、近くの来宮神社に、初詣でに行き、今年の夫婦の健康と安全を祈願した。


 1月中旬に、避寒のために、オーストラリアのパースへ6週間滞在する予定で出かけ、最初に石津健之助は、郊外のフリーマントルへ行き、ノースモールという海岸で、釣りをして、6-8匹ほど釣れると、サービスアパートに持って来て、レストランのシェフに渡して、夕飯のおかずにして、冷蔵港に入れて数日、食べたが、美味しかった。その後、エギングをして、大きなイカを、数本、釣ってきて、最初は、刺身で、その後は、焼いて食べたが、これもうまかった。


 しかし、町は、小さく、名所と言われるところを、回り終わると、次に、やることがないことに気づいて、2週間後、ブリスベンに飛んで、ゴールドコーストの海辺のコンドミニアムに滞在して、サウスポーとと言うエリアで、釣りをして、タイを4匹とマナガツオ4匹を釣って、コンドミニアムに持って行き、塩焼きにして食べた。その後、列車で1時間半のブリスベンへ行き、シーワールドを見て、ウオーターパークで遊んで、夜に帰って来た。


 そしてゴールドコーストからブリスベンへ行き、そこから、列車で、丸一日かけて、ケアンズへ移動した。ケアンズに到着して、パームコーブのコンドミニアムに2週間滞在して、釣りや、海で泳いで楽しんで3月2日に日本に帰ってきた。その後、今後の事について話し合うと、既に60歳になって、資産もあるので、何か、我々と同年代の人達に対して、福祉事業を始めてみないかと、石津健之助が提案して、具体的に何をしたら良いのかについて、熱海の芙蓉会の人達や、インターネットなどを調べて見ると、話した。


 その後、2011年3月11日に東北大震災があり、石津夫妻は、熱海のマンションで、昼食を終えて、テレビを見ている時に、大きな地震に、襲われて、外に出るべきか、中にいるべきか迷ったが、結局、部屋の中から出られなかった。地震が収まった3時過ぎ、一度は、電気が切れたが、程なくして、電気がつき、テレビをつけてみると、東北沿岸の津波の映像が入ってきて、愕然とした。仙台空港の映像では、空港内に、洪水が押し寄せ、屋上に全員が避難している様子が移されて、家が流されている、生々しい映像や、気仙沼では、石油コンビナートが大火災を起こしてた。その後も、避難している車のが洪水に飲み込まれる映像など、信じられないような悲惨な映像が流れて、海津夫妻も食い入るように見て気分が落ち込んでしまった。東京から、帰宅するサラリーマン達の行列が、大きな国道を埋め尽くしている映像も流されて、呆然と放心状態で、夜通し、テレビを見ていた。

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