第48話:東日本大震災と地球温暖化?

 これで北東北に、ガソリン、灯油が届いたが、まだ、南東北、宮城、福島には届かない。JRが、苦肉の策として、急勾配の磐越西線、新潟から会津へ走る路線を使い、輸送を始めたが、予想通り、上りの急勾配で、貨物列車の車輪が空回りして、止まってしまった。その事態を予想して、数時間前に、もしもの事態を想定して、JR東日本の会津若松駅長だった渡辺光浩さんが「既に、現役を終えた、旧式のDE10をを用意しとけ」と部下に指示を出していた。そして、D51の機関車が上り急勾配で立ち往生している場所へ、走らせ、現場について、立ち往生していたDD51機関車に連結して、少しずつ動かし始めると、徐々に貨物列車が動き出し、それを取材していた、取材陣のカメラのフラッシュが一斉にたかれた。万歳という声が鳴り響いた。そして2011年3月26日、東日本大震災から15日目に、南東北に、念願のガソリンと灯油が届いた。


 その後も、継続して、輸送活動が続いて、冬の東北の人々を寒さから救った。JR貨物の決死の東北へのガソリン、灯油輸送が成功して、人々に、東日本大震災からの復興の動きが出てきて、被災地へ通じる道路が、開通すると続々と東北へ、自衛隊や民間のボランティア、炊きだし部隊、食料を送るトラックが続々と届き始めた。被災者の避難受け入れを、首都圏で公営住宅を提供したり、多くの施設を開放して、移り住んでもらった。


 それでも、福島の原発から近い地域では、高濃度の放射能のため、長い間、帰宅困難地域への出入りが禁じられた。そして、多くの家畜の命が失われ、現地の農家の人々の苦悩の日々を送らねばならなかった。平成芙蓉会でも、募金活動を継続して、行い、特に、震災孤児のための支援を積極的に行い、バザーを数回行い、石津夫妻の500万円を含め、総合計1500万円を送金した。海外からは、特に台湾での、テレビ放送での募金活動が話題となり、隣の大国、中国や韓国の数倍の規模の募金を送ってくれた。やがて、悪夢の2011年が終わり、2012年を迎えた。


 この年2011年は、気候変更、天変地異の年だった。まず、2月に欧州の大寒波、特にロシアでは215人以上の死亡が確認され、欧州全土で600人以上の死者が出た。3月には、近年地球温暖化の問題が言われているが、この実例として。アフガニスタンで、大きな雪崩により150人以上が亡くなった、2012年末には、スマトラでマグニチュード8.7の巨大地震が発生した。同じ地域で2004年12月26日にもM9.1の大地震で、20万人以上の死者を出した。特に地震の頻発地域では、しばしば、大地震に見舞われた。また、台風も、年々、大型になり、大きな被害をもたらすようになって来た。これは、地球温暖化の影響ではないかと言われている。2012年、石津夫妻は、海外旅行には出かけずに家で、ゆっくりしていた。たまに、麻雀、東京、横浜での食事と買い物をして過ごしていた。そうして、2012年が終わり、2013年を迎えた。

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