第18話:奥さんの退職と新たな経験
この日は、奥さんは仕事で疲れたようで、看護婦の仕事きついから、辞めたいと
言いだしたので、奥さんの考えを尊重するよと答えた。冬の熱海は、日射しが良い
日には、南向きの部屋は20度を、超すくらい、暖かくなる。冬の熱海は忙しい、
1月末から、あたみ桜、糸川桜まつりと熱海梅園梅まつりが同時に行われる。
1996年3月入り、石津三千子さんは、病院を退職することを決めたようで、
1995年3月末付けでの退職願を病院に提出して、正式に受理された。3月が、終わると、今度は、富士吉田から、山梨に入り、桃の花の見頃、きれいなピンクの
桃の花が咲き誇る。今年も、石津夫妻は、レンタカーを借りて、熱海から来宮駅前
を通り熱海街道を十国峠から箱根峠を抜けて右手に芦ノ湖を見ながら、湖尻峠、
長尾峠を抜けて御殿場へ、古典場から東富士五湖道路を端に、山中湖を右に見て
北上して、河口湖へ行き、河口湖大橋を渡り、更に北上して、御坂みちをずーっと
走りると、一宮御坂インタへと続く、そこからは、桃の花の広い畑が続き、まさに
桃源郷となる。遠くから見て近くで桃、桃の花は実に美しいものだ。
一通り見終わると、近くのレストランで昼食をとり、一休みし、来た道を帰って
いけば、3-4時には、熱海に戻れる。1995年4月になると、橫浜の中華街で
昼食をとった。その後、運動のために、元町の急さかを上がり、海の見える丘公園
から、外人墓地、山手の洋館、エリスマン邸、べーリックホールを見て、今度は、
元町に続く急な下り坂と階段を降りて元町に出て、カフェでお茶をして休息を取り、
石川町駅から横浜経由で熱海に帰った。
石津健之助は、奥さんが退職したのを機に、スカイライン2000GTの新車を
買って、早朝に、空いてる鎌倉から、由比ヶ浜、稲村ヶ崎、七里ヶ浜から江ノ島、
更に海岸線を鵠沼、茅ヶ崎サザンビーチ、平塚、大磯を走り、西湘二宮から西湘バ
イパスに入る頃には、前方に富士山、左に相模湾を見ながら西湘バイパスの早川の
分岐点を直進し、根府川、真鶴、湯河原、熱海に戻るドライブを楽しんだ。
1995年6月15日朝、株投資の石本聡さんから電話で、ソニー株を3750円で1万株、3750万円で買うようにと連絡があり、N証券の担当者に指示すると、買えたと連絡があった。
1995年7月、8月の暑い日は、東富士五湖道路を使って、高原の涼しい所で、
涼みに行った。8月、夏本番になると、御殿場、富士吉田を抜けて、山梨県に入り、
韮崎から、高原の避暑地、清里で、涼しい夏を満喫して、夜遅く、熱海に帰ってく
るドライブに出かけた。そうして、9月に入り、加納夫妻のカラマラン・クルーザ
ーヨットに、石津健之助が、奥さんを誘って、酔いそうになったら、すぐに岸に戻
るという条件で、誘うと、怖いけど、興味があると言い、乗り込んで、伊東までの
ショートクルーズに出かけた。夏の海は、穏やかで、天気も良く、加納さんのカラ
マラン・クルーザーヨットは、安定性のの高いカタマラン、双胴型で、揺れが少な
いのが特長であり、全く、船酔いせずに、1時間ほどで、熱海に帰ってきた。
10月、11月と過ぎて、1995年11月15日、早朝に、車で、清里高原へ
向かい、高原の一足早い、紅葉を見に行くと、紅、黄色に色づいた木々が、おりなす素晴らしい自然の色のコントラストに、しばし、時を忘れて感動した。
その後、諏訪湖に出て、信州そばを食べて、出始めた、信州のサンふじリンゴを
10kgの箱を買って、熱海に帰り、お世話になってる管理人さんや、加納夫妻に
配ると、喜んでもらった。やがて12月が巡ってきて長年親交のあった中村小夜子
さんと、お別れした1995年が終わり、1996年を迎えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます