第16話:中村さんの急死1

 1995年1月12日、寒い日、中村さんから、風邪をひいてみたいで、高熱で

、動けないと連絡があり、慌てて、石津三千子さんが、管理人さんに事情を話し

て、合い鍵で部屋を空けてもらうと、彼女がベッドに横になっていた。熱を測ると

39度を超え、関節が痛くて、昨晩から急に熱が出始め、悪寒がしたと言った。


 管理人さんに車を借りて、近くの開業に、石津夫婦が行き、診察してもらうと、

インフルエンザの疑いがあると言われ、湯河原厚生年金病院の救急に電話をして、

救急車を手配し、奥さんがついて病院に向かった。旦那さんはマンションに戻り

管理人さんに借りた車を返し事情を話した。午前10時過ぎ、インフルエンザ

の可能性が高い様だと、奥さんから電話が入り、このまま病院で仕事をして、

夕方に帰ると言われ、家で待ち、夜18時半に、家に戻ってきた。


 そして、中村さんから、もし、私に、何かあったら、部屋のタンスの上段の左の

引出に封筒があるので、読んで、その通りにして欲しいと言われた事を話した。

 そうして、翌日、1月13日、中村さんは、一進一退の状態が続き、4日目、

1月17日に、肺炎を併発して、5日目、1月18日、早朝、帰らぬ人になった。


 その週の土曜日、1月20日に、管理人さんに事情を話して、中村さんの部屋の

鍵を開けてもらい、タンスの上段の左の引出の封筒を取り出した。そして、封を開

けて、文面を読むと、私は、石津さん夫婦と、知り合って、また再び、生きる活力

をもらって、楽しい日々を過ごさせてもらった。また、歌も、みんなの前で歌えて、

本当に幸せな毎日で、特に、魚を釣ってきた日の夕食に招かれて、美味しい魚と、

酒と、楽しい話を聞くのが一番の楽しみだったと切々と書いてあった。


 しかし、私も80歳近くになって、体力の衰えを感じ、いつ、何時、倒れるかわ

からないので、ここに、遺書を書いておきますと書いてあった。次の便せんの冒頭

に、遺書と書いて、私の、預金通帳が一番下のタンスの引出の着物の下に置いてあ

りますが、また、宝石類を預けてある銀行も記しておきます。この遺産を全てを、

お世話になった、石津夫妻に、相続していただきたいと思っていますので、何卒宜

しく、お願いしますと書いてあった。


 最後、追伸として、赤道を渡る、瞬間、私は、最初に舞台に立った様な、感動を

思い出しました。そんな、素晴らしい、瞬間を与えてくれた、石津夫妻に、本当に

感謝しています。本当に、素晴らしい、晩年の4年間を与えてくれてありがとうと

締めくくって、実印も押してありました。最後の文字が、滲んでいたのを見つけて、

文書を見ていた石津夫妻の目に、大粒の涙が、あふれていた。


 そして、管理人さんが、確かに、中村さんの遺言書を確認しましたと、きっぱり

と言った。石津健之助が、葬式をしなくちゃなと言うと、せっかくだから、葬式の

記事を地元の新聞に、載せましょうと、奥さんが言うので、そうしようと答え、

1月22日の地元の新聞に載せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る