第5話

その晩────ロンバー邸。

単身帰宅したロゼにシエラは驚きを隠せなかった。

そして彼女の口からタクトの現状と長老の話を聞き、その双方にやはり苛立ちを隠せず眉間に皺を寄せた。


「なんで護衛役が護衛出来ない状態になるのよあのバカ……長老も長老でお嬢様を守る役目の者も付けず独りにするだなんてマジ信じられないわ全くなんでそんな」

「シエラ……シエラ!!」


苛立ちのあまり1人でブツブツ呟いていたシエラにロゼは声を大にして呼びかける。


「……はい、お嬢様」

「あまり彼らを責めないで頂戴。色々考えた結果だし、彼が要求を呑むきっかけを作ったのは他ならぬ私なんですから……」

「ですが……」

「ですから次は私がタクトをお助けする番だって思ってますの。彼が私を旅に連れ出してくれた様に、彼をあの町から連れ出して差し上げたい……。

その為に、久方振りのお歌のレッスンをシエラにつけて頂きたいんですの」


ロゼの真剣な目に、シエラは根負けした。


「……分かりました。仰せの通りに」




ラヴィアンでは、タクトが長老の家の地下にある牢屋に入っていた。最低限のもてなしとして三食の飯とそこそこ質の良い寝具、暇つぶし用にパズルを提供されたが、やはり牢屋は牢屋である。

だが彼は信じて待った。ロゼは自分を裏切る様な娘でないとひたすらに信じて待った。

長老の昔話も半分聞き流しながら、彼は寝具の上でその時が来るのを待ち続けたのだ。

永遠とも思える時が流れ、何度も夜を明かし朝を迎え、旅の停滞に少々不安を覚え始めた四日目の昼、その知らせはタクトの耳にもしっかりと届いた。


「良かったですな旅の人、あの少女は帰還なさったそうじゃ。

……あの娘が絶望する顔が見られる」

「────どういう意味だ……?」

「その為のあなたですぞ。何故一端の長老が若者を信じず捕虜に捕ります?……あなた方は人が良すぎたのです。ワシはもう長老などではござりません」


ニヤついた顔の下、首元に赤黒い斑点が浮かび上がる。否、それは凝視すれば複雑な模様を描いていた。


「……あの娘は別の者が応対している。お前さんには冥土の土産に真実の一つでも話しておこうか────?」




ワシ……いやワタシは魔族の下っ端として生を受け、魔王様が直々に育てた眷属の1人だ。

ある日魔王様はワタシにこの町の財を奪う任務を授けて下さった。ワタシは得意としていた幻術をこの町にかけ、自らを次期長老として演じる事で、この町を手に入れた。

あとは密かに魔族を通してこの村の名産だったバラを密輸すれば良かった。

そこに突然出てきた忌々しい勇者……!!

ワタシはヤツの侍らせていたガキに正体を看破され、危うく消されかけた……だが魔王様は任務をしくじったワタシを見捨てず、こうして肉体を与えて下さった!自由に変化し、より純度の高い魔力を行使出来るようにして下さったのだ!!

嗚呼なんと寛大な御心なのだ!!


「……その心に報いる為、貴様はなんとしても消さねばならん。図らずも真実を知った貴様を、生かしてはおけぬからのォ……?」


「長老!町が!」

「なんじゃ騒がしい、後にせんか」

「町が薔薇で埋め尽くされッッ……!」


その町人は最後まで言う事無く、その場に倒れた。その口から、いばらが飛び出している。


「────薔薇?」

「あなたは博愛の精神を持っていませんのね、長老様?この【咎薔薇】は心の優しい人を襲う事は絶対になくてよ?」


あなたは……悪い人、なのかしら?


そう言うロゼの眼には明確な敵意が見えた。

どうやら手に持った麻袋に【咎薔薇】の種が入っているらしい。今にも長老に投げ付けんと様子を伺っている。


「待て、貴様の連れはワタシの捕虜になっているのだぞ?これ以上ワタシの町を荒らそうものならこの男の命は無いぞ…………?」


ロゼはあっさり従い、麻袋を足元に投げた。

その後ろから来た大男二人に両手を拘束され、つたの様なもので捕縛されてしまった。

彼女はどうするつもりなのだろう。


「────タクト、少々お待ちになって?」


そう微笑みかけ、息を深く吸ったロゼ。

その穏やかな声と顔に、危機的状況にも関わらず俺の緊張は綻んでいく。


好機チャンスは、風が運んで来ますわ。耳を澄ませば聴こえるはずですわよ」


言われた通り耳を澄ますと、遠く、ピアノの音が聴こえる。

まるで微風そよかぜの如く優しいその音色は、まるでそのかなでが不完全であるかの様に、別の音の加わる事を催促している様でもあった。


「やられてばかりは癪ですわ、ここは一つ反撃致しましょう。タクト、私のお歌、聴いて下さいますか?」


彼女の少し不安そうに揺れる瞳に、俺の迷い一つない顔が映る。


「もちろん聴くよ。その為に待ってた」


俺の右手が途端熱を帯びて激しく明滅する。

甲には無かったはずの紋章が浮かび上がる。

まるで俺に『闘え』とでも言わんばかりの強い光は、かたちを変え俺とロゼの手元に分かれ、ロゼの手元で桃色のインカムに、俺の手元で純銀の剣に変わった。

並々ならぬ力で拘束を振り切り、ロゼは長老に告げる。


「先刻の貴方の言葉、お返し致します」

「何……?」


ロゼは明確に三拍子を刻み始めた旋律に乗せて、深く息を吸った。

彼女が歌うのだ。



彗星が地平線と出逢った日のお話

Un,Deux,Trois...貴方が教えてくれた話

薔薇園の少女は茨の中を駆け抜けて

傷付いた翼を独り繕うのです────



静かだが確かな芯のあるロゼの歌声に、俺の心は徐々に彼女に彩られていく感覚が沸き起こった。それに呼応してか、右手の甲に浮かぶ紋章が一頻ひとしきり強い熱と光とを帯びて閃く。



────はじまりの音を響かせて。

あなたとなら、闇をも越えられる……多分

少し怖いけど 大丈夫

手を取って2人でいられれば……


いつの日か思い出す物語

遥か昔の物語

Un,Deux,Trois...あなたの────



気が付けば俺の腕は純銀の剣を横一文字に振り抜き、長老として永くこの町を騙し続けた男の腹を斬り裂いていた。散り逝く薔薇の花弁の如く、その鮮血は俺の一張羅だった貰い物のシャツをまだらに汚し、部屋の家具という家具を赤く染め上げた。



────愛を語らうおはなし。



長老は俺の一撃で絶命したらしい、その体は斬った口から黒ずみ、やがて灰になって壊れてしまった。


「────タクト……」

「とてもいい声だったよロゼ。その……なんて言えばいいのかな。まるで心の底から元気が出てくる様な……不思議な感じだった」

「シエラ曰く、これが『癒しの力』らしいんですの。ボソボソと【第6音】とも言ってましたけど────」


これからは色々考えなきゃならない。

だが今はとりあえず、再会を素直に喜びたかった。


「……ホントありがとうな」

「いえ、これも旅の連れのお役目ですから」


ロゼは俺に変わらず微笑んでくれる。

俺は何か申し訳ない気持ちになってしまう。


「……さて!私とタクトの再会を祝して少し奮発致しましょう?路銀はまだまだありますから、1回なら、ね?」


この笑顔には敵わないな、と俺は内心微笑んで、彼女の提案に乗って、近くの市場までの買い出しに一緒に行くのだった。




────その頃、魔族領。

魔王の居城【パンドラ】では、魔王の重臣達が慌てた様子で王の間まで駆けてきた。


「なんだ、鬱陶しいぞお主ら。妾の睡眠を妨げてくれるな、とあれほど言っておったろうに」

「事態は急を要します。────各地の【歌姫】が、覚醒しかけておるのです」

「ほう……?」


寝台の上でゴロゴロしていた魔王が体を起こし、興味津々という眼で重臣に目を向ける。


「という事は、が?」

「いえ、それはまだ確認がとれておりま」

「すぐにせよ。さもなくばね」

「……はっ。至急」

「妾はしばらくねむる。まつりごとは任せたぞ、

「…………」


ヴァルトホルンと呼ばれた筋骨隆々の大男は、その表情を鉄の仮面で隠していた。

無言は肯定とみなし、魔王は早々に眠ってしまった。【勇者】との再会という、彼女にとって史上最大の快感に身震いさせながら……。

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