第4話
街道はそよ風が吹き抜け、陽気と相まって元いた世界──これからは『現実世界』と記すが──の雰囲気を感じた。
「────♪」
鼻歌を歌って上機嫌なロゼ。足取りも軽く、彼女が一番彼女らしい顔をしている、と俺は思った。
とりあえず今日は隣町まで行けたらいいな……と短期的に目標を立てて、未舗装ながらも綺麗に整った道をひたすら歩いた。
隣町ラヴィアンに辿り着いたのは昼を少し過ぎた頃だった。
屋敷の近くの市場より活気があるのは気のせいだろうか。心做しか人の往来も頻繁な気がする。俺はロゼの手を握るのを強めた。彼女もまたここではぐれてしまわないか不安だったのか、俺の手を握り返した。
宿を探して町の中を歩くが、中々見当たらない。もしや無いのだろうか。
「ロゼ……もしかしたら今晩は野宿になるかも知れない。申し訳ないな」
「旅に出ると決めた時から決心はついてますわ。タクトとなら問題ありません」
なんて信頼なのだろう。深過ぎてこちらが心配になるくらいである。
ともあれ、俺は二人分の寝袋とテント、携帯用の食事の入ったカバンに早速頼るのを無念に思いながら、町を歩く他ないのであった。
その日は成果も何も無く夜が訪れ、町の外れの茂みにテントを構えて野宿となった。
自分の非力さを悔やみ切れず、睡魔が過ぎ去った夜中に俺は小枝を掴んで素振りをし始めた。彼女を護り、アイドルに育てる使命を果たす為には、恐らく俺も強くならねばならないと思ったからだった。
────否、その使命を果たせそうもない自分を、見ていたくは無かったからかも知れないが……。
時が静かに経ち、気が付けば握るものは小枝から倒木の太い根に、挙句には二つに割れた幹になっていた。白み始めた空の下、汗に塗れた衣服も気にせずただ一心に素振りしていた俺だったが、遠く鳥の鳴き声が聞こえてふと我に返ると、寝ぼけ眼を擦ってテントから出てきたロゼと目が合った。
「……おはようございます、タクト」
「おはようロゼ、よく眠れた?」
「かく言うタクトは一睡もしてませんのね」
……そうだ。俺は眠っていなかった。否眠れるはずも無かった。その事を彼女に言えるはずも無く、俺は早々にテントをしまって二人で朝食を摂り出発する事にした。
ラヴィアンを立ち去り、俺達は人の多い都市部を目指す事を話し合った。一番近い都市は【
二人の目指す方向が定まり、早速町を出ようとすると呼び止められた。振り返るとそこには老人がいるではないか。
「もし、旅のお方。この老人めを少しばかり助けてくれはしないものじゃろうか?」
「何にお困りですか?」
俺より先にロゼが答えた。俺も同じ事を聞こうとしていたからどちらでも良いのだが。
「実はワシはこの町の長老をしておる者で、パームという者なのです」
「あら、長老様でしたの!偉そうな口調で申し訳ございませんでしたわ!」
「いえいえとんでもない!!ワシが頼む方なのですからお気遣いなさらぬよう。
ででして、本題はこの町なんじゃが……」
長老が語った話はこうである。
この町ラヴィアンは元々バラの有名な産地で、商人のみならず貴族もわざわざ買い付けにくるほどの、良質で耽美な香りの漂う町だったという。活気も、現在の非になど到底ならなかったという。
だがある日を境に、バラは全く咲かなくなってしまった。かつて魔族が人間界に攻め入り、この土地までもを穢していったらしい。
その穢れは未だ祓えぬままであり、バラの商人は皆出稼ぎへ行ってしまった為に活気が衰え、あの頃の名残は全くと言っても過言ではないほどに無くなったのだ────。
そこで旅人に長老は問うのだ。
『癒しの力』を持つ者はいないか、と……。
「人と違って、自然は魔術の類で癒せるものでは無いのです。時間をかけて手ずから繕っていくか、『癒しの力』を以てして治すか……その二つしか、方法は無いのですじゃ」
「『癒しの力』とは、具体的にどんな?」
「……古い言い伝えじゃ。文献がこちらに」
そう言い渡されたのは【Produce Note】と記された本。だがロンバー邸でシエラに見せられた物とは表紙の色が違う様である。
「……この【Produce Note】、或いは【プロデウスの手記】は……数多くあるでの。あなた方が見たものとこれでは内容も書かれた時期も違いますじゃ」
────『前世のプロデウスが7人の【歌姫】を侍らせた』という記述は嘘であると推測する。
【歌姫】は本来6人しかおらず、実際に魔王討伐に参加した【歌姫】は4人だけであったという偽典の記述は間違いとは言いきれぬものである。
6という数字を忌み嫌って7に書き換えられたものである説が最有力だが、真偽の程は定かではない……。
というメモ書きが挟まっていた。
「ワシがこの本を入手した時から、誰が書いたとも知れぬその羊皮紙の覚え書きは挟まっておった。
何か意味があるものと思って取っておいたものじゃが、この村の者の蓄えあるだけ売っても買えぬ羊皮紙が何故あるのか────」
記述は尚も続く。
────魔王討伐に参加した4人のうち、最初にプロデウスと出逢った【歌姫】は『癒しの力』を持っていた。名の通り万物を愛し癒し得る薔薇の如き力である。
この力は魔力の根源たる大地をも癒し、植物を活かし、動物を蘇らせる。
彼女の名は伝わっていないが、力を受け継ぐ者の素質として、本能的に愉快を求める傾向があり、プロデウスは旅路を導かれていくものであるという伝承が南方の村キャロウで確認された。
「────『癒しの力』を持つ【歌姫】は、言うなれば『楽しい事』を求めて動くのですじゃ。だからこうして数少ない資産を割いて【
長老の話を聞いて、俺は1つ疑問が出来た。
プロデウスに関わって度々話に上がる【歌姫】の存在……これはプロデウスと同じ様に受け継いでいくものなのか、それとも永久に同じままの何かなのか、という事だ。
「プロデウスがそうである様に、【歌姫】もまた別の者へ引き継がれていきます。プロデウスが見つけていくしか無いのですじゃ。勇者以外の者に、【歌姫】を惹き付ける力はありませんからの」
「私からもよろしくて?」
ずっと考え込んでいたロゼが口を開く。
「【歌姫】が、大地を癒すのですよね?魔族の王たる【魔王】を討伐する、というのにも随行しなければならないのですよね?
────もし私が【歌姫】だとして、歌うのはまだしも争うのは出来ればお断りしたいものですね……」
「だが、それが使命ですじゃ。もし貴女が【歌姫】でなかったとして、別の誰かがやらねばならん事なのですぞ。
そしてその誰かがしくじれば、この世界は滅んでしまうのです……!」
長老の眼は若干の怒りが
ロゼの気持ちはもちろんよく分かった。俺はゲーム好きではあるが、大人数でワイワイ楽しくやりたい人間だった。戦うのではなく、あくまで競うという
だから俺は自分がもし『お前は勇者だ』と言われたとて、闘う事を放棄してしまうだろうと思っている。本気で何かを成し遂げた事の無い、そんな腰抜けの弱虫である事は確かな事だった。
だが、責任は転嫁すれば後悔する。
責任があってこそ成立するものは星の数ほどあるのだ。
お前達は逃げているのだ。
魔族ではなく、己の弱さから。
この長老の眼はそう言っている様だった。
この世界での俺はまだ産まれたばかりだ。
未だ何も成し遂げぬ、まっさらな
今からでも、ここでなら修正できる。
俺はこの世界で今、また逃げるのか、或いはまだ逃げず立ち向かうのか、その最初の岐路に立たされているのだと実感した。
俺は現実世界でどんな人間だった?
最期の頃はそこそこ真面目にやろうとしたが、結局成し遂げられずに堕落した人間だった事は火を見るより明らかだった。
ならばもっと初期の段階でやる気になれば?
俺は俺を変えていけるのではないだろうか?
「────ロゼ、この町を癒せるか?
俺も最大限、サポートするつもりだけど」
俺は気が付けば脳より早く口が動いていた。今後の人生の進行方向を決める大事な舵取りを、穴だらけの帆で無理やり執る様なものだった。だがこの際、無理矢理でもどうにかなる、いやするという無謀な自信慢心が、俺の心中に渦巻いていたのだった。
俺の言葉にロゼは最初驚いた様だったが、まるで『その言葉を待ってました』とでも言わんばかりの笑みを俺に見せてくれた。
「────不肖ロゼ、出来るかは分かりませんがこの町を癒してみましょう。ただし」
まさか条件を付けるのか?
俺は次言う言葉に緊張してしまう。
「────お歌は久しぶりなので、メイドのシエラを呼んでも結構かしら?レッスンを付け直して貰ってから、この町を癒します。完璧に歌えなければ、この町に失礼ですもの」
「それは結構!ならばこちらも一つ」
長老の顔が一変する。盤上で遊戯をする策士の顔だ。
「その殿方────タクトさんと言いましたかな。そのお方はこちらに留まって頂きたい。昔に同じ取引をして逃げた者がおりましたから、ワシとて不安なのですじゃ」
「……俺は構わないが、一人で大丈夫か?」
「構いません。私は逃げるつもりなど毛頭ありませんもの。少し戻るのが遅くなる事があったとしても、タクトを置いてはいきません。絶対に」
ロゼは俺の手を両手で包む様にして握る。そのほのかな温かさに、緊張まで溶け落ちてしまいそうになった。
「どうか待っていて下さい、タクト」
ロゼはこうして一旦ロンバー邸に帰宅する事となり、俺はラヴィアンでの生活がはじまるのであった。
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