第3話

ロゼちゃんをアイドルとして売り出す事がパパさんとの話し合いで決まり、俺はその後予定が無いのをいい事に『ロゼちゃんに』体で街へ繰り出した。

彼女は度々こうして屋敷を抜け出しているのか、妙に街に慣れている様である。


「ここの紅茶、とっても美味しいんですのよ。それともタクトさんは珈琲派だったかしら?」

「どっちも飲むよ。というかさん付けしなくても良い。呼び捨てで」

「……じゃあ、タクト。紅茶でも如何?」

「ありがたく頂くよ」


本来なら立場が逆なのが普通なのかも知れないが、生憎この世界の通貨はまだ一銭すらも持っていない。日本語が通じるのがせめてもの救いだと思って、恥ずかしさもあったが彼女に奢ってもらう事にした。


「ミルクティーか?」

「ただのミルクティーだと思ったら大間違いですわ、飲んで下さいな」


促されて一口飲むと濃厚な茶葉の薫りが口いっぱいに広がって、なんとも言い難い多幸感がやって来た。しかも後味が意外とすっきりしていて飲みやすさも十分だった。


「ここのお店のオリジナルだそうです。あんまり美味しいから誰かに伝えたかったんですけれど、シエラに言ったら怒られるのが関の山ですものね────。

でもやっぱり、一人より二人の方が美味しいですわ。いずれは屋敷の皆と来たいものです」


やはりこの時間を楽しんでいる様だ。この笑顔が沢山の人を癒すだろう────そう考えると、アイドルは彼女の天職かも知れない。

と、どうやら今日はお祭りか何からしい。遠くの方からやけに騒がしく賑やかな声が聞こえてきた。そんな声をロゼちゃんが聞き逃すはずもなく、彼女は急に立ち上がると俺の手を握った。ほんのりと熱を帯びた左手から、『音の方へ行きたい』という確固たる意思が感じ取れる。


「────」


ロゼは俺の言葉を待って、頭2つ分下から様子を見ている。うずうずして今にも跳ねるように走っていきそうな感じだ。


「分かった。いk」


『行こう』と言い切る前に、彼女は目を輝かせると俺の腕を引っ張って喧騒へ飛び込んでいった。俺はもうされるがまま、彼女の導くままについていく。




そこは円形の広場で周りをカフェが囲んでおり、催し物をゆったりと見られる人気の場所らしかった。俺とロゼはそこに群がった人々が、中心ではやされる娘達のオーディエンスである事を理解し、そしてその少女達の歌を聴いて俺は絶句する。



懐かしい想い出達何時の間にか零れていくね

過去の願い、明日の空、今日の事さえ

いつか思い出せなくなるのかな……。

子供の頃に描いていた憧れとか将来の夢とか

忘れたくはないんだ

翼はためくうちは


暁色の空に(僕らは)

金星が踊る夜にさ(誓った)

月目掛け(飛べ)地を蹴って(to be)

届け!あの日の僕らへと────



────俺はその曲を知っていた。

【RosE】のリーダー・らんらんこと緋崎ひいざきらんがはじめて作詞・作曲に挑戦した、【庭師】にも思い入れの深い曲である。

タイトルは【to be】。後に数々の神曲を歌う事になる彼女達の、記念すべき10thシングルである。



Shout!Loud!!Doubt!!!声を挙げろ!!

オゾンさえ貫く程の声で

I'm stay singing for you...

So the highest sky of the world anythere...



俺が言葉を失っているのを見てか、ロゼちゃんも集中して彼女達の歌を聴いている様だった。その目には何が映ったのだろう。


「これが────アイドル…………」


その時の呟きを俺は聞き取れなかった。

彼女が思った事、それは一体何だったのだろうか。俺はもちろん、知る由もない。




翌朝。

俺はローゼンマリアさんから支給された布団で目が覚めた。そして見慣れない天井を見て、夢ではない事を悟った。

おもむろに体を起こし、自分の部屋のものが何一つない事、すぐ近くを通る電車も、遠く空を駆ける飛行機もない事、チャットもゲームもこの世界にはない事が頭を巡り、次第に冴えてきた脳みそで色々整理する。


────仕方ない。紙を調達しよう。


俺はごちゃついた頭を日記で整理する為に、市場まで行ってみる事にした。

……行ってはみたのだが。


「紙?そんなものあるわけないだろ」

「紙は高いからねぇ。羊の皮ならあるよ」

「髪ぃ?あるならワシが欲しいわい」


────無かった。紙が無かったのだ。

どうもこの世界では紙は高級品らしく、代用品は羊の余った皮や樹皮という原始的なものらしかった。何か1人かみ違いだった人がいた気がする様なしない様なだったが。

しかたなく俺は紙を諦めて、再び頭で整理する事にした。


まず……ここはロンバー邸。元々爵位では【下級貴族】だったロンバー家だが、中流階層相手の交易の仲介、貿易港開港に際しての交渉役の請負など、得意の話術を活かしての独自の交渉プロセスにより見事【中級貴族】に成り上がりを果たした有数の豪商貴族である。

その立役者でもある現ロンバー家当主が、ロゼパパことローゼンマリアさんだ。元々親譲りの話術を武器に、独自の交友・貿易関係を築いたやり手の実業家であり、悩める子羊?達を導く占術師でもある。

まさに頼れるナイスガイ(と言ったら本人は怒るだろうが……)といった感じの人だ。


……ここまで整理して、俺の頭は疲弊してしまった。貧弱なこの脳も鍛えなくちゃな。

と俺が思っていると誰かが俺の部屋のドアをノックする。


「はい」

『シエラよ、入っても結構かしら?』

「どうぞ……?」


緊張する。果たして何を言われるのだろう。


「神門磔兎」

「はい」

「お嬢様を……どうぞ護って頂戴」


意外な言葉が飛び出してきたものだ。

俺がその真意を問うと、シエラは窓の外で小動物と戯れるロゼちゃんを見て心苦しそうに答え始めた。


「お嬢様には……護ってくれる母親も姉妹もいない」

「……ローゼンマリアさんは?」

「激務でお疲れになるので、面倒はいつもメイドがみております。ですがお嬢様にとって私達はあくまで教育者。心を休められるあの花園の様な場所が、今のお嬢様には必要なのです」


どういう事なのだろう。護る────と言っても、街は平和そのものだったが。


「あんまり言いたくはないけれど……前に見せた本を覚えているかしら?

……あの魔王は今も生きているのよ」


背中の辺りを気味の悪い冷気が撫で回した様な感覚に襲われて思わず身震いしてしまう。


「これは私の本心ではないけれど……あなたがもし、本当に、万に一つの事があってあの本に登場した様なプロデウスだったとしたら、あなたはその手で魔王を倒さなければならない。7人の歌姫を侍らせて、ね」


そんな事が俺に出来るだろうか。

……いや、もしそうならやらなくちゃいけないし、逃げる事だって出来ないだろう。


「ま、そんな事有り得ないでしょうけど。

で、タクトさん。ご主人様から伝言を預かっていますからここで拝読させて頂きますわ」


相変わらず酷い毒舌だなぁ、と思ったが、不思議と慣れればそんなに苦にはならないものである。


『転生ボーイのタクトきゅんへ♡

もうこっちの生活には慣れたかしらン?

ワテクシの再愛のロゼちゃんもあなたとの『街デート』楽しんでたみたいよォ。

次行く時はちゃんとワテクシに言ってね♡

でないと愛のムチでしごいちゃうわよォ?』


がっつりバレてるじゃないか。しかもバラしたのはロゼちゃん本人っぽいぞ。一瞬手紙から殺意すら感じた気がする。


『……でェ、色々話したい事はてんこ盛り盛りなんだけどネ、言わなきゃいけない事がいくつか出来ちゃったから端的にしちゃった♡


①ロゼちゃんと二人で長いデートしてね♡

②勇者見習いとして訓練を積んでね♡

③勇者になったら最後、魔王を倒してね♡


オネエさんとのや・く・そ・く・よン♡♡』


「……という事よ」


いつの間にかシエラの手には色々詰め込まれたカバンがあった。どうやら地図とか非常食とかがあるあたり、冒険するみたいな感じに見えるのだが。


「お嬢様との『長いデート』よ。精一杯苦しみながら楽しみなさいな。……私が代わりに行きたいくらいよ……!!」


応援しているのか妬んでいるのかよく分からなかったが、俺はカバンを受け取ってローゼンマリア邸を出る事となった。


「ロゼちゃん……いや、ロゼ」


ここははっきり、少し厳しめに言おう。

もしかすれば、旅に出たがらないかも知れないし。


「?……改まって、どうしたんですの?」

「俺と、俺と一緒に、旅をしてくれないか」


そう言って俺は手を差し伸べた。

旅。そのフレーズが彼女のほんのり赤くなった耳に入り、しっかり頭で理解するまで、俺は手を伸ばしたまま返答を待った。


「……分かりました」


少女はゆっくり薔薇の中から立ち上がる。そして俺が差し伸べた手を取って、薔薇をジャンプして飛び越えてきた。


「旅……。どんなものになるかはまだ分かりませんが、楽しくしたいですわね、タクトさん」

「呼び捨てで良いよ。俺が君の事を、ロゼ、って呼んで良いなら」

「ふふっ。もちろん良いですわ」


俺は内心ホッとしてシエラを振り向く。

物凄い鬼の形相……かと思いきや、彼女は泣いているではないか。どうしたんだ、と思っていると、ロゼが俺から離れてシエラの方へ駆け寄って行った。純白の前掛けに抱きついて、何か言っている様である。俺のいるところからは聞こえないが、恐らくこんな事を言っているのだろう……と想像してみた。


『お嬢様……?』

『シエラ、私は大丈夫ですわ。あなたはタクトさ……タクトの事を好きではないのでしょうけれど。私は彼の事、今のところ結構お慕いしていますのよ?』

『お……おぉ、お嬢様……!!』


ロゼが俺の方へ戻ってきて、手を繋いでくる。俺を握り返して、屋敷に背を向け歩き出した。

「シエラさんに何て?」

「『私なら大丈夫。帰ってきたらご褒美を一つ、なんでもあげます』って……」

「……それ、本当に大丈夫なのかな……」


屋敷の門が開き、街から都市へ繋がる街道に出る。さあ、ここからは二人の旅だ。

俺は1回深呼吸して、心臓の高鳴りを抑えつけるように歩き出した。

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