第一章 麗華は楽園に咲く

第1話

濃淡様々の花が咲き誇る花畑を真っ直ぐに伸びるレンガ敷きの道を歩いていると、磔兎は1箇所だけバラだけが密集して咲いている場所があるのに気が付いた。妙に『そこへ歩いていけ』という意識が働いて、半ば勝手に足がそちらへ進んでいた。


何かを護る為の盾の様に咲く薔薇のとげに囲われて、彼の今後を決める出逢いは果たされた。そこに寝転びスヤスヤと小さく息をする少女は作り物と思ってしまう程整った顔で、触れれば砕け散ってしまいそうな儚さを帯びていた。閉じられたまぶたから生えるまつ毛は長く、ゆったりとした曲線を描いて天を向いていた。


『当家ご令嬢、ロゼ=アインズ・ロンバー』

「ぎゃっ」


背後に銀縁眼鏡を掛けた長身のメイドがいるのに気が付いて、磔兎は素っ頓狂な声を挙げる。


「失礼ですこと。あなたが異世界人でなければ消し炭にしてあげますのに。……まったく先代のジジイ」


……なんか最後恐ろしい事を言ってた様な?

俺はビビりながらも、メイドに問いかける。


「えっとぉ……ここは何処ですか」

「────なるほど、ですか。……こほん。

ここは上流貴族ロンバー家の庭園ですわ。あなたの階級は?」

「……そもそも貴族じゃないんだが……俺のいた国じゃもう100年も前に貴族はいなくなったんだ」


メイドの顔が嫌悪で引きる。

そりゃそうだろう。平民が貴族の庭にいるのだから、このメイドが嫌がるのも無理はない。


「────あなた、まさか何もお知りでないのかしら?」

「……少なくともここの知識は全く。気付いたらここにいたんだよ」

「……嗚呼面倒臭い。これだから【転生者】の受け入れは嫌だったんだ、ってのに先代のクソジジイがよォ……!」


……このメイド、よっぽどその先代とやらが嫌いな様である。それにしても【転生者】とか聞き慣れない単語が聞こえたのだが。


「……全部一から説明するわ、仕事だから仕方なくね。良いこと?説明を受けたらここから消えなさい。あなたの様な平民に居られると屋敷もお嬢様も穢れてしまうわ」


相当ストレスなんだな、平民に対しての偏見や嫌悪感もかなりのものである。


「わたくしはロンバー家専属の給仕団【コラール】のメイド長シエラと申します。あなたの名前は正直知りたくもありませんが、名乗らなければ駄犬と呼びますよ」

「神門磔兎です」


即名乗った。駄犬と呼ばれちゃたまったものではない。きっととんでもない生活が待っていた事だろう。


「ふん、平民のに名前があるのですね?生意気ですこと」


随分ないい草だったが、俺自身が抱いていた貴族のイメージと大差無いせいか、そこまで傷つく事もなかった。




「……あなたがいた場所とこことは、世界の構造が根本的に違うわ。ここでは魔法が使えるし貴族や王もいる。……そして魔族も」


メイド長のシエラ──苗字はトロイメライと言うらしい──は何だかんだ言いつつも真面目に真摯に、異世界初心者たる俺に基本的な部分の知識を教えてくれた。


「魔法っていうのは元々魔族の技術よ。あまり多用すれば魔族に心が染まるから、なるべく使わない様にしなくてはならない……。

そこで【魔具】の出番よ」


魔具……どんなものなのだろうか。


「例えば私のはこの長剣【スタッカート】。魔族しか斬る事が出来ない様に、魔族の骨から彫って創られた剣よ」


そう言って出された剣は禍々しい形状にも関わらずどこか清廉とした雰囲気で拍子抜けした感じだった。


「魔族は魔族の血でしか狩る事が出来ない。

……たった一つだけ、例外があるけれど」


そういってシエラは古そうな本を出して来た。【Produce Note】と記され、所々焼け焦げたものである。


「その昔────プロデウスという無謀で寛大な色男がいた」


シエラが語り始める。

彼女の薄紅色の潤んだ唇が微かに震えた。




────このプロデウスは自らを『世界一の危険な野郎』と自虐していた。他の誰も寄り付かぬ魔境を開拓し、16になる頃にはこの世界の全てを踏破したとも言われている。

だが彼の旅が原因で、人類は史上稀に見ぬ危機に晒された。

彼が最後に訪れた魔境の【綴じられた秘宝】の封印を解き、先人が百年かけて封じた魔族が復活してしまったのだ。

この危機に彼は『手前の尻拭いだ、手前でつけてくる』と言い、不思議な術を使う歌姫を7人も侍らせて魔族を倒しに魔界へ向かったのであった。




「────けれど彼は、二度と戻っては来なかった。子供向けの話では魔族の王の美貌に骨抜きにされて、残りの人生を全てそこで過ごしたとされているわ」

「子供向け?じゃあ大人向けもあるのか?」

「ええ。魔族の王はそれはこの世のものとは思えないほどの美女で、心奪われたプロデウスは剣を振るう事がままならなかった。侍らせた歌姫は彼の目の前で見る影もない程に嬲られ、プロデウスに婚姻を迫った」


そして断った彼は、どの歌姫よりも酷い醜態を晒して命を絶った。




苦虫を噛み潰した様な顔をしてシエラは話を止めてしまった。どうもその先がある様だが言いたくはないらしい。


「それ以来、勇者として目醒めた者は誰もいないわ。今年で丁度100年目にもなるのに、誰も……。

……もし私なら、全力で……」


最後の言葉は辛うじて聞こえる程度の小さな呟きだったが、俺は敢えて深入りしない様にした。


「……さて、基本的な講義はお終いよ。約束は果たして貰うわよ平民」

「……ありがとうございました」


俺はメイド長にお辞儀して、その場から立ち去ろうときびすを返したその時。


「お待ちになって、そこの殿方」


か細いその声に、思わず足を止める。顔を見ずとも声の主は直感で分かった。


「ダメじゃないシエラ。彼がどんな出自であっても、領主様の命令に背いちゃ」


端々に幼さの残る言葉遣いに、しかし俺はまだ振り返られずにいた。シエラがどんな顔をするか分かったものでは無いからだ。


「あっお嬢様!!」

「こちらをお向きになって?」


一瞬のうちに小さく暖かなものが両頬に触れて俺の頭を捻った。

後ろを向いた俺に、両手を俺の頬に置いた少女のまつ毛が揺れた。少女の髪からかほんのりと花の香りがして、俺は高鳴る心臓を抑えながら、息がかかるほど近い少女の顔を見つめて次の言葉を待った。


「私はロゼ。あなたは?」


両手は頬に置かれたままだ。


「……磔兎」

「まぁ、あなたは指揮棒タクトなのね!」


何故か嬉しそうに少女が微笑む。何故だ、俺はこの子に一瞬にして心を奪われた。


「私のお父様が、あなたの事をお待ちですのよ?タクトさん」

「!ですがお嬢様……」

「それ以上は言わないの。じゃないとシエラ、私にも考えがありましてよ」


怒った顔も可愛いのは反則だ。

俺は彼女から目を離せなくなっていた。


「とにかく!シエラは気にしないでタクトさん。行きましょうお父様の所に!!」


少女に手を取られ、半ばされるがまま俺は導かれていく。

ドアの先の未来がどんな色なのか、この時はまだ分からなかった。

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