PRODEUCE─プロデウス─

笹師匠

エピローグ

終わった。


全てが、灰燼かいじんした。


英雄とうたわれた男の最初にして最期の敗北。


その血は侍らせた仲間の亡骸なきがらを。


その涙は枯れ果てた大地を包むが如く、ゆっくりと流れていく。


『さらばだ古の勇者プロデウスよ。貴様の感覚は時代に合わなかったのだ。次の時代は、呉々くれぐれわらわを退屈させてくれるなよ……?』


薄れゆく意識の中、プロデウスと呼ばれた男はカラカラ嗤うその声を聞いた。剣を握ったままの両手は感覚が消え、本当にそこに付いているのかさえ、もう分からなくなっていた。彼はせめて、眼を開いたまま命を落とした少女のまぶたを閉ざしてやろうと手を伸ばす。


『自らの命が消えそうだと言うのに、お主は昔から変わらんな。ま、そこに妾も惚れてしもうたんじゃがの』


プロデウスが伸ばした腕を摘んで、嗤う少女は彼の手向けを阻んだ。


『じゃから赦せぬ。お主は何故、誤った選択をしてしまったのか────妾と共に堕ちる事だって、選べただろうにの……』


彼はもう意識とも無意識ともつかぬ精神状態の中、即座に最高位の無詠唱魔術を展開した。少女はその魔術を零距離でもろに浴び、その体を大きく仰け反らせた。


『……今更何のつもりじゃ?』

「…………」


この時プロデウスは自らの舌、声帯を激戦の最中失ってしまっていた。とどのつまり、彼は少女の問いに答える事は無かった。


定かである事と言えば、彼が最期に唱えた魔法がこの物語を一度閉じ、再び始める為の、この少女──魔王フォルテさえ知らないほどの難解な術式であった事くらいのもの。終わってしまった世界の事は、もう誰も知らない。それが真実かさえ、誰も────。




「…………?変な夢見た気がすんなぁ」

高校生活も残すところあとひと月に迫った2月の事、家庭学習期間中で自宅警備員を決め込んでいた神門こうど磔兎たくとは昼過ぎに起床し、夜は遅くまでゲームをやり込む生活を送っていた。

その怠けっぷりと言えば、食事すら忘れてしまって、元々貧相な体格がよりみすぼらしいものになってしまうほどである。

そんな磔兎がここの所ハマっているのは、彗星の如く現れたネットアイドルユニットの【RosE(ロゼ)】である。全員3Dモデルの肉体で登場する4人組の彼女達が紡ぐ歌は、アニソンの氾濫した現代でも褪せる事のない鮮烈なサウンド、4人それぞれの声が織り成すハーモニー、曲と絶妙にマッチしたドレスやミュージックビデオ……。

新しくもあり懐かしくもある。その正体にネットでは『実はオッサン女子説』『むしろ昭和の女説』など様々な憶測が飛び交った。


素性が分からないという神秘は、これまで現実でしか生きて来なかった磔兎を非現実へのめり込ませるのには十分過ぎて余る程であった。


彼はこの4人の醸す世界観が好きで、この4人がもしライブを行うならば、絶対最前列で聞きたいと思っていた。


だが彼はどうも体に負担をかけすぎた。

彼は変な夢を見た数日後、人知れずその息を引き取った。現代日本では珍しい病──否、病と呼ぶにはあまりに自業自得であるのだが──食事不足による栄養失調が原因だった。


彼はパソコンの前で、マウスを握ったまま亡くなっていたという。部屋の大半はぎっしりと楽典や譜面で埋め尽くされており、それまでのゲームで夜をまたぐ姿しか知らなかった家族は驚愕し、色々と書き込まれた楽譜1枚1枚を見ては、変わり果てた彼に涙するのだった。




闇の中で、感覚が少しだけ戻った。

モコモコしたものが鼻に当たってくすぐったい。青々とした香りが、鼻腔を刺激して頬を撫でる。その香りが風に乗って過ぎ去っていくのが、耳で肌で感じられた。

ここはどこなのだろう。自分の部屋でない事は明らかだったが、どうも今時期にしては空気が暖かい。まるでこれでは春じゃないか。

断食して節約してたのがたたったか、卒業シーズン前の寒気が五月頃の陽気に感ぜられる。俺はとうとうおかしくなったらしい。

目を開けようにも、眩し過ぎて目がくらむ。だがここが外である事は、屋根がない事からも明らかになった。

…………どうもここは、近所ではなさそうだ。

ゆっくりと体を持ち上げて、俺は辺りの様子を確認する事にした。

辺り1面、見た事のない花だらけだった。

たった一つ、一目で分かったのは真っ赤なバラだけ。それ以外はまるで知らなかった。

随分と丁寧に、規則的に花は咲き誇っていた。ここはどうやら人の手が加わっているか、あるいは神様か何かがそういう風に造っているのか。


俺はこの時、自分が生きているか死んでいるか半信半疑で、誰かに会ったらとりあえずその辺を問い詰めてみようと考えていた。小説で読んでいて『こんなに順応力高い奴がそうそういるかよ』とバカにしていた異世界転生モノの主人公並に、今の俺は冷静に物事が判断出来ていた。奇妙なくらいに。

俺は自分の状況を整理し始めた。

まず俺は記憶がしっかりした状態で自分が何者かとか、自分の好みや趣味など基本的な部分は完璧なまでに分かる。しかしここに来る前後はまるで何も覚えておらず、自分がどうやってここに来たかは分からない。

そしてここがどんな場所かは分からない。日本であるかさえ怪しいが、そうなると人と会ってまともに話が出来るかも危うい。俺は日本語以外はてんでダメダメなのだ。

次に持ち物や格好……お金やスマホ、カードとかの現代的な持ち物はおろか、ティッシュやハンカチなどのエチケットグッズも持っていなかった。そして服装は覚えている限り最後に着ていた寝間着1着だけである。まるでRPGキャラの初期状態だ。


……考えついた可能性を否定するが如く、俺は頭に浮かんだその5文字を口にした。


「……


有り得ない話だ、と思って気軽に読んだり何だりして楽しんでいたコンテンツだったが、いざ自分の身になるとこうも現実味が無いものなのだろうか。否、まだそうと決まったわけじゃない。何かの間違いなのかも知れないし、やはり誰かと会うまで答えを焦るのは良くない。

俺はもうしっかりと意識が冴え、次に何をすれば最善か、考えられるくらいにはなっていた。俺が次にすべき事は、今はいつで、ここがどこか、そしてもし話が通じれば、通貨や生活スタイルについても問う事だった。


その為に、俺はこの心地好い花畑から早々に立ち去る事にした。ただでさえダメ人間代表の様なものが、ここにいたらよりダメさを増してダメダメになりそうだったからだ。


こうして、俺の奇妙な長旅は始まった。

待ち受ける試練も出会いも別れも、この時の俺は知らなかった。知ったからといって、どうにか出来る様なものでもなかったかも知れないが────。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る