西暦三〇〇〇年

鏡湖

    

 広場には大勢の人が集まっていた。

 あと数分で二九九九年が終わりを告げ、三〇〇〇年という記念すべき年がスタートする。

 今、人々の興奮は最高潮に達しようとしていた。手には光るライトを持ち、みな、それを天に差し向けてその時を待っている。あちこちで神を称える歌が流れ始め、その歌声は、夜空の彼方まで届くように広がっていった。そして、誰からともなくカウントダウンの声が湧きあがり、しだいにその声はさざ波のようにあたりにこだましていく。

 

「十・九・八……」

 今やその声は絶叫となっていた。

「……二・一・〇!」

 

 その瞬間、人々の歓声は、盛大に打ち上げられた花火と呼応し、夜空全体がひとつの舞台と化した。興奮冷めやらぬ中、中央の壇上に一人の男が立った。

「みなさん! 新しい年、いや新しい世紀の始まりです。この場に立ち会える幸運をみんなで分かち合い、後世に語り継ぎましょう!」

 割れんばかりの拍手と指笛で民衆は答えた。

「さて、もうひとつのお楽しみ、みなさんお待ちかねの当選者の発表を行います。今宵、類稀なるこの企画に当選された方はこのお二人です!」

 

 

 後日、郊外の巨大な施設の中にある実験棟の一室で、ケンとメリーという若い男女が座っていた。ともに二十歳、昨日の抽選に当たった奇跡の当選者だ。

 なぜ奇跡なのか――それは全世界から応募者が殺到し、その当選確率が天文学的に低かったからである。

 その恐るべき人気の企画とは、時空を超えた‘タイムトラベル’ だった。と言ってもタイムマシンのように、人間が実際に移動できるマシンは未だ開発されてはいない。現代の科学の粋を集めて出来上がったマシンは、

『ブレーンマシン』

 脳だけが遠い過去の世界を旅するというものだった。

 新世紀の始まりに合せてその第一号が完成し、その体験者を広く募集したので多くの人が飛びついたのだ。

 遠い昔、初めて宇宙ロケットに乗った人物のように、最初の体験者は人類の草分けとなるであろう。それに、この旅は特殊な能力や特別な訓練は不要である。健康体の成人であれば、誰でも体験可能なのだ。

 

 

 ケンとメリーが待つ部屋に、ネームプレートを付けたスタッフがふたり入ってきた。

「ようこそ、ミスター・ケン、そしてミス・メリー。

 わが社の最高傑作『ブレーンマシン』の体験者第一号となられる幸運をお祝い申し上げます。

 私は開発責任者のジミーと申します。

 今日はこれから、今回の体験旅行の説明をさせていただきます。こちらに同席するのはツアーコンダクターのトムです。この者がお二人に同行し、旅のご案内をさせていただきます」

 トムは二人に軽く微笑んだ。

「それでは、まず今回向かう時代ですが、時は千年前の西暦二〇〇〇年頃になります。場所は、当時極東と呼ばれていた地域にある小さな島国、日本です。さらにその昔には、黄金の国ジ・パングとも呼ばれ、冒険者たちのあこがれの島だったようです。

 そこに住む民族は、勤勉で礼儀正しく、他にはない独特な文化を持っていました。私たちはこの企画を立ち上げるのに際し、行き先について多くの議論を交わしてきました。他にはない独自性を持ち、世界中の人から興味を抱かれ、好感をもたれる――そんな国を探し求め、この日本にたどり着きました。

 そして最終的に決め手になったのは……それはここでは触れないことにしておきましょう」

 

 そこでジミーは空中を指さした。すると、そこに巨大なスクリーンが浮かび上がり、映像を映し出し始めた。

「ここからは注意事項の説明に入ります。

 これから、ご覧のようなカプセルにそれぞれ入っていただきます。

 このカプセル状のマシンこそが、今世紀最大の発明である『ブレーンマシン』です。今はまだ、先ほど説明した二十一世紀の日本にしか行かれませんが、順次、年代や行き先を増やしていく予定です。

 この中に入るとまもなく意識が遠のきますが、ご心配はいりません。意識が回復するとすでに目的地に到着しています。

 ここから先は、お二人をご案内するトムから説明させていただきます」

 

 ジミーに変わり、トムが二人の前に立った。

「十日間の旅のお伴をさせてもらうことになります。お二人が楽しい時間を過ごされるようお手伝いさせていただきます。

 現地では、普通の旅行者と同じように行動しますが、千年の時を隔てた世界ですので、驚かれることも多いと思います。

 でも、すべてあちらの世界に合わせて行動してください。個々の細かい説明は、その場でさせていただきます」

 そこでジミーがまた話し始めた。

「それでは明日からの時空旅行の前に、今日は、行き先である二十一世紀の日本についての映像をご覧いただきます。十日間しか滞在できませんので、充分な情報をあらかじめお知らせして、実り多き体験ができますよう用意させていただきました。

 それではゆっくりとご覧ください」

 

 

 先ほど『ブレーンマシン』が映し出された空間に、日本列島がその巨大な画面いっぱいに現れた。そしてナレーションが語り始めた。

 

〈こちらは西暦二〇〇〇年頃の日本です。アジアという地域の東のはずれに位置する島国で、その国土は……〉

 様々な角度から日本の姿が映し出され、地理的な説明や人口などの概要が続いた。そして次に、豊かな自然について、四季折々の美しい風景とともにガイドが流れた。それから、民族の神髄ともいえる宗教観が神社仏閣の厳かな映像とともに紹介された。

 

〈続いて独特の文化についてお話を進めていきます。

 古くは、古典芸能と呼ばれる舞や音曲が愛されましたが、この頃は、マンガという絵で描かれた物語が世界中に愛読されていました〉

 空中に浮かんだ画面には、奇妙な格好をした絵が動いている。

 

〈文化の中でも、食に関しては和食と言われる独自のものが人気を博していました。中でも寿司というものは世界中の人たちに好まれました〉

 画面上では、寿司を握る職人の手元がクローズアップされている。

 

〈また、その勤勉さゆえ、テクノロジーの開発に置いては世界をけん引する存在であり、様々な技術で世界に貢献していました〉

 

 新幹線や巨大なブルドーザーなどが、次々と登場する映像は迫力満点だった。

 

〈最後に、最も特異性のあるところをご紹介します。

 それは高い民度です。犯罪件数は少なく、夜でも女性が安心して街を歩くことができます。忘れ物をしても多くはそのまま届けられます。たとえ現金入りの財布でもです。

 予期せぬことが起きても暴動などは起きません。人々は常に秩序ある行動をします。辛抱強く待つことこそが、最良の方法だと心得ているからです。

 他人を思いやり、誰に対しても親切です。そのあたりを存分に味わってきてください。きっと、訪れる人はみな、この国の人たちが好きになると思います〉

 

 

 翌日、ケンとメリーはカプセルに入り、タイムトラベルへと旅立った。

 

 

 十日後、カプセルが開けられ、ふたりは目覚めた。その日一日は、施設内の特別な部屋で経過観察が行われ、脳波等の検査を受けた。

 

 

 一通りの手順を終えた二人は、またあの説明を受けた部屋で座っていた。そこへ、ジミーとトムが入ってきた。

「お帰りなさい。どうでしたか、時空トラベルの感想は? お楽しみいただけましたか?」

 ジミーの質問に、ケンはその時の記憶を呼び覚ましたのか興奮気味に答えた。

「ええ、とても素晴らしかったです! すべてが驚くことばかりで」

 続いて、メリーが質問した。

「あのー、今あの島国はありませんよね。どうしてですか?」

 ジミーは、二人を代わる代わる見つめながら熱の入った説明をし始めた。

「あなたたちもご覧になったと思いますが、富士山という大きな山がありましたよね?」

「ええ、とても美しい山でした」

「あの山が、あなたたちが訪れてからおよそ百年後に大噴火しました。それに伴い、他の火山も次々噴火し、大地震、大津波と数々の自然災害に見舞われ、そして悲しいことに、あの島はなくなりました」

「え! じゃ、あのすばらしい人たちは!?」

「もちろん、海外のあちこちに移住し、その子孫たちも存在します。

 でも、あのようなすばらしく統一された人々が作る国家というものは、もう二度とできないと思います」

「なんて残念なことでしょう、神様にお慈悲はないのでしょうか……」

「滅亡を遂げる数十年前から、この日本という国は、急に世界中から注目されるようになったそうです。世界中の人たちが日本に興味を持ち、日本を訪れ、日本人を賛美した……

 これこそ、神が消えゆく運命にある日本という国を、世界中の人の目に焼き付け、このような文明、尊敬される民族を忘れないようにと、人々に伝えたのではないでしょうか」

「もしかして、初めの説明の時、この時代の日本を選ぶ決め手と言っていたのはそのことですか?」

「そうです! よく覚えていてくださいました。

 記念すべき最初の旅行先の選定において、自然災害で滅び、世界中の人々が嘆き悲しんだという事実は、実に強いインパクトがありました。

 そうそう、お二人にご報告することがあります。

 今回、人類初の時空旅行の成功を祝して、この『ブレーンマシン』が『ジ・パング』と新たに命名されることに決まりました。

 これで、滅び去った日本国の名前が、永遠に後世に残されることになるでしょう」 



                  完

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