第17話 明光 (4)

「ただいま」


「おかえり」


 玄関のドアを開けて夏樹さんが仕事から帰ってくるのを出迎えた。


「疲れたよ~」

「ふふ、お疲れ様」


テーブルに突っ伏してふにゃりとした表情を浮かべた夏樹さんは、何かを思い出したように顔を上げた。


「そう言えば、綾乃ちゃん、早紀さんに会った?」

「うん。私、早紀さんが夏樹さんと一緒に働いているなんて知らなかったから凄く驚いたんだよ」

「あれ?話してなかったかな?」

「聞いてないよ」

「ごめんね。話したつもりだったけど」

 

すまなそうに笑う夏樹さんに微笑み返す。


「夏樹さん」

「ん?」

「後で話したい事があるんだ」

「……うん、分かった」


緊張の為か少し震えた声の私に、夏樹さんは穏やかに微笑んだ。


 家事を済ませて、いつもならゆっくり過ごす時間になってから、私は彼女と向き合った。隣に座る夏樹さんに、実家での出来事を話すとバックから葉子さんの手紙を渡した。


「この手紙、私が見ても良いの?」

「うん、読まれて困ることは書いてないから」


 微笑んだ私を安心したように見てから、夏樹さんが懐かしそうな表情でゆっくりと読み進める。やがて、手紙を読み終えたらしく、夏樹さんは視線を私に向けた。


「私ね、夏樹さんは傷つきやすい人だから、ずっと守らなくちゃいけない、貴女だけは傷つけたくないって思っていた……

 だから、夏樹さんにプロポーズされた時、返事が出来なかったの。貴女を傷つけた自分が貴女を守ることが出来るのか不安だったから」

「うん」


「だけど、葉子さんの手紙を読んで、自分が思い違いをしているんじゃないかって思えた。それで、夏樹さんに会いに行ってみたの。

図書館で働いている夏樹さんは、私の知らない夏樹さんだった。昔出会った頃働いていた貴女じゃなくて、仕事が大変でも楽しそうに働いている姿を見て、ようやくその理由が分かった」

「……」

「夏樹さんは私が支えなくても、もうずっと前から自分で歩き出している。そもそも、私が守る必要なんてなかった。

 むしろ、貴女と離れる事でしか自分を償えなかった私の方が、貴女に支えてもらっていたんだって。


 葉子さんが教えてくれなかったら、私は貴女との関係を今でもきっと悩んでいたと思う」

「綾乃ちゃん……」


 彼女が一度私にしてくれた様に、夏樹さんを見つめて両手を取る。


「今なら、夏樹さんが伝えてくれた言葉に向き合えるから。

 あの時の返事、して良いかな?」

「待って!」


 私の口を両手で押さえると夏樹さんは大きく深呼吸をした。何度か繰り返した後、真っ直ぐ見つめ返す。


「私、夏樹さんとこれからもずっと一緒にいたい。

……だから、宜しくお願いします」


「綾乃ちゃん……

こちらこそ宜しくお願いします!」


 お互いぺこりと頭を下げると何だかおかしくて、くすくすと笑う。そのまま、夏樹さんを思いきり抱きしめた。


「大好きだよ。夏樹さん」


 夏樹さんの身体に顔を埋めると、ずっと言えなかった想いがすんなりと出せた。私の言葉を聞いた途端、身体に回された腕にぎゅっと力が入る。


「……ありがとう。綾乃ちゃん」


幸せ過ぎて思わず泣いてしまいそうになり、夏樹さんの肩にぐりぐりと顔を押し付けると、夏樹さんの身体が揺れて笑っているのが分かった。


「今、笑っているでしょう」

「ごめん、ごめん」


照れ隠しの言葉に返す夏樹さんの声も明るいながら潤んでいて、顔を上げる。少し赤い目の彼女と視線が絡まり、どくりと鼓動が跳ねた。お互い無言のまま、繋いだ手と触れたままの身体を離したくなくて、そっと指を絡めて彼女を見つめると、夏樹さんの瞳にも自分と同じ想いがあるのを見つけて、それでも一応確認した。


「夏樹さん、キスして良い?」

「……うん」


 私の言葉ににこりと笑ってくれた彼女の頬に触れて、引き寄せるように、引き寄せられるようにゆっくりと唇を重ねた。あっという間に何も考えられなくなって夏樹さんの唇をひたすら求め続けながら彼女の身体に手を回し、今まで言えなかった気持ちを伝えるように何度もキスを繰り返した。

ようやく落ち着いて目を開けると夏樹さんを押し倒すような格好で抱きしめていた。このままでは彼女の背中が痛いだろうと最後にちゅっと優しくキスをして離れた私に、夏樹さんがゆっくりと目を開く。


「夏樹さん。私の気持ち、分かってくれた?」


「………………キスだけじゃ分からないよ」


 以前と同じ様な問いかけに、含ませた真意をきちんと分かってくれたらしく、夏樹さんが照れながら小声で答えてくれる。


「じゃあ、もういらないって言うくらい、伝えても良いかな?」

「私、綾乃ちゃんの気持ちなら幾らでも欲しいよ」


 時折、彼女の唇に軽く触れながら続ける言葉のやり取りは、とても甘くて、魅力的で、それだけで気持ちが良かったけど、もっともっと感じていたい。


「うん、たくさん伝えるね」


 くすぐったそうに笑う彼女の言葉に言質を取ったとにっこり笑うと、夏樹さんはきょとんとした表情を浮かべた。


「大好きだよ、夏樹さん」


 今まで言えなかった分の想いを早速伝えて、夏樹さんの手を取ると、部屋の明かりを消した。

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