第15話 明光 (2)

私は結局、夏樹さんの好意に甘えて部屋をシェアするという形でそのまま一緒に暮らす事となった。二年前と変わらずに食器や私物もそのまま置かれていて、彼女が私をずっと信じてくれた事が分かり、胸が痛んだ。キャリーケースの中身を移し変えるだけの引っ越しをあっという間に済ませた後、予定通り実家の両親に帰国の報告とついでに新居の報告をすると、私の今までの突飛な行動に慣れている両親は驚き呆れていたものの、強く反対されることはなかった。


私と夏樹さんは以前と変わらない生活を送り始めた。昼間はそれぞれの場所で過ごして、帰宅して二人でご飯を食べて、その日の出来事を話して、一緒に眠る……

二年前と違うのは、夏樹さんと身体を重ねないことだけ。


「綾乃ちゃんが決めた事なら、私も我慢するから」


プロポーズの返事が出せないまま彼女に触れるのは、あまりにも身勝手な気がして、悩んだ末に泣きそうになりながら打ち明けた私を夏樹さんはそう笑って抱きしめてくれた。



そんな生活が少しずつ日常となっていった頃、私は実家に戻っていた。留学の際に送ったままの段ボール箱を片っ端から開けて、探していた本をようやく見つけ出す。


「やっと見つけた」


本を片手にそのままベッドに寝転がると、目の前には散乱した段ボール箱と、本の山がある。片付けの手間を考えてうんざりとするものの散らかしたのは自分だし、このまま放っておくと外出中の両親が帰宅した時の大目玉は間違いない。


「……さっさと片付けるか」


しばらくごろごろと転がっていたが、結局立ち上がって片付け始める。箱を開ける前より明らかに乱雑な積み方でとりあえず片付けて、ほっとした途端、不安定に積んであった山の一部がどさどさと崩れた。


「うーん、やっぱり無理があったわね」


二度目の片付けの面倒さに辟易しながら、床に座ったままずるずると移動して箱に投げ込んでいると、机の下にまで落ちた本の側に封筒があるのに気がついた。見覚えのない白い封筒を手に取ると、差出人はなく、消印は私が留学してからしばらく後の日付だった。

私が不在の時の郵便は一通り目を通していたはずだが、いつの間にか机の上から滑り落ちたらしい。封筒の文字は綺麗な筆跡で、誰だか思い当たる節もないまま、とりあえずはさみで封を切ると白い便箋を開いた。


'綾乃ちゃんへ


貴女がこの手紙を読むのはいつかしら? 一年? 二年? それよりずっと後かもしれないわね。いずれにしても、私はもういないでしょう。

今日は気分が良くて窓の外を眺めていたら、貴女に手紙を書きたくなったの。思いついたまま書いているから、話があちこち逸れるかもしれないけど許してね。


まず、夏樹ともう一度向き合えた事に感謝するわ。

最初は大変だったわよ。お互いどうして良いか分からなくてずっと黙ったままでいたから。こんな状況を作った貴女を少しだけ恨んだりもしたけど、少しずつ話をするようになってから、夏樹は貴女の事を良く話してくれた。

嬉しかった思い出、悲しかった事、ささやかな日常の出来事まで……殆どのろけ話だったのは笑ってしまったけれどね。

だけど、話を聞いているうちに、貴女がどれだけ夏樹を大切に思っていたかが分かった。


ねぇ、綾乃ちゃん。

貴女は自分の大切な人の為にしか生きる事の出来ない人なんじゃないかって、私は思うの。

それはとても素晴らしい事だけど、同時に酷く寂しい事でもある。だって、誰かを想う気持ちが、いつか貴女自身を苦しめることになりかねないから……


だから、もし貴女が悩んでいるのなら、私は貴女に伝えたい。

貴女の人生は貴女の為に使いなさい。

夏樹は夏樹の人生があるし、貴女は貴女の人生がある。夏樹を想うあまり、貴女が夏樹の人生まで抱え込む必要はないのよ。

誰の為でもない、自分の気持ちを優先させる事も時には必要よ。自分の気持ちが、夏樹の望むものと同じ方向なら、夏樹を傷つける事があっても、再び巡り会える。


迷っても、間違っても良いじゃない。正しい人生なんて最後まで分からないのだし、傷ついて、傷つける事は決して悪い事じゃないから。ぶつかって、泣いて、笑って……そうしてきっと、少しずつ前に進んでいける関係があるはずよ。



私のもう一人の娘は、その事に関してはかなりの頑固者みたいだから、つい心配でこんな手紙を書いてみたけど、もしかしたら、もう必要ないかもしれないわね。

その時は、夏樹と二人で笑ってくれたら嬉しいわ。



立木葉子'



「……葉子さん」


笑顔の葉子さんが思い浮かんで、涙が滲んだ。

何だか無性に夏樹さんに会いたくなって、手紙を持つと家を飛び出して夏樹さんの働いている図書館に向かった。


今なら自分の中で思い悩んでいた何かが、きっと変われるような気がした。

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