第10話 キディーの功績

 四人―サミュエル、ロバート、エレノア、ライト―が警察署を出たのは四時少し前だった。

 寒さはまだ残ってはいたけれど、日はまだかろうじて残り、少なくても春がやって来ていることは解った。

「新聞社に戻ってから、キディーに会いに行って、それから報告にお伺いします」

 ライトはそう言って軽やかに新聞社のある方へと向かった。

「僕たちは、帰るかい?」

「いや、スタン伯爵に面談を頼もう」

「あぁ、……カラス」

「あぁそうだ。早いに越したことはない。だが、エレノア、君は、」

「ねぇ、サミュエル。もうここまで来て先に帰れというのはあんまりじゃありませんか?」

 エレノアの言葉にサミュエルはロバートと同じく首をすくめた。

「それで、スタン伯爵というのはどこに住んでいるんだい?」

下町チムニー・タウンを見下ろすようにできたばかりの住宅地だ」

「カップケーキか」とロバート

「カップケーキ?」サミュエルが眉を顰める

「通称でしょう? 正式には西山町だったでしょ?」

「あぁ、でも、カップケーキのような小山だ。だからカップケーキというらしいよ」

「まったく……この国の人間の通称の付け方の斬新さにはつくづく困ったもんだね」

 三人は笑いながら西へ、太陽を追いかけるように進んだ。


 ライトが新聞社に走りこむと、受付で少年が「ライトさんて記者に会いたいんだ。キディーからの伝言なんだ」と騒いでいた。

「よぉ。坊主。俺がそのライトだが?」

「あんた? えっとね、」少年はライトがキディーに渡した名刺を差し出しながら、「キディーがカップケーキに居るって。すぐに来てくれだって」と言った。

 ライトは名刺を受け取りながら少年に小銭を渡し、

「いいか、警察署のホッパー警部に、カップケーキに来てくれって、今度は俺から、ライトから聞いたと、至急だと伝えてくれるか? そら、駄賃だ」と渡した。少年はその金額の多さに大はしゃぎして出て行った。

 名刺には「医者、居た」と汚い字で書いてあった。

 ライトはすぐに走り出た。


 西山新興住宅。というのが正式名称らしい。随分と成金がこぞって家を建てているようで、最新の家が立ち並んでいた。まだ少し隙間もあるが、あと数か月の内にはここもすっかり家で埋まってしまうだろう。

 住宅案内板というものがあって、まだ配達になれない郵便局員や電報係りのためのものなのだろう。その前にサミュエルたち三人が立っていると、ぜぃぜい言いながらライトが走りこんできた。

「な、何をしてるんで?」とやっとのことで言う。

 サミュエルはライトの息が整うのを待って、「あの宴でロバートがスタン伯爵らしい人を見たというのでね来てみたんだ。面通しして、彼ならば話を聞くが、あんな状態なので別人かもしれないからね」

「なるほど」

「君は? 大急ぎのようじゃないか」

「あぁ、キディーからの伝言で、ここで医者を見たからすぐに来てくれと言われてね」

 と名刺を見せる。

 だが、この辺りにキディーの姿は見えなかった。

 ホッパーが警察用の馬車に乗って走りこんできた。

「いったいなんだ?」

「キディーが医者を見かけたと、」

「もし、医者を見たとするならば、キディーはどうすると思う?」とサミュエル

「後を追うだろうね」とロバート

「では、どちらに行ったのだろう? 坂を下って下町チムニー・タウンか? それとも、この住宅地カップケーキか?」

「二手に分かれるか?」

 と言った時だった、絹を裂くような悲鳴。とはあの声だろうと言わんばかりの女の声が響いた。誰ともなく「上だ」と坂へと駆け上がった。

 大きな屋敷が並んでいるのは大きな主要道路沿いで、そのわきを入れば、二つ、三つ奥は平均的な家が立ち並んでいた。そこは坂上町と呼ばれている場所で、新たに作られた新興住宅とは背中合わせのところだった。入り組んだ細い道に古い家が立ち並んでいた。「張りぼてのような住宅地カップケーキだな」と誰ともなくつぶやく。

 人が集まっているところをかき分けると、「キディー!」ライトが倒れている女性に近づく。

「誰か見ていなかったか?」

 ホッパーの怒声が響く。

 道に、胸をナイフで刺されて倒れていたのはキディーだった。まだかろうじて息があるようだが、それはもう虫の息のようだった。

 ホッパーの簡易的な捜査では、悲鳴が上がって出てきたときにはすでにキディーは倒れていて、犯人と思しき人の姿は見なかったという。

「おい、しっかりしろっ。……え? 何?」ライトはキディーの口元に耳を近づけていたが、体を起こし、首を振った。

 ホッパーの指示で警官が集められる。


 野次馬が居なくなったのは、キディーの遺体が運ばれてからだった。

 すっかり陽が落ち、外灯が灯され、どこかの家からいい匂いがする時分となった。

 ライトは自分の腕の中で亡くなったキディーの重さと、ショックで座り込んでしまい、そのショックから立ち直るためサミュエルたちもそこに立っていた。

「キディーが、貴族、と、」ライトが何度か頷いた。

「……医者が貴族と一緒だった。ということかな?」

「だと思うね。貴族の宴に医者が居たんだ。その医者を見つけて後を追った。その貴族が居たんだろう。あとを追わなきゃよかったのに」ライトの悔しそうな言葉に、ロバートが肩に手を置く。

「こうなると、スタン伯爵にとりあえず会ってみようじゃないか。この近所に住んでいるのだし、もともと用があったのだから」

 サミュエルの言葉に同意して四人はスタン伯爵の屋敷へと向かった。


 スタン伯爵の屋敷はモダンな白壁の今流行りの木枠を青く塗った家だった。なぜ青く塗るのかロバートに解らなかったが、なぜだか今はやっている。

 玄関ベルを鳴らす。家じゅうに響く音が聞こえる。家の大きさから言っても、伯爵というのだから、メイドか、執事の類が居てもよさそうだが、全く返事がない。そもそも、夕暮れすぎて明かりが灯っていないのだから「留守なのだろうか?」と思ってしまう。

 ロバートが振り返るとサミュエルは庭の方へと歩いていく。

「おい、サミィ、人の家だ」

「……だが、侵入すべきだったようだよ」

 庭に入る腰高の木戸越しに、庭にメイドが倒れているのが見えた。

「いったい何が起こってるんだ?」

 思いもよらぬ声に振り返ればホッパーが立っていた。

「ライトに、キディーは何か言っていなかったか聞こうと思ってついてきたんだ。この家は? スタン伯爵? 知らんなぁ。にしても、あのメイドは、昼寝をしているわけではなさそうだな」

 そう言って木戸を押し開け、庭に入った。

 メイドの側にしゃがみ、首筋の脈を図る。そして、後方で様子を伺っているサミュエルたちに首を振る。

「警官を呼んできますよ」

 ライトがそう言って走っていった。

 ホッパーが屋敷のほうを見る。窓が開け放たれ、カーテンがひらひらと揺れていた。歩を進めると、嫌な印象を受けた。いくつもの場数を踏むホッパーには「スタン伯爵は殺されている」という感じがした。

 カーテンを抑えて中を見ると、スタン伯爵らしい、上等な服を着た男が椅子に座って絶命していた。

 死後すぐだということで、キディーとほぼ同時刻に殺されたのだろうということだった。

「キディーに後をつけられたスタン伯爵は殺されたのかもしれないね」サミュエルの言葉に、ライトは頷いた。

「まさか、自分たちを覚えている人がいるとは思わなかったんだろう。そのための麻薬パーティーだからね」

 サミュエルの言葉にロバートは同意を示した。

「だが、これで、一つ分かったね」サミュエルはそう言ってホッパーを含む四人を一巡し、「犯人は血液型で選んでいる」と言った。

「どういうことだい?」ロバートが聞く。

「キディーはあのパーティーで多分対象外だとされたんだよ。もし、対象者ならあのパーティーで捕まっていただろう。まぁ、その会では対象者が多かったとしよう。今日キディーに会った。対象者ならば、あの場で殺さなかったはずだ。誘拐することも、この家に招くこともできたはずだ。だが、あの場で殺し、捨てている。対象でない証拠だ」

「では、彼女の血液型を調べるよう言っておこう」

「きっと、B型ではないのでしょう」

 サミュエルの言葉にホッパーは警察署に帰った。

 ライトは肩をぐっと落とし、新聞社へと引き上げて行った。

 サミュエルたち三人はラリッツ・アパートへと向かう。

「手がかりが、無くなってしまったね」ロバートが呟く。

 サミュエルは何も言わなかった。



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