第7話 新たな犠牲者と生存者
ホッパーが急いで現場に駆け付けると、何人かの警官がそこここで吐き戻していて、大変なにおいが充満していた。
今回もまた、
「な、なんだ? これ?」
ホッパーが絶句してやっと言えた言葉だった。
「どう、にも、こう、にも……ミイラというものが発見されたと聞いてます。まだ本物を見ていないですが、防腐処理を施された乾燥した死体らしいです。まさに、このようなものかと、想像します」
百戦錬磨の解剖医ですら気持ち悪そうな顔をした。
死体は椅子に座ったままのような態勢をしていた。ひじ掛けに両腕を置いていたような姿勢だ。
「括り付けられていたようですね、辛うじて、手首にひもの跡が見えます」
と言ったが、それはごくわずかに見える他とは違う線であった。これを紐によって縛られていたと推測した監察医を見直すと、
「不自然だからですよ。この格好が。椅子に座ったまま、例えば干からびたとしましょう。普通、筋肉は死後硬直と緩和を繰り返します。そうなったときに姿勢が変わる。だけど、これは一切変わっていない。この足の開き、足首を縛られていたのでしょう。膝から出ないので、そういう趣味が関係しているのではないでしょう。……とにかく、手首、胴体、そして足首を縛り付けていれば、この姿勢は可能でしょう。
ねぇ、ホッパー警部? 私は長年監察医をしてきて、いろんな死体を見てきましたよ。あんただってそうでしょ? 世知辛い世の中ですよ。でもね、それでも、どんな理不尽な理由の死体だって、ちゃんと生きていた名残ってのは見えていたわけですよ。それが、どうです? ここ最近の死体。人間がやれるんですかね? 腹を切り裂き、臓器を抜き取ったり、こんな、干からびさせたり。もう、世も末なんじゃないかとね、」
監察医の泣き言にホッパーは何も言わずに肩を叩き、「あんたが逃げ出しちまったら、死者は本当に行き場を無くすよ」と説得することが精いっぱいだった。
死体発見は、雪解け水の量が減り、大潮の影響で水が引いた干潟になって発見されたのだという。最初は変な形の椅子がある。と思ったらしいので、監察医が言うように椅子に固定されて殺されたのだろうと思われる。
かろうじて女性だと解ったのは、干からびても、垂れた乳だった。
「身元、不明者、がまた一人か、」
苦々しくつぶやく。
ライト記者は麻薬パーティーの取材をまとめるため新聞社に戻ると、上司である編集長がその記事を中止するよう言ってきた。
編集長室になだれ込み、「なんでですか? どこからの圧力です?」と聞いたが、
「お前が、貴族の館をうろつくから、春の社交界へのデビューに差し支えるとクレームがだな、」
「いやいや、麻薬パーティーをしている貴族たちを止めないと、一般人が、」
「今は被害が出ていない。第一、取材したところで、濃霧のせいでというのだろ? だからいったん置いておけ。被害が出たら記事を書かせてやる。それよりも連続殺人鬼だ。腹を掻っ捌いていたあいつが復活したのか、それとも消えた半年前の死体が今頃出てきたのか、警察でも解りかねているようだ。それの取材にあたれ」
「連続殺人……、解りました。でも、麻薬の方も調べますよ」
「ライト! お前、うまく立ち回れよ、その年で出世しないのは、下手だからだぞ」
「いいですよ、おいらは一生現役記者で」
ライトはそう言うと、外に飛び出た。
外に出てすぐに、忘れていたいやというほどの冷気を感じて中に戻り、上着を着て出てきた。
「四月だろ? そろそろ冬も終わらないか?」誰に言うでもなくそう言って、現場である
なんでもおかしな死体が出たそうだ。と大騒ぎをしている。すでにいくつもの記者が情報を聞き出したりしてごった返している。現場責任者はホッパー警部だと解ると、ライトは大きく腕を振る。それをホッパーが見つけ、嫌そうな顔をした。
すぐににぎわっているあの中に入っても、もう情報は古くなってきていると感じると、ライトはそれを少し傍観するように通りを挟んで立っていた。捜査をいったん切り上げてくるホッパーにでも話が聞けるだろうし、おしゃべり好きな連中はいくらでもいるだろうから、ここで待っていても損はないのだ。
外灯脇で脇で立っていると、女が現場を見ながらライトのほうに近づいてきた。
「何かいいネタでもあるのかい? 姉さん」
「……、いいネタ? どうかねぇ」
「話によっては謝礼出すよ」
「……、残念だけど、あの死体のことじゃないんだ。でも、あんたさっき、あの警察に手を振っていただろう? 知り合いかい?」
「まぁ、……死体のことじゃないのに、警察に用かい?」
「だって腹が立ってしようがないからさ」
「痴話げんかかい? それは警察じゃぁ、」
「そんなんじゃないよ。……あんた、信用できる人?」
女の慎重な言葉に眉を顰める。
「ナイト・フラッグ社のライトってもんだ」
と名刺を差し出すと、女は名刺を見つめた後で、
「私は、キディー。洗濯工場で働いてる」
ライトが頷くと、キディーは、「洗濯女工の話しなんか聞く気は無い。とは言わないんだね」と言った。
「いやいや、おいらにとってはありがたい職業だよ。おいらのような一人もんはさ、洗濯なんぞしないんで、いつも汚いなどと言われ、大家に追いはぎされてやっと服を着替える。そんなやつをきれいにしてくれるんだ。ありがたい存在だと思うけどね」
ライトの言葉にキディーは少し気をよくしたのか、「じゃぁ、話を聞いておくれよ。それで、あの警察に取り次いでおくれよ」と言った。
ライトが頷き、近くにまだ空いているバーに入った。バーと言っても汚い酒場で、ろくな酒を置いてなさそうだが、キディーにショットウィスキー―混ぜ物の匂いがするが―をおごる。キディーは上機嫌にそれをなめる。
「それで、痴話げんかではないとすると、どういった要件だい?」
「これ、見たことあるかい?」
キディーはもったいぶって胸から、正確には、服の胸にあるひだに隠していたのだが、胸の谷間から出てきたかのように封筒を出した。ライトが顔をしかめる。
「知ってるんだ」キディーは少しうれしくなり、封筒から手紙を出した。「あたしたちの間でもね、これは有名で、お貴族様の遊びに参加できるって。それで、お貴族様のお眼鏡にかなったら、愛人になれるって、そんな話がある手紙なんだけどね」
「そんな話になってるのか」
「そうよ、知らなかったの?」
「そこまでは、みな一応にだんまりでね」
「……そうね、だんまりだと思うわ。だって、みんなおかしくなっちゃうんだから」
「そのようだ」
「でもね、あたしはならなかったのよ」
「なぜ?」
キディーはふふふと笑い、もう一杯ショットウィスキーをお替りし、
「ひどい話なのよ、いきなりチクって、ほらここ、」そう言って服を引き下げ、たわわな胸を見せた。乳首は見えない程度に引き下げる。そういうところは女はうまいといつも思う。
ライトがそれを見れば、右の鎖骨の下あたりに丸い痕が二個見えた。
「どうしたんだい? こんな場所に?」
「玄関でドリンクもらって、上機嫌でいい男のもとへ行こうとしたら、いきなりチクって刺されて、その瞬間、ドリンクこぼして、そしたら、そのドリンク、うちの工場で出る泥水そっくりになってさ、その途端気持ち悪くなるし、胸見たら血が出てるし、もう、頭に来て帰ったのさ」
「それは何時ごろ? 九時前? あと?」
「前よ、七時半には入れて、とにかくすごい人だったから、行列。だから、八時前だったはずよ。それより遅くはないわ」
「中の様子とか、覚えているかい?」
「ええ、覚えているわよ。泥水のカクテル。その時はきれいな色したカクテルだったんだけどね、それをもらって、入ったの。すごい家でね、なんていうのかしらね、高そうなちょっと派手な花柄の大きなツボとか、シャンデリアなんかもすごかったわね。あと、調度品? ていうの? ガラスケースの机に見たこともないほど大きな宝石の首飾りとかあったわ。ちゃんと鍵がかかっていたし、警備員。とかいう人が側に居たけど。
お貴族様たちもすごかったわよ。シルクのピンクのドレスの人がいたわね。あと、最新の帽子をかぶった人も。でっかい宝石の指輪の人もいたわ。
男性貴族もすごかったわよ。カフスボタンに宝石ついていたし、とにかくキラキラしていたわね
その時チクってきて、思わずグラスを落として、もう、借りたドレスは汚れるし、胸だって、血で汚しちゃってさ、ものすごい金を払わなくっちゃいけなくなったわよ。
もう、とにかく、頭に来て、誰が刺したんだかてんで判らないけど、もう、なんか居る気も失せて、だって、今までキラキラに見えていたものがなんだか安っぽく見えて、そんなことってない? 期待を裏切られたというかさぁ。だから、外に出たのよ」
「外に出て、屋敷の中はどうなっていた?」
「中? 特に気にしてないけど、そうね、上着を着た時振り返って、そうね、ばかばかしい状態は変わりないわよ。大賑わい。あ、でも、そうね、変なのは、医者がいたわ」
「医者?」
「そうよ、白衣着た医者。笑っちゃうほど変だったから覚えてるわ」
「医者は、何をしていた?」
「何って、注射打っていたのよ。だって、あのパーティーは、……分かるでしょ?」
「なるほど……。それで、君のそのあとだけど、君はその医者に打たれたんじゃないのかい?」
「違うわ。別の人だと思うわ。気にしてなかったから。でも、医者が、白衣の医者が横を通れば解るでしょ? だから、違うと思う……。たぶん」
「その傷に心当たりある? 例えば、そんな大きさのものとか?」
「こんな大きさのものなんかないわよ。指一本分も間の開いていない、こんな小さな傷、うちの工場で見かけるような道具にはないわ」
「手芸用品とか、台所用品とかでも?」
「無いわねぇ。もう少し幅があれば、トングとか、フォークとか、でも、そんなもの持っていたら気づくわよね」
「そうだね。……他に、気づいたこととか、無いかい? 会場の中身でもいいし、その中の人でもいいのだけど」
「会場の中は、本当にすごかったわよ。目が覚める前はね。
そうね、あんな夢の中に居たら、どんな女だって勘違いしそうになるわよ。いい男がエスコート役を取り合うし、そうそう、料理は見たこともないほどあったわね。机一面に、机だって一つじゃないわよ、いくつもあったわ。そう! ケーキがあったのよ。イチゴの乗った。あぁ、それと、向こうに氷の上に乗せたブドウがあったわ」
「すごい料理だね、」
「料理だってすごかったわよ。説明できないけれど……あまり、料理をしないから。でも、肉があって、魚があって、とにかくきれいだったわ。一口サイズ? その大きさになっていて、みんなうっとりしながらパクって食べていたわ」
「君は、それにもありつけなかったんだね?」
「パって冷めた途端、全てがガラクタに思えたのよ。子供が少しきれいな石っころで、宝石だとか、おままごとするでしょ? あんなふうに見えたの……、そう、おままごとしている中に、本物が居たわ。えっと、誰だっけ、有名な令嬢よ。あぁ、もう、バカっ。名前が出ない! ほらっ、去年デビューした人よ」
「いや、それだけじゃぁ、」
「あぁ……、居たのよ……、困惑しながら、笑顔が引きつっていたわ。仕方なく、仕方なくケーキを食べて、……医者、医者が、そのあと、彼女に話しかけていた? のかしら? ただ、近くにいたのかしら? あぁでも、その彼女の名前が出ないんじゃぁ、話にならないわね」
「思い出してくれると、すごくありがたいけどね」
「一晩考えてみるわ。思い出すように努力する」
「頼むよ……おっと、
「本当かい? 解った。えっとね」
キディーはほんのり赤みのさした肌で帰っていった。
麻薬パーティーから帰還できたものがもう一人いた。しかも、かなり中身を詳細に覚えていた。それはたぶん、彼女が貧しいからだろう。貧しいからこそ目についた豪華さだ。宝石は習慣的に腹を満たしてはくれないから―。
それにしても、キディーの胸についていたあの二個の点は何だろう? ただの偶然の産物か? それが二点というのも気になる。いや、気にすれば、そもそもキディーが近づいてきたこともうさん臭く感じる。
「こういうのを疑心暗鬼っていうんだ」ライトは苦々しく微笑んで吐き捨てる。
警察署前、裏口にはすでに記者が張り込んでいた。ライトは首をすくめ、建物の窓しかない北側に向かった。人は誰も居なくて、野良犬が一匹通り過ぎて行った。
三階の、右から二つ目の窓に小石をぶつける。窓が開き、ホッパーが顔を見せた。ライトが手帳を振ると、窓が閉まり、しばらくして一階の窓が開いた。トイレのようだった。
ライトはキディーから聞いた話を走り書きしておいた紙を渡す。
「生存者? しかもはっきりと覚えていたのか?」
「あぁ。おかしな傷のおかげで夢から覚めたと言っていた。見知った人を見たらしいが、名前が思い出せないと地団駄踏んでたよ。あとは、あの場に医者が居たそうだ」
「医者がなんだって貴族の宴会に?」
「さぁね? 麻薬を投与していたか?」
「……ない話ではないだろうが、」
「それで、今度の殺人はどうなんです?」
「よく解らん。椅子に括り付けられた状態で殺されていた」
「そのようですね。椅子かと思うほど、枯れていたそうで」
「ああ、監察医が世も末だと喚いているよ」
「どうやったらそんなふうな死体ができるんですかね?」
「体中の水分を抜くんだそうだ」
「抜くのにどのくらいの時間が?」
「そんなことしたことないから解らんそうだ。だが、一日二日じゃないだろうと言っていたな」
「てことは、死後三日?」
「いや、水分を抜いただけであれにはならんそうだ」
「じゃぁ、どうやって?」
「さぁな、
「ガルシア卿が興味湧きそうなネタですね」
「よしてくれよ、あの人が関わると、上が及び腰になってしまう。そうでなくても、あのパーティーに出ていたと報告を上げた時には、俺が主催者かのように責められたんだ」
「ですが、よく、モノを知ってますよ」
「……そうなんだ。だけどなぁ」
「おいらが聞いてきましょうか。旦那じゃぁ、メンツやら、組織やらあるでしょうから」
ライトはそう言うと姑息な笑い声を出して闇に消えて行った。
あぁ、また、サミュエルに会わなくてはいけないのか。と思う時が重いホッパーなのであった。
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