第6話 ラベンダーホテル初代オーナーの日記

 ロバートの屋敷に戻ると、ホッパーあてに「殺人事件有り、至急戻れたし」の電報が届いていた。

 ホッパーとライトは一緒になって汽車で帰っていった。

 サミュエルも同行したかったが、まだ少し顔色が悪いとカロラインにねじ伏せられ、もう一泊することになった。

 食後のお茶をロバートの書斎で、サミュエルとエレノアと三人でいただく。

「この、奇妙な夜会を早々に終わらした方がいいと思うのだが、」

 ロバートの頭痛も何とか治まって来ていたが、それでも時々気を抜いたらこめかみに激痛が走って、苦々しい顔をする。

 サミュエルとエレノアは同意を示す「でも、どうやって終わらせますの? 誰が、何の理由で行っているのか解らないのに。それに、次の招待状も、誰に出されるか解ってませんよ?」

「そうなんだよね。招待状をもらった人がもらったと言わないから、次が解らない」

 ロバートが悔しそうに言う。

「そうでもないよ」

 サミュエルの言葉にロバートとエレノアが顔を見合わせる。

「というと? 誰か知り合いでも(招待状をもらった人が)いるのかい?」

「いいや」

「じゃぁ、どういうことだい?」

「セブンズ村で七日、随分と安易な感じじゃないか。その前が、カルテット村で四日だった。何か気づかないかい?」

「……、村の名前が数字?」エレノアが伺うように言う。

「イヤでも、それでは警察に対して、」

「だけど、廃墟で大騒ぎをしているようだが、あの一帯に行ったものは濃霧によって目をやられる―予想だが、そういう副作用が起こっているに違いないだろうね。廃墟に近づいていない村人は、ちゃんと見えていたようだから。

 警察が行ったところで、廃墟は廃墟のまま。濃霧で見えない。もしくは、麻薬により夢を見させられる。警察だって同じようなことになるだろう。だから、主犯は逃げられる。

 では、なぜあえて解り易い設定なのか? きっと、誰かを誘導させたいのだろうね」

「誰かとは?」

「僕か、な」

 サミュエルの言葉にロバートが勢い良く立ち上がる。その握った拳が震えている。

「ありがたいねぇ。僕の身を案じ、見えない敵と戦おうとしてくれる。僕は良い親友を持ったようだ」

「あまり、笑えない冗談は言わないでくれ」ロバートの声がいつもよりも低く、慎重さを感じさせられる。

「冗談ではないと思うよ」その反対にサミュエルはどこまでも軽く、のんきに答える。「とはいえ、僕だってなぜ狙われるのか、心当たりがないわけじゃない。だけど、それに飛びつくにはとても飛躍しすぎていてね、だから、うちの伯母上様の命を狙う不届きものが、ついでに狙っている。というありえないが、まぁ、一般的ゴシップになりそうな方を今は推薦しておくとして、では、その誰かは、女王陛下の失脚が目的であれば、僕なんかより、他に適任はいるように思えるが、……まぁ、そうであるならば、田舎で変な夜会を開く理由がないわけで。

 となると、どうする? 僕が邪魔なのか? それとも有効活用したいのか? それとも、本当に、エレノアに来たのはただの偶然で、その偶然を面白おかしく僕たちが騒いでいるだけなのか? どれだと思う?」

 サミュエルの問いにロバートは黙った。

「仮に、命を狙っているものが居て……僕が全力で阻止するけども。そいつの狙いは何だ? サミィの命を狙ったところで何かが変わるわけじゃない。恐れ多いお方が激怒して、持っている力のすべてで犯人を捜すとも考えにくい。……僕は、君のほうが大事だから。今はそう言うけども、正直目の前にしたら、ひれ伏すけどね」ロバートは苦笑いを浮かべる。

 エレノアはサミュエルの顔を見たまま驚いているのは、サミュエルが女王陛下の甥であるということが理解できないのだろう。

「僕は、僕だよ、エレノア。君の友達のロバートの親友。君の友達でもあるけどもね」

「……私、」

「いいから。僕は、放棄した人間だから。今までの態度を変えないで」

 サミュエルがエレノアの手に手を重ねる。エレノアにはサミュエルの懇願する表情が見えた気がした。エレノアは、サミュエルの周りにいた人物がどれほど冷血だったか、今、どれほど幸せなのかを瞬間読み取った気がした。ゆっくりと頷き、重ねられた手を片方で二度叩いた。

「私、思うのだけど……、サミュエルだけを狙ったのかしら? もしかしたら、ロバートも、私も狙われているのではないかしら?」

「それはまた、どうして、そう思った?」サミュエルが意外だと言わんばかりの声を出す。

「手紙が届いた時、私すぐにロバートを訪ねようと思いましたの。でも、あぁ、彼は田舎に帰っているわって。だからと言って、サミュエルを訪ねるのは勇気がいりましたの。だって、ロバートがいるからこそ尋ねられるというか、その……」顔を赤くして俯き、一つ咳ばらいをしてから「だから、同じ労働者のライトさんの新聞社に行きましたの。ライトさんなら同じような変な招待状が届いた話をきっと知っていると思って。

 確かにライトさんはこの奇妙な夜会を知っていて、取材にまで行っていたというじゃないですか。だから、このまま手紙を預けようと思ったのですけど、二人で手紙を見ているうちに、サミュエルに相談しに行った方がいいのじゃないかって、どちらともなく言いだして。

 なぜサミュエルに相談に行くのか、今ではよくわかりませんわ。ホッパー警部のところに行くのが筋だと思いますもの。麻薬パーティーだなんて。でも、ホッパー警部の名前は一度も出なかったし、頭にも浮かんできませんでしたわ。

 もしかすると、手紙に何らかの仕掛け―濃霧で見えなくなるようなことが出来るのなら、手紙に何かしらの仕掛けもできるんじゃないかしら?」

「そんな奇抜な手品……。だけど、もしそうだとすると、サミュエルでは手紙を手にできず、エレノアに運ばせるためとはいえ、ここに連れてこなければいけなかったのならば、たしかに、」

「ね? 三人が狙われている。と思えますでしょう? でも、私たち、何かしたかしら?」

 エレノアの言葉の後、ロバートとサミュエルの頭にタイラーの事件が思い当たった。だが、タイラーの自殺―頭部を銃で撃ち抜いた―でケリは付いているはずだ。血縁関係者が復讐に来られても、三人が追い詰めたわけではないので、言いがかりも甚だしい。だが、

「三人がかかわったとすれば、タイラー氏の件だけだ。妻子は彼が殺して。タイラー氏の血縁者は、遠方に嫁いだ妹ただ一人だったはずだ。鉄道会社は彼が正気の内に他人に引き継いでいたし、我々がしたことは、訪ねて行っただけだ。他に、なにかあるかい?」

 ロバートの説明にエレノアが首を傾げ、サミュエルのほうを見る。

「無いわけじゃないが、……いや、ありえないな。だが…」サミュエルが唸る。

「議論をしたい。ありえなくてもいいから思いついているのならば、話してくれよ」

「……黒い靄だよ」

 ロバートとエレノアが同時に、嫌な顔をした。


「存在を忘れていたわけじゃないけど、いや、忘れていたかったよ」

 長い沈黙の後、ロバートが言った。私も。とエレノアが賛同した。

 あの暗がりの中からでもはっきりと解る黒い靄。シーツお化けのような姿をし、浮遊し、顔らしきものでじっとこちらを見ている。あの粘性を持った印象を思い出しエレノアが自分自身を抱きしめた。

「ライト君の話を聞いた時から、僕はずっと思っていたんだ。濃霧が濃くなってという話しと、手紙から感じられた悪寒がまさにあの黒い靄そのものだったと。ライト君はそれが何だったか思い出せないようだが、まぁ、彼は僕たちとは違う独自に調べていたからね、もしかすると靄のターゲットから外れていたのかもしれない。

 ただ、真相に近づいた時、誰かにつけられている気配を感じ、命からがらうちに来た時のことを思い出せば、彼はこの件から手を引くだろうけどね」

「確かに、あの、靄だ」ロバートがやっと吐き出す。

「だけどね、問題は……あの靄はなんであるのか。あれが、靄が本体だとしよう。なぜ麻薬パーティーなどを行うのか? 貴族を集めてどんちゃん騒ぎをする理由は? 骸骨を使って、貴族が大勢いるとなぜ思わせる必要がある? 田舎で繰り広げられる意味は? 靄が、どうやって、豪華絢爛な田舎の貴族屋敷を作り上げられるのか? 靄は、本当に靄なのか?」

 サミュエルの言葉にエレノアは眉をひそめて行く。

「ちょっと待った。本当に靄なのかって、どういうことだい? 君だって見たじゃないか、靄だっただろう?」

「ああ、靄だったね。向こうが透けて見えるシーツお化けだ。だけど、靄というものは本来意思を持たず自然現象であって、たなびき、条件で晴れる。そこに一個体と化して留まることはない。では、あれは、なんだ? 意志を持ち、そこに留まり、人を監視したり、君たちは襲われたんだろ? あれは、なんだ?」

「なんだ? と聞かれても、」

 サミュエルは不服そうに持ってきていた本を机の上に放り投げた。

「だから嫌だったのだけどね、飛躍しすぎているから。だけど、一番説明できるんだよ」

「何の本を持っているのかと思っていたが、これは?」

「ラベンダーホテルの支配人の日記だ。ラベンダーホテルの初代オーナー。タニクラ ナルに助けられた一人の日記だ。普段は全くどうでもいい内容だけが読めるが、いくつか白紙のままのところがある。なぜ持っているのか僕もよく解らなかったが、この手紙を見た途端、これを開いてみたら、今までは白紙だった頁にいくつか興味深い日記が出てきた。

 不思議だねぇ。まったく今までなかったのだけどね」

 そう言ってページをめくる。三人の頭が日記帳の上に近づく。

「客のクレームなんかが書いてあったり、こういう客の場合の対応方法なんかが、几帳面な男だったらしく書かれている。あぁ、ここだ。いいかい?

 今朝来た男には不審な点があった。他の従業員たちは気づかなかったようだが、私にはあの男が随分と大きい服を着ているように感じられた。服が大きいのか、中身が小さいのか? とにかくずるずると裾を引きずっているように思えた。

 ベルボーイに荷物を運ばせる手配をし、一緒に階段を上っていくうち、とうとう男はその身長を無くしてしまったのだ。ベルボーイは姿の無くなった男の荷物を運んでいく。階段を上がって振り返り、客を探して辺りを見回す。荷物は探すのに邪魔になると見えて、二階に置き去りにして客を探す。荷物はふっと消えた。

 私は見ていた。私には見えた。私だけが見えたのだ。他の誰も見えていない。私はどうしたの言うのだろう? もう、こういうことを何度も経験している。私は、気がおかしくなりそうだ。

 そして、これが二週間後の日記だ。

 今日、随分とかわいらしい少女が、大きな男と一緒にやって来て、「助けてやるから泊らせろ」と言った。随分な物言いだったが、「このホテルは最初こそよかっただろうに、このところ客足が悪くなっているのじゃないか?」と聞いてきた。「それもこれも、よからぬ妖魔が棲みついている」というのだ。

 妖魔など、子供の絵本の中のものだと笑ったが、彼女は「では、姿を見せてやろう」私の腕を掴んだ。すると、私のホテルが、とても贅沢に作った私のホテルが、ヘドロのようなものがこびりつき、辺りを汚しているではないか。

 彼女の手が私から離れると、それは見えなくなる。インチキを辞めろと言ったが、彼女は私が見た、一つを柱からあのヘドロを引きはがして見せた。

「これは人の欲求を増幅するがある。贅沢をしたい、ちょっとリッチになりたい。などの人の欲求を吸って増幅しては数を増やす。こいつらに確たる目的はないが、こいつらが居ると、他の要らぬ妖魔がやってくる。今はまだ見えないが、人に害をなす、例えば、強盗、暴行、殺人と言ったこともやりかねないやつらもいる。そういうやつらが入り込まないようにしてやるから、泊らせろ」

 私は即答した。助けてくれと。もう、正直限界だったのだ―。

 経営も、そして私にだけ見える不思議な現象にも。

 私は、なぜ彼女に頼んだかというと、彼女は少女なのだが、少女に思えない風格と、その気迫に頼んだのだ。彼女は私の手を掴むと、空いている片方をやつらに向かって伸ばし、短くも威力ある言葉を発した。何を言ったかは不明だった。聞いたことのない音なので、それに近い音を記すこともできない。だが、奴らは跡形もなく消え去り、その途端、客がどっとあふれるようにやってきた。

 ―と書いている」

 サミュエルの言葉の後、二人は唖然とそれを見入った。

「私、おかしいのかしら? 文字は一切見えないのだけど、白紙のままなのよ。でも、でもね、あなたが言っていることが、どういったらいいのかしら、すごく小さくて、この日記帳の、この上でお芝居を見ているようなの」

 今度はサミュエルのほうが唖然とエレノアを見る。

「芝居?」

「ええ、小さな人形が動いているのよ。ラベンダーホテルの人の制服は見たことがあるわ。仕事の行き帰り前を通るから。その人たちが上手に動いているのよ。でも、人形のようではないの。だって、下のノートは見えているんだもの」

 サミュエルがロバートを見れば、ロバートも同じだと言った。

「姪っ子たちが遊んでいるドールハウスを見ているようだったよ。ただし、動かしている人の手はなかったし、人形らしくなく滑らかに動いたがね」

「文字は見えない?」

 二人ともが頷く。

「これまた不思議なノートだね。これは」サミュエルが可笑しいと言いながら仰け反った。「だから君たちはノートを覗き込みに来たのか」軽く声を出して笑う。

「不思議なノートだし、どういうからくりだか興味があるけども、サミィ、君が言いたいのは、この少女のことかい? それとも、」

「妖魔の方だよ」サミュエルの冷たい響きに二人は唇を固く結んだ。

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