第2話 アームブラスト村
サミュエルとエレノアは汽車に乗っていた。
「まだ、雪が残っているね」
「四月なのに」
と愚痴ってしまいそうなほど寒く、汽車の中は暖房を焚いていた。個室から見える窓は蒸気で白くなっていて、それをサミュエルは面白そうに拭いて視界を確保している。
「いきなり行って、大丈夫なのかしら? それに、私、」
エレノアが憂鬱そうなのは、怪しい招待状の所為ではなく、今から向かう場所―ライト記者と一緒にサミュエルを訪ね、怪しい招待を受けないと言ったとたん、
「この村は、ロバートの領地の側だね。いい機会だ、一度来いと言われているから、行ってみよう」
と言い出し、すぐに電報を送り、「心より歓迎する」と電報が来てすぐの汽車に乗ったのだ。
「いいのじゃないかな? あの返事はカロライン―ロバートの姉の一人―だろう。あれほどすぐにロバートは返事をよこさないからね」
サミュエルはくすくす笑い、「それよりも、君はそれを手にしていても平気のようだね?」とカバンを指さした。
「いいえ、不快で仕方ないわ。とても嫌なもの、例えば、そうね、自分がミスした布を持って、マクガレーさん―マクガレー縫製所の縫製師をしている―に報告しに行くような感じですわ。とても、いやな気分。でも、サミュエル。あなたのように指先に電気が走ったりするような危険はないわ」
サミュエルが手紙を手にしようとしたら、目に見える電気、まるで雷のような筋がサミュエルの指先を攻撃したのだ。そこに居たライト記者も、執事のジェームズさえも目を丸くした。
「どうやら、それは、僕を嫌っているようだね」と言い、「実験だ。この手紙をここに置いて、いいね、ライト君も、ジェームズ君も証人だ。手紙はここに置いていく。さて、出かけてみよう」
駅に着き、エレノアは自分の切符は自分で買う主義で、サミュエルに払わす気がないとカバンを開けて、小さく悲鳴を上げた。サミュエルがカバンの中をのぞくと、招待状がちゃんと収まっている。
「ちょっと、聞いてみようか」
サミュエルがラリッツ・アパート―サミュエルの家の名前―に電話をする。―央都では電話がつながるようになっていた。と言っても、貴族の屋敷や、一部の金持ちの商店のみだが―ジェームズが机には手紙が無くなっている。と唖然として言った。見張っていたわけではないので、いつ消えたのか解らないとのことだった。
サミュエルは首をすくめ、エレノアは不安と恐怖に顔を引きつらせる。
「僕は、ロビーほど君を安心させる術を知らないし、気の利いた話はできないけれどね、今から、ロビーに会いに行く。と、そちらの方を考えることを薦める」
「ありがとう。あなたが居てくれるだけで安心なのよ。本当に」
サミュエルはエレノアに微笑み返す。こんな美人に微笑まれたら照れずにはいられないけれど、サミュエルは美人すぎて、落ち着かない。と顔をそらせる。
とにかく、手紙はエレノアのカバンの中に居続け、相変わらずサミュエルの手を拒み、サミュエルとエレノアはロバートの領地である田舎に向かう汽車の中に居るのだ。
「ライト君には、引き続き、招待状を受け取った人のリサーチを頼むとして、この謎の夜会で問題なのは、その招待状を受け取った人が、正気である人と、そうでない人がいること。そうでない人間がその後同じく参加し続けている。まぁ、麻薬パーティーは常習的になるようだからしようがないのだろうが、やっと、最近警察がその常習性で暴力的になったり、破産するので禁止令を出したばかりだから、警察も躍起になって取り締まっている。
だけども、それだけなのだ。今のところは。小さな不幸を招くのは偶然かもしれないからね。
だから心配ないと思うけれど。いかんせん、それは君を追ってやってくる。いったい、なぜだろうね? まぁ、問題というほどではないし、だからその招待を放っておいてもいいのだが、ライト君の話しがね、」
「屋敷がすっかりなくなってしまった。何てことあるのかしら?」
「さぁね、だけど、ライト君の話しでは、すっかり廃墟だったというじゃないか。百人ほどの人が押し寄せ楽しんだ場所ではないと。濃霧の中で解体工事が行われていた。何てのも信じられないしね」
「本当に、気味が悪いわ」
ロバートの、アームブラスト男爵が代々治めているアームブラスト村に着いた。駅はこじんまりとしていたが、近所の人が花を植えたりして、きれいにされていた。駅員も人好きしそうな顔をしていて、降りてきたサミュエルたちを見るなり、
「ロバート様のお客様では?」と聞いてきた。そうだというと、頼んでいないのに馬車の用意を始めてくれた。
「大丈夫です。男爵様にはよくしてもらってますから。他の領地では、領主がどんちゃん騒ぎをしたり、村の畑を荒らしたりって、変な客が押し寄せるようですけど、男爵のお客はとても品がいいし、何より、ロバート様がいい人ですからね」
御者はにこやかに話し、いかにロバートが素晴らしいかと三十分ほどの道のりを話し続けた。
「お二人のような幸せをロバート様も手に入れてほしいものですがね」
というので、「残念だよ。そのロバートの相手が、彼女なのだけどね」というと、御者は上機嫌に口笛を吹き、
「そのほうがお似合いですよ。いやいや、あなたに合わないというわけじゃないけど、どういいますかね、そう、ロバート様とならぴったりだ」と大声で笑った。
「ランキンスさん!」
屋敷の二階の窓からロバートが身を乗り出して大声を出す。
「いい加減な話をしないで、もう、戻ってくれて結構だよ」
「ははは、坊ちゃん、とてもいいお嬢さんだ。がんばるんですよ」
とランキンスと呼ばれた御者は大笑いをしながら馬車を走らせて行った。あの勢いだと、村中に、ロバートの相手を言いまわるだろう。
「あ、えっと、すぐに降りて行くよ。いや、あの、よく来たね、えっと、」
「早く、降りてきたまえ」
サミュエルに言われ、ロバートは窓を閉めたが、動揺しているらしく片方の窓がまた開くが、閉める様子がないので、慌てて部屋を出たのだろう。部屋を走っているのか、女性の悲鳴が上がる。
応対に出てきた執事が少し口を堅く結ぶ。
「や、やぁ……、ようこそ」
ロバートが顔を赤くして玄関先に出てきた。
「中にお通ししてもようございますか?」
執事に言われ、ロバートは焦りながらも執事の言うとおりにサロンへと向かった。
居心地のいい暖かなソファーが置かれていて、冬のどんよりした天気でなければ、日の光が降り注いでくるであろうと思われる部屋だった。
サミュエルは窓際に立ち、「今年の冬は寒いね」と言った。
「本当に、困ったものだよ。種まきが行えないからね、農地はまだ土の中の水が凍っているし、今年は厳しい年になるかもしれない」
ロバートはエレノアを暖炉そばの椅子に案内してから、自分の椅子に座る。
「君は良い領主でうれしいよ。さて、熱烈の歓迎を済ませてから、用件に入りたいのだがね?」
サミュエルの言葉に執事は頭を下げると、そのあとすぐに、
「サミィ!」
と小さな夫人が入ってきた。
「母です」
エレノアがソファーから立ち上がる。
「まぁ、久し振りにみても、男ぶりはいいのに、なんて不健康そうな顔いろなのかしら」夫人はサミュエルの頬に手をあてがってから、「そちらのお嬢さんが、エレノアさんね? まぁまぁ、遠いところをようこそ」
「急にお邪魔いたしまして、」
「いいのよ。ロバートのお友達なら大歓迎ですよ。サミュエルのところのマルガリタ―家政婦―ほどではないけれど、うちのシェフも腕がいいのよ、ぜひ食べて行ってね。でもそうなると、汽車はなくなってしまうから、今日は泊っていくことになるわね、まぁ、大変、私のお気に入りのキルトを出さないと、寒いからね」と夫人は出て行った。
そこへ、笑いながらカロラインが入ってきた。
「お久しぶりね、エレノア。まぁ、以前と違って血色がよくなっていて、私、とてもうれしいわ」
サミュエルを一瞬見た後、すぐにエレノアの手を握り、ソファーに座らせ、しばらく世間話をしてから出て行った。というか、ロバートに制止され強制的に出て行ったのだが。
「まったく、飽きが来ないね、君の家族は、」
「うるさいだけだよ。疲れるだろう?」
「いいえ、とてもいいご家族ですわ」
「ありがとう」
ロバートとエレノアが見つめ合い、なんとも言えない空気が流れる前に、
「手紙が、」
サミュエルが手紙を手にして立っていた。エレノアがカバンを開ける。「無い、です」と言った。
「あぁ、先ほど、この窓辺にあった。驚いたね、さっきまであった禍々しいものが無くなっているよ、ほら」
そう言って手紙をエレノアとロバートの間に翳す。
「本当ですね」呆気にとられるエレノア。
ロバートが手紙を手にして、「中を見ても?」と聞いてから開封する。
「今月七日、セブンス村のアイスビーズ屋敷にて、六時より。心よりお待ちしてます? 七日って、明日じゃないか? セブンス村なら、隣の村だね、アイスビーズ屋敷? そんな屋敷あったかな?」
「失礼ですが、」執事が声をかける「昔、大旦那さま―ロバートの祖父―の代にクロスビー様のお屋敷がアイスビーズ屋敷と呼ばれておりました。クロスビー様は氷室を用いて夏に氷を販売する商売をなさって財を成しておいででしたが、ご子息が放蕩の上で破産されております。今ではすっかり廃墟となっていると思われるのですが、」
執事の言葉に三人は顔を三わせる。
「担がれたんだね、」ロバートの言葉に、
「で、も、」エレノアが顔をゆがめる。
「行ってみないかい?」
サミュエルの言葉にエレノアは大きく頭を振り、ロバートが眉をひそめてサミュエルを見た。
「廃墟でどんな夜会を行うというんだろうかね?」
「さぁ……、ハロウィンではないのだから、仮装パーティーではなかろう?」
「どうする?」
サミュエルの言葉に、ロバートはにやりと口の端を上げ、「出不精の君が、僕を必要として、わざわざ出てきたんだ、行かないわけにはいかないよ」
「では、明日で向こう」
「サミュエル!」エレノアが頭を振って止める。
「なんの根拠もないけれどね、僕と、ロバートなら大丈夫な気がする。一応、信用のおけるものを二人ばかり連れて行って、僕たちを回収してもらおうとは思っているが、君は行かない方がいい。というか、カロたちが君を手放さないと思うがね」
「でも、」
サミュエルが手紙をひらひらさせ「なぜか、大丈夫な気がするんだがね」と微笑んだ。
その夜。怪しい夜会の話など出ず、全ての会話が、ロバートには早く結婚をしてほしい。嫁に来てくれる人の条件が全てエレノアを示唆していて、エレノアとロバートは顔を真っ赤にし、調子に乗ったカロラインが、このまま結婚式を挙げようと大騒ぎをしはじめた。サミュエルは気分良く酒を飲んでいるようだった。
食事も、談笑も終わり、十時半、ロバートの書斎にサミュエルと二人で残る。
「我が家にはコーヒーがないんだ」
「構わないよ。こういう場所には、紅茶がよく似合うからね」
サミュエルはその匂いをいっぱいに吸い込んだ。
「僕が思うに、」ロバートが静かに言った。
みんな寝る支度をし始めるころであって、まだ寝入ってはいないだろうし、書斎は寝室からだいぶ離れているけれど、ロバートはみんなを気遣っているような小声でつぶやいた。
「その招待状、君が特に気にする理由なんだけどね」
サミュエルがにやりと笑った。
「気の所為であってほしいと願ったのだけど、……、君が消えたと言ったのは、黒い靄のことじゃないのかい?」
サミュエルの顔から笑顔が消え、ロバートを凝視した。
「エレノアやライト君は見えなかったようだが、君には見えたんだね?」
ロバートは頷く。「だから、あえて僕は気にしないようにしていた。いつからあったのか、君が立ってたあの窓辺の、あのチェストの上にあって、あぁ、本当に嫌な気配だと感じた。だが、不思議なことに、母や、カロが出入りした途端消えたんだ。
僕は、二人にあの靄が付いて行ったのではないかと思ったがそうではなかった」
「それは僕も気づいていた。あの二人には、ああいうものを寄せ付けない何かがあるようだね」
「ああいうもの? ということは、君はあれがなんだか解っているんだね?」
「はっきりとは解らないが、冬の初め、エレノアの姉の事件で、君たちが最初に出会った晩、そして、翌日、僕たち―僕と、君と、ライト君とホッパー警部―が空に浮かんでいる靄を見た。他の誰も気づいていなかった。あいつと同じ感じを受けた」
ロバートも頷く「僕も同じだ」
「そこで、エレノアやライト君に見えないということは、あいつ―靄のことだけど―は、僕を是非に引っ張り出したいのだろうと考えた」
「引っ張り出すって、どこに?」
「さぁ? まぁ、明日になれば解るだろう」
「なぜ、君の家に直接届かなかったんだろうかね?」
「さぁ? まぁ、もし、僕の家に届いたとして、僕が行くと思うかい? エレノアが持ってきた。この冬は例年になく領地で足止めを食らっている君、あの手紙が禍々しいものを出している時には、僕は手を触れることはできなかった。
つまり、エレノア一人で夜会に行かせるわけにはいかない。ましてや、僕がエスコートして、彼女を危険だろうと思われるところに行かせるはずがない。
多分、この村で開くことは、君のもとへ行くだろう。と相手の思うつぼ。ということだろうね」
「じゃぁ、エレノアを危険にさらす気ではないんだね?」
「胸を張って、当然だと言いたいが、僕は本来他人がどうなろうと気にしないたちなんでね。ただ、僕が手にできない以上、あれを持ち運ぶ係がいる。ただそれだけだよ」
サミュエルの言葉に、「素直じゃないね、相変わらず」と苦笑する。
「だけども、この夜会というのは、なかなか悪い噂のある夜会らしいんだ。ライト君の話しによれば、麻薬パーティーだそうだよ。だが、警察はその情報を得られず、翌日、開催されたらしい場所へ行くと、そこは廃墟で、その痕跡は全くないという」
「そんな、そんなことがあるのかい?」
「……、さぁね」サミュエルはカップを置いて暖炉の火を見つめる。「いやな予感だけはする。エレノアの手前動じないようにしていたけれどね。この僕が、守護を願いたい。とさえ思っているほどだよ」
「お守りってやつだね……、銀の弾」
ロバートが翻るようにして立ち上がり、机の引き出しを開けて小さな小箱を取り出した。振り返れば、サミュエルも身を乗り出すようにしている。
「タニクラ ナルからの銀の弾」
二人が同時にそういうと、ロバートが蓋を開ける。
「……、銀の弾は、一個じゃなかったかい?」
「一個だったはずだが……、しかも、鎖がついている」
「首に掛けれるようだね……、そうだ、エレノアはブローチをつけていた。君があげたやつだ」ロバートが頷く。
「……銀? なのか? ……、だが、君の母上や、カロラインはそんな装飾や、銀を食することはないだろう?」
「無いよ。あの二人に共通していることと言えば、とにかく明るいということだけだね」
「性格的バリアがあるのだろうかね?」
「だといいのだけどね……あの靄は、この家にやってきたから」
ロバートの言葉に、サミュエルが短く「あっ」と言った。
「大丈夫だと思うよ、……よくわからな根拠だけどね」
ロバートは苦笑し、親友の膝を叩いた。
「とにかく、ここに二つあるのだから、一つは君が持つべきだと思う。これは僕が持つ。……しかし、不思議だな。今の今までタニクラ ナルのことなんかすっかり忘れていたのに。いや、そもそもなんだっけ? ただ、そう、お守りで……、この銀の弾に彫られている濁国の言葉だったっけ? まじないの言葉かな? 神よ守りたまえ、みたいな感じかな? ……、何を話していたっけ? そうか、これは君の強運の弾なんだね、ありがとう。じゃぁ、僕も身につけておくよ」
ロバートは話すそばからタニクラ ナルについてのこと、ひいては、銀の弾がなんであるのかを忘れて行く。サミュエルは口を挟もうとしたが、口が開かない。これは「不思議な力」というものなのならば、タニクラ ナルが側に居るのだろうか? と勘ぐってしまう。だが、翌日の朝を迎えてもそれらしき姿は見当たらなかった。
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