梅鼠(うめねず)色の夜が明ける~一大陸七国物語・宋国
松浦 由香
第1話 春なのに
四月に入ったというのに、この宋国の央都ではまだ雪が路肩に在って、北の方ではまだ一メートル以上の雪が残っているらしい。南のよその国ではすっかり夏模様だというのに、なんという不公平か。
そう思いながら、サミュエルは、朝の凍えそうな空気を温めるべく、薪を引っ掻いてくれている執事のジェームズに不平をつぶやいていた。
「今年は春が遅うございますね」ジェームズが火掻き棒を片付けながら言う。
「ロビーも、種まきに帰ったが雪で作業ができないとぼやいてきたよ」
「ロバート様のところも、例年にないほどの雪だったようですね」
サミュエルはロバートから届いた手紙を机の上に放り投げる。
サミュエルの頭の中に「以前誰かに言われたんだが、産業革命が進みすぎると思わぬ弊害が出る。例えば、温暖化とか、例えば大気汚染とか。そう誰かに聞いて、いったいどれほどのことを行えばそれが可能なのだとその時笑ったんだ」と浮かんだ。―誰と話したのだったかしら?―
ドアベルが鳴った。少し間をおいて二度目が鳴る「かなり、急いでいるようだね」
間隔が短く、ベルの鳴り終わりを待てずに戸を叩くので、ジェームズが急いで玄関口に向かった。
お久しぶりです。とか、いらっしゃいますよ。とサミュエルの面会許可を取らずに案内するので、サミュエルの心得ている相手なのだろうと察する。
部屋に入ってきたのは、エレノア・マンソル嬢とアルモンド・ライト記者―ナイトフラッグ新聞社―だ。二人は久し振りだとか、相変わらずだとか、そう言った世間一般のあいさつをしたが、
「そういうことを言いに来たわけではないね?」
サミュエルの言葉に、大きく頷き、エレノアが手紙を机に置いた。
「ご存知ですか?」ライト記者が口を出す。「今、貴族の間で―えっと、あなたも貴族でしょうけど、貴族俗世から浮世離れしてるから、どうかなぁ?ー流行っている田舎でのパーティーです。普通の社交界のパーティーではなくて、そりゃぁもう、大変なパーティーです。知ってます? 知らない? あぁ、やっぱり」ライト記者は座りなおし「こうやって見境なく招待状が届けられ、多分、見境なくです。集められた人たちは田舎の屋敷に集まってパーティーをする。
ある定刻で帰宅する人は、ごく普通なんです。本当です。
開宴は夜の七時、九時前に帰る人は居たって普通なんです。ですがね、それ以降居続ける人は、なんというか……、」
ライト記者が顔をゆがめエレノアのほうを見て苦笑いを浮かべ、意を決したように、
「屋敷の外に従者を待たせてるんですけどね、みんな回収が大変で。というのも、素っ裸で走り出たり、踊りながら出てきたり、もう、なんていうんですか? おかしな状態になるんですよ。ですけどね、そんな醜態をさらしても、次も行きたがる。まぁ一種の麻薬パーティーなのだろうと想像は付くんですよ」
「それは、警察の仕事だね」
「ええ、そうです。ホッパー警部も大忙しのようですけど、いかんせん、どこで開催されるか解らない。そのうえで、開催地が解って翌日出向くと、すっかり無いんです」
ライト記者がサミュエルの顔を見る。顔色が変わらなかったので、もう一度、「無いんですよ。すっかり。屋敷が跡形もなく」というと、さすがにサミュエルの美眉が動いた。
「無い? 屋敷が? もともとなかったんじゃないのかい?」
そこです! とライト記者が勢い良く立ち上がったところに、ジェームズがお茶を運んできた。お茶の用意の邪魔にならないように、ライト記者が続ける。
「この前は、カルテット村っていうところの」
「カルテット? どこだい?」
「北部の小さな町なんですけどね、そこであるって情報を得て、前日から張り込んでいたんです。田舎すぎて、一軒の気のよさそうな夫人の家に泊めてもらわないと宿がないくらいの田舎で。
前日、招待状で指定されている、バッファロー屋敷」
「バッファロー? 随分と乱暴な名前だね」
「そのあたりの豪主で、なかなかの暴君だったようです。確かにあったんです。おいらがちゃんと見ました。外から見た、ざっとした感じがまぁ、田舎によくある屋敷で、当日の昼ぐらいから貴族が続々とやって来て、まぁ、百はくだらないかと」
「貴族の大移動だ。よほどヒマなようだね」サミュエルの言葉に同意しながら、
「そして、宴が始まったんですけど、濃霧も、濃霧。腕を伸ばして自分の手の平が見えない濃霧。昼前から屋敷そばの木の上で待機していたんですがね、あっという間に屋敷はおろか、なんにも見えなくなって、そのうちに、一人、二人と、大騒ぎをして、まだ向こうは寒くて、コートを二枚来ていたけど、心臓が止まるんじゃないかというほどの寒さで、それなのに、素っ裸で、男だろうと女だろうとが大騒ぎをして出てきましてね」
サミュエルが手を上げて、「濃霧は最初から?」
「いいえ、九時までは、霧が出てきたな。って具合です。そう。九時までは、九時に帰るらしい人の一団が、玄関先の
「帰るのを待ったかのような?」
「そんな印象です」
「それからその破廉恥が活動を始めるのは何時?」
「まちまちです。屋敷の辺りで奇声が上がったりするので。外に出てくるのは、いよいよという感じでしたね。屋敷の中で収まって居られなくなって飛び出てきたような、そんな感じです」
「それはいつまで?」
「二時です。真夜中の二時。ぱったりと静かになって、回収された貴族を馬車に乗せて走り去る音だけはしました。と言っても、馬車というには愚かなほどの低速でしたけどね。濃霧のせいで」
「濃霧が晴れたのは?」
「朝八時です」
「君は?」
「ええ、晴れるまで木の上でしたよ。おかげで大風邪をひいて、ずっと寝ていたんです。先週。その濃霧ですけどね、以前にもどこかで感じたような気がするんですけど、全く思い出せなくて、気持ちが悪いやら、風邪が抜けていないのはだるくてね、そんなときに、エレノアさんがうちの新聞社に来て、」
「だって、私がお伺いできるのって、ライトさんぐらいでしょ?」
まぁ、ロバートは田舎に帰っているから、連絡が取れないのだろう。と、二人は思ったが黙った。確かに、労働階級のエレノアがサミュエルを単独で尋ねるのには気が引けるのだろう。
「それが、エレノアさんが来た途端、風邪の残りなのか、だるさがすっかり良くなって、でも、この招待状を出された途端、いやな気分になりましてね、」
「私だって、こんなもの要らないし、でも、どんなに捨てても戻ってくるんです」
「戻ってくる? 戻ってくるとは?」
「これが届いたのは三日前なんです。もう、いやでいやで、その日、ごみの収集日だったので、ちゃんと捨てたんです。でも、仕事から帰ってきたら、机にあったんです」
サミュエルが首を傾げる。エレノアが二度頷き、
「翌日は、仕事場で捨てました。でも、家の、リビングの、机の上に、戻ってきていたんです。手に取ると、とても嫌な気分になるものですから、どうにかしたいと思って、それでライトさんを訪ねたんです。
こんな不思議な話を聞いてくれる人などいませんし、もしかしたら、ライトさんならほかにこういう話しを聞いていないかと思って」
「招待状をもらった人の中には、やはり行かないという選択をした人が居るんですよ。ですがね、その人は、その当日に小さな不幸。まぁ、それの所為かどうか不明ですけど、馬車のはね水で裾が汚れたとか、鳥の糞が落ちてきたとか、まぁ、そう言った不幸に見舞われる人が居ましたけど、たいした不幸ではなく、」
「君はなぜその招待状をもらった人を知っているんだい?」サミュエルが聞く。
「あぁ、そもそもは、貴族が大移動を、この例年にない寒い時期にするので、それを探っていたんです。貴族と言ってもピンキリで、金を握らせれば話してくれる貴族もいるわけですよ。そういった人から田舎での怪しいパーティーが開かれているらしいと聞き、そのうちに、その一人にも招待状が届いた。
彼は、まぁ、なんと言いますかね、爵位こそあるけれどという貴族ですよ。央都の小さくて、古くて、およそアパートメントと呼べれるものでないところに住んでいるので、招待を受けても礼服がないので、行かないことにしたと。
当日、玄関で鍵がないと探していたら、急にドアが開いて頭に直撃したんだ。と笑っていましたがね、自分と同じような
ただし、この二通からは、」
ライトが、カバンから二通の手紙を出す。サミュエルの美眉が上がる。
「まったく、気配がない」
「そうなんですよ。この嫌な感じは、エレノアさんの、まだ、日付の来ていないこの招待状だけなんです」
「不思議だねぇ」
本当に。とライトとエレノアが同時に言う。
「それで、君は、これに行く?」
サミュエルがエレノアのほうを見て首を傾げる。
エレノアは嫌そうな顔をして首を振った。
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