第51話 最悪の選択肢と天使の輪行

 さすがに、18日目の話を全部50.5話と称して三尾の話だけで終わらせてしまうのは、物語としてどうかと思う。なので、茜たちがその間に何をしていたのかも触れておこう。

 心配しなくとも、こうしている間にも茜は面白い事態に巻き込まれていた。その状況は、我らが実況者ミス・リードによって語られる。


『さて、大会も18日目の午後ですねぇ。実況は私、ミス・リードですよぉ。

 選手の皆さんは現在、二手に分かれて進行中ですねぇ。ああ、別に順位的な話じゃないですよぉ。そっちは集団を形成していませんから……

 運命の分かれ道、というか、普通に分かれ道なんですよねぇ』


 つまり、どういうことかと言うと……


『宮崎県の県庁からの伝達で、主要道路を貸し与えるわけにはいかないとの連絡がありましたぁ。ただ、ものすごく遠回りをする細い舗装路(私道混在)か、ものすごくショートカットする未舗装の山道なら貸せるとの返答を頂きましたので……

 どっちも貸してください。って言っちゃったんですよねぇ。

 なので、宮崎県の沿岸部まで行って内陸に戻ってくる県南一周コースか、もしくは山道ばかりを走るオフロードか、どちらかを選手の皆さんには選択していただく事になりますぅ。

 うーん、私こういう地獄の選択みたいなの、苦手なんですよねぇ。

 例えばう〇こ味のカレーかカレー味のう〇このどちらを食べるか訊かれたら、どちらも食べてみたいと思いませんかぁ?……あ、ちなみにチョコレートで作ったダミーなら本当に食べましたけどねぇ』


「ひとつも共感するところがねぇよ!つーか、チョコでカレーのダミー作ってどうすんだよ」

 律義にツッコミを入れる茜だったが、残念ながらダミーとはそっちではない。

「はぁ。とりあえず休憩するか、空……」

 茜が振り返るが、そこに空の姿は無かった。

「ああ、そうだったな」

 オフロードを走れる自信があった茜は、空を置いてこちらに来たのだった。一方の空は、悪路を走れる車体を持たない。なので今頃は海に向かってアスファルトを走っているはずだ。

「アタイもそっちに行けばよかったな」

 と、茜は思う。今までだって、いろんなオフロードを走ってきた。木の根が絡み合う自然公園や、砂利に埋もれた線路。田んぼ横のあぜ道なんかも、だ。

 だから今回も、せいぜいその程度だと高をくくったのだが……

「まさか斜度100%以上の崖だとか、ハンドルが引っかかるほどの狭さの木だとか、そんなレベルだなんて聞いてねぇっての」

 今しがた登ってきた、高さ1m程度の崖に腰掛ける。ちなみに登り方だが、自転車を先に投げて放り込み、それから自分はロープを掴んで登ってくるという方法を茜は実践した。幸いにしてロープがあったのが救いだ。

「クロスファイア。投げてごめんな」

 変速ギアなどを傷つけないように、車体左側を下にして投げたはずだ。それでもディスクブレーキの取り付け基部を破損させるリスクはあった。入念に点検して、どこも壊れていないことを確認する。まあ、前輪のQRは外れてしまったが。

 先ほどの泥沼を歩いたせいで、体中が泥だらけだ。この粘着質な泥は冬場に体温を奪う。不幸中の幸いだったのは、湿度も低いからすぐにパリッと乾いたことだろう。

 服についた汚れを叩き落すと、空気中に砂ぼこりが舞う。これが目や鼻に入ると大変だ。最悪の場合は結膜炎や鼻炎に繋がる。

「もはや自転車レースじゃないだろこの絵面。なあミス・リード」

 空飛ぶマルチコプタードローンにそう語りかけるも、向こうは遠巻きにカメラで撮影してくるだけだった。


「ん、んしょっ」


「あ?」

 下の方から、少女の声がする。

「ふーんっ。ひぃ、はぁ……」

 どうやら参加者らしい。転びでもしたのか。後頭部でまとめ上げた黒髪は表面に泥と枯れ葉を乗せている。肘まである長い白手袋は、今や手のひらが擦り切れて使い物にならない状況だ。それでも彼女は、必死にロープにしがみついていた。

「大丈夫か?」

 茜が上から声をかけるが、相手はもう力尽きる寸前なのだろう。答えが無い。たまに泣き声が聞こえて来るだけだ。

「結び目を握って待ってろ。そのまま引き上げてやる」

 敵を助けるなんて、我ながら甘い。茜はそう自嘲しながらも、その必死な声の主を助けることにした。

 グイっとロープを引っ張ると、意外と重い手ごたえがある。しかし上げられないほどではない。


「ファイト―!」


 茜が叫び、後ろに倒れ込む勢いで引っ張る。


「い、いっぱーつ」


 ロープの下からも、少女の声が答えた。

 茜が後ろに倒れ込み、その上に少女がのしかかる形で上がってくる。というより、向こうはようやく崖の上に来た達成感から力が抜けて倒れ込んだのだろう。

 ここにきて、ようやくその少女の姿を確認することができた。

 真っ白だったと思われるドレス風のレースジャージ。キュロットのようなフリルのついたレーシングパンツ。それらは泥にまみれて色が変わり、そこかしこが破れている。

 まるでソシャゲのヒロインがダメージを負った後みたいな、一部の人たちには受けがよさそうな恰好のお嬢様。彼女は眼鏡をかけ直すと、茜の顔を見て抱き着いてきた。

「ふぇえぇえん!茜先ぱぁい」

「て、天仰寺!?」

 リカンベントを駆使する中学2年生の少女。今大会の優勝候補の一人にして、残っている中で最年少の参加者。

 天仰寺 樹里亜てんぎょうじ じゅりあだった。


「と、とりあえずアタイの上からどけ。邪魔だ」

 天仰寺の二の腕を掴んだ茜が、そのまま押しのける。

(つーか、こいつ細いな。しかも柔らかい……)

 上半身を全く使わないリカンベントに乗っているからこそ、だろう。その柔らかく細い腕に、そして狭い肩と、それに見合わない大きな胸に、同性の茜でもドキドキする。

「えぐっ。ぐすっ……こ、こんな道だなんて、わたくし聞いてませんわ」

「ああ、そうだよな。アタイも騙されたと思ったよ」

 それにしても、せいぜい靴底のクリートと自転車用グローブしかすり減らしてない茜と、服までボロボロになるほどすり減らした天仰寺ではダメージに違いがあるだろうが。

「そう言えば、自転車はどうしたんだ?」

 と、茜は彼女のリカンベント、TROYTEC REVOLUTION LOW-RACERを心配する。使用人に届けさせるなどの方法は、チャリチャンのルール上禁止されているはずだ。交換用部品ならともかく、本体は自分で運ばなければならない。

「ロープの、下ですわ。ひっく……」

「ロープの?」

 先ほど手繰り寄せたロープを、茜は引いていく。確かに手ごたえを感じるが、それはロープ自体の重さと比べれば大したことは無い。なので、まさか下にアタッシュケースが結び付けられているとは思わなかった。

「これ、まさか……」

「ええ。レボリューションがまるごと一台、その中に入っていますわ」

 天仰寺が鍵を開けると、そこには確かに丸一台のレボリューションが入っていた。


 細いシートは、外されて端の方へ。フレームは中央で折りたたんでケースの大半の面積を占領している。ホイールはケースの蓋に収納。ハンドルも外して寝かせているようだ。ケーブルはギリギリで繋がったまま。チェーンは外されている。

「以前もお見せしたと思いますが、改めてご紹介を――こちらはトロイテック社がレボリューションを運ぶためだけに作成した純正ケースですわ。とてもエレガントな見た目なので、気に入ってたのですわよ。……傷だらけになっちゃいましたけど」

「まあ、でもおかげで車体は綺麗だな」

 あの長いホイールベースを持つ車体が、こんなコンパクトに運べるとは、一度チラッと見たはずの茜も改めて感心する。もっとも、ダイヤモンドフレームの車体と違って高さが無いからこその畳み方なのだが。



「――で、どうしてこっちの道を選んだんだよ」

「気分転換ですわ。代り映えしないアスファルトの上を高速で巡行するのにも飽きたのです。だから、森林浴でもしようかと、日傘まで持ってきたのですわ」

「その日傘は?」

「コース入ってすぐ捨てましたわよ。枝に引っかかって壊れましたからね」

「ふーん」

 まさかそれが、一本50万円もする高級品だと思わない茜は聞き流す。彼女が身に着けている衣装さえ、オーダーメイドで一着あたり数百万円で仕立てているわけだが、それも茜は気づかない。

 その辺の倒木を椅子がわりに、二人で座って見ていると……

「やっぱ、輪行バッグを使う奴もちらほらいるな」

「ええ。彼らはこの状況を読んでいたのでしょうか?仮にそうだとしたら、なぜオンロード側に行かなかったかが一番わかりかねますわ」

 輪行バッグ。自転車を運搬するには必要なバッグだ。とはいえ、本来なら電車などに持ち込むためのもので、こんな山の中で使うものではないが。

「そう言えば、茜先輩はどうやって自転車を運んでいたのですの?」

「アタイか?こうやって、ダイアモンドフレームのフロントに腕を入れるんだ。で、トップチューブを肩から下げる」

「あら。意外と持ちやすそうですわね」

「ああ、ただハンドルが回ると邪魔になるから、前輪とボトムチューブを一緒に掴んで固定する必要がある。これが結構キツイんだよ。特にアタイみたいに太いアルミフレームだとな」

 シクロクロスレースにおいて、わざと走れないセクションが用意されることは当然だった。なので、茜も一応そんな場所での担ぎ方くらい知っている。

「ハンドルをロックしてしまえばいいのかしら?でも、スポーツ用車体でそれをするのは難しいですわね」

「そうなんだよ。まあ、アタイはそんな時にはタイラップを使ってるけどな。これで縛っちまえば固定は簡単ってわけだ。解く時は切らなきゃいけないから、使い捨てになるけどさ」

 と、これはどちらかと言えば、茜が台風などの悪天候で通学するときに身に着けた知識だ。時として学校に行くときは大丈夫だったはずの天気が、放課後には急変していることがある。通学はどんなレースより過酷かもしれない。


「こうなると、輪行バッグを持ってきた方が楽だったかもな」

 茜がそう言うと、天仰寺は「ふーん」と顎に手を当てて、天を仰いだ。そしてぼそりと言う。

「もし、それが空から降ってきたら、どういたしますか?」

「は?そりゃ使わせてもらうよ。ありがたく」

「輪行バッグだけでいいのかしら?」

「いや、本格的に輪行するなら、エンド金具とダミーローターも欲しいな。あとはロケットカバーか。まあ、空から降ってくることは無いけどな。ははっ」

 茜が笑って、それから紅茶を一口すする。天仰寺が持ってきたペットボトル入りのもので、飲んでみるとやはり値段相応の味がした。家でティーバッグを使って淹れた方が美味いのは間違いない。

(お嬢様でも、こんなの飲むんだな)

 そう感心する茜の横で、天仰寺はスマホを使う。なんと、二郎垣内でさえ使っていなかった金メッキのiphoneである。

「セバスチャン。大至急でシクロクロスを収納できる輪行バッグを……それとエンド金具とダミーローター、およびロケットカバーとやらを手配しなさい。ええ。30分かかるのね?……解りました。25分与えますわ」

「は?」

 スマホをポケットに収納し直した天仰寺は、にっこりと――それはもう、同性でも構わず落としてしまうほど庇護欲をそそる無垢な笑顔で、告げるのであった。

「もう24分30秒ほどお待ちくださいね。すぐに茜先輩の使う輪行バッグを手配しますわ」

「お、お前、マジか?つーか輪行バッグってそこそこ高いんだからな?本格的なもんだと1万円を超えることも……」

「あら、それならわたくしが使っているタイツより安いですわ」

「……え?」

 天仰寺が、その脚をにょっきりと伸ばした。こちらも、とても最高速度110km/hを生み出すほどの脚力を持つとは思えない、柔らかそうな脚。もっとも、年相応に筋肉がしなやかで、かつケイデンス重視の柔らかい筋肉しかついていないのだろう。

 その綺麗な脚に纏う、伝線したタイツを、そっと指で裂いていく。


 ビビビビビビビビビッ!


「うわぁ何やってんだ。1万を超えるタイツじゃなかったのかよ!?」

「3万円ほどですわ。でももう伝線してしまいましたから、必要ありませんの」

 ズバッと裂き切った彼女は、それをさらに細長いボロ切れに変えていく。そして、茜の擦りむいた膝小僧に巻いた。

「え?」

「本当なら、もっときれいな布があれば良かったのですけどね。御覧の通りわたくしも泥だらけですので、これで我慢してくださいな」

 包帯代わり、という事なのだろう。結構きつく締めつけているはずなのに、その個所には痛みも窮屈さも無い。試しに膝を曲げ伸ばししてみると、しっかり伸縮する。なのにずれない。

「あ、ありがとう……」

「いえ。この程度、未来のプロレーサーの脚を守るためなら何でもありませんわ」

 右脚だけ生足を晒した天仰寺が、残った邪魔な切れ端を適当に引きちぎっていく。多少絡みついて残った糸は、ほんのわずかしか食い込まない。柔らかそうに見えてもしっかり筋肉は付いているわけだ。




 落下傘――

「本当に空から落ちて来るとはな」

 小さなパラシュートのようなものに、大きめのドリンクボトルみたいな筒が括り付けられている。

「ええ、わたくしの実家のドローン操縦士にかかれば、この程度の投下は楽なものですわ」

 マルチコプターが旋回して、遠くに離れていく。どうやらあれは天仰寺の自家用機らしい。操縦は誰がしているのやら……

「おお、本当にちゃんと輪行一式が入ってる」

 投下された補給物資を確認した茜は、さっそく輪行に入る。

「変な話ですけど、そのような小さい筒に、自転車を入れるほどのバッグが入っているのかしら?」

「ああ、ほら。こうしてしっかり畳まれて、丸められてるんだよ。自転車に乗るときにボトルホルダーに入る規格だな」

 バサッと広げれば、確かにそこには自転車のフレームだけなら入る大きさの袋。

「これは、OSTRICH社のL-100か。それにエンド金具とダミーローターも、ロケットカバーも同社で揃えてある。全部合わせると本当に1万超えるぞ」

「受け取ってくださいな。わたくしを助けてくれた茜先輩にお金の話はしたくありませんわ」

「そうか。ありがとうな」

 まずはホイールを外す。クロスファイアからヘッドライトを外して、上下を逆さまにする。サドルとハンドルで三転倒立している状態だ。

「天仰寺、これで照らしててくれ」

「ええ。分かりましたわ」

 周囲は薄暗くなってきていた。日没より前に下山しないと、本当に真っ暗な中で一夜を明かすことになりかねない。


「スルーアクスルではございませんのね。ディスクブレーキと言えばスルーアクスルという気がしましたが……」

「ああ、アタイの車体はそこまで本格的なものじゃないし、何よりQRでもエンドの切り方でしっかり固定できるしな」

「そういうもの、なのですの?」

「ようはブレーキパッドがディスクを押さえた時、回転方向に従って車軸に負担がかかるだろ。それをしっかり抑え込めばいいのさ」

 茜はフロントフォークからホイールを抜く時、真下ではなく前方向に引っ張って抜く。

「例えばフロントホイールのスキュアより上にブレーキキャリパーがあったら、後ろに引っ張られないように前方向からはめ込む仕掛けにするだけだ」

 茜がそう説明しながら、ホイールを置く。代わりに取り出したのは、エンド金具と呼ばれる車軸だけの棒だ。

「で、このエンドに何も挟まってない状態だと、圧迫されたときに歪んで幅が変わっちまう。それを防ぐのが、このエンド金具ってわけだ。これもQRで簡単にセットできるな」

「こちらがフロント用ですのね。あら?リア用が二つありますが?」

 茜はそれを聞いて、失敗したと思った。自分の車体の企画を伝えて置かなかったため、130mmロード用と135mmマウンテンバイク用の両方が届いてしまったのだろう。事前に確認しておけば片方で済んだ。

「茜先輩は、ロードタイプのTiagraですわよね。130mmですわ」

「いや、アタイのはMTB用規格の135mmだ。ディスクが付いているぶん幅広いからな」

「あら?そうでしたの?」

「ああ、それどころか最近、ディスクロード用で142mmなんて企画も出始めているらしいよ。アタイは詳しく知らないけど」

 ディレイラーガードが付いた後輪用エンド金具を取り付け、今度はギアをローに寄せる。これもリアディレイラーをぶつけない工夫だ。フロントはあえてアウターを選択。こうすることでチェーンリングが直接ぶつかるのを避ける。

 ついでに、チェーンが暴れないように引っ張って、フレームの横にタイラップで固定しておく。このタイラップだけは茜の自前だ。

 スプロケットをホイールに取り付けたまま、上からカバーをかける。これは車体に傷をつけないためである。ブレーキパッドにはダミーローターと呼ばれる小さなプラスチック板を挟んで、パッドの飛び出しを防ぐ。


「な、なんだか輪行慣れしていますのね。茜先輩」

「ん?いや、初めてだよ。でもアタイもいつかこんなことがあるんじゃないかと思って、一応の練習はしていたんだ。もしかしたら海外の大会に出るかもしれないからな」

 あっという間に輪行状態まで分解した車体を、今度は縦にしてバッグに入れていく。ハンドルを上に、リアエンドを下にして、そのまま収納。ホイールも慎重に、ブレーキディスクなどを歪めてしまわないように。

 最後に持ち手を肩にかけて、小脇に抱えれば完成だ。

「おお、結構邪魔だけど、さっきよりはマシだな。街中を歩くくらいなら全然平気だぜ」

「問題は、歩くのが街中ではなく山だって事ですわね」

 気づけば、もう日も落ちてしまった。周囲は真っ黒……そう、真っ暗とかではなく、真っ黒に近い。足元どころか自分の手さえ、何かで照らさないと見えない。

「自転車のヘッドライトを懐中電灯がわりに、このまま進むか」

「あるいは、こんなところで野宿か、どちらかですわね」

「まあ、完全に日が落ち切ったわけでもないだろうし、慎重に進めるところまで進んでみるか。道らしい道に出られればラッキーだ」

 茜が先行する。天仰寺も、それにしっかりと付いてきていた。さすが悪天候や悪路に負けず、日本縦断しているだけのことはある。ただ口先だけ達者なお嬢様ではない。




 はずだったのだが……

「日没ですわね。いくら九州でも、冬の夜はこんなものですか」

「6時過ぎってあたりだな。アタイらも頑張った方だと信じたいぜ」

 結局、あまり進むことも出来ずに力尽きる。これなら素直にオンロード側を遠回りした方が、タイムも体力も良い状態を保てただろう。

「道を間違ったな。空と一緒に行けばよかった」

「そういえば、どうして二手に分かれたのですの?」

「いや、ちょっと面白そうだったからだよ。本当は今頃、合流してお互いの思い出話に花を咲かせながら走っている予定だったんだ」

「当てが外れましたわね……んっ」

 天仰寺が震える。寒くなってきたのだろう。ここが山道であることを加味しなくても、使用人たちは入って来れない。参加者以外がコースに入れないからだ。

「腹減ったな」

「ええ。食事を届けさせましょうか。ドローンと落下傘で」

「それルール的に良いのかよ?」

「ばれないことが前提ですわ。大丈夫。ドローンに迷彩塗装も施してあります」

「スカイグレーか?」

「いいえ。横に『チャリンコマンズ・チャンピオンシップ。中継車3号機』と書きました」

「……」

 味方識別の偽造らしい。



『はいはーい。茜さん。オフロードコースはどうですかぁ?』

 ミス・リードの底抜けに明るい声に、茜は少しだけイラっとする。

「何がオフロードだよ。道なんかないじゃないか。……まあいいや。アタイらは今、どの辺にいるんだ?このセクションはいつ抜ける?」

『えーと、そうですねぇ。GPSも正確に起動しているか不安ですし、ドローンも安定して低空飛行できない状態ですが……おそらく2/3くらいは来たと思いますぅ。多めに見積もって』

 それを聞いて、茜は今日中に下山することを諦めた。

「天仰寺。残念だが今日は野宿になりそうだ」

「えっ?ほ、本気ですの?」

「ああ。そうだな」

「て、テントなどを持ってこさせましょうか?」

「いや、張れないだろ。あれはある程度の広さがある平地じゃないと使えないぜ」

 茜はたいして気にした様子もなく、寝床としての身体を預けられるところを探す。動物対策にはどうしたらいいのか分からないが、とりあえず自転車対策はした方が良いだろう。もしかしたら夜通し走る選手がいるかもしれない。

「寝ている間に轢かれたくは無いからな。お、この木の陰に座ったら眠りやすいか」

「ほ、本気ですのね」

 天仰寺も、覚悟を決めた。この先に進めないのは彼女も一緒だ。なら、茜と共に行動した方がいい。

「お供いたしますわ」

「そうか。助かるよ」


 ふうっと一息ついた茜は、天仰寺家のドローン(偽装済み)が食料を送ってくるまで、自転車のヘッドライトを点滅状態にして上に向けていた。これが位置を知らせる合図になるそうだ。

「ここを出られたら、まずは自転車の洗浄だな。泥汚れがギアに詰まって酷い」

「茜先輩は、こんな時でも車体が第一なのですわね。わたくしはお風呂に入りたいですわ。お洋服もボロボロですし、身体も傷だらけですし……」

「天仰寺は女の子だもんな」

「わたくしが知る限り、茜先輩も女の子なのですが?」

「アタイはいいんだよ。泥だらけでもボロボロでもな。どうせ空はそういうの気にしないし」

 ほつれたジャージの糸を歯で切りながら言う茜。なんともガサツではあるが、

『つまり、空さんの目だけは気にしているんですねぇ』

 と、ミス・リードは解釈する。

「よう、ミス・リード。いつから聞いてたんだ?」

『ずっとですよぉ。茜さんったら凸電切らないんですもの。せっかくだから回線ひとつ丸ごと、ずっと開けてたら楽しいかなって思いましてぇ』

 失敗した。そう言えば切ったかどうか確認していない。もしも救援物資のドローンの話がミス・リードにも漏れ聞こえていたら、反則扱いになるのだろうか?

 茜がそんな心配をしているのをよそに、ミス・リードはあっけらかんと言う。

『いいじゃないですかぁ。たまにはガールズトーク。私だって女子中学生のお二人と楽しくおしゃべりしたい時がありますよぉ』

 どうも公私混同が激しくなってきたようだ。


「それでは、わたくしはこの山を抜けたら、まずお風呂ですわ。ミス・リード。その近くでお風呂屋さんがあったら紹介してください。リムジンを手配します」

「豪華なもんだよな。自分のチャリじゃなくて、リムジンで行くのかよ」

「当然ですわ。使える権力は何でも使う。それがわたくし、天行寺樹里亜なのですわよ」

 胸を張る天仰寺。なんと言えばいいのか、本当に中学生とは思えないほどに立派なお胸である。全体的に細いので余計に理不尽に感じる。

『いやー、ジュリアさんの事だから、てっきりお風呂を車で運んでくるくらいのことはするかと思いましたよぉ。車でお風呂に行く発想はまだ常識的ですねぇ』

 などと、ミス・リードは電話越しに会話に参加していた。実況そっちのけになっているのは、思った以上に戦況が動いていないからだ。

「いや、いくら自動車でも、風呂は持ってこれないだろ」

『いえいえ茜さん。そうでもないんですよぉ。私も過去に3回ほど、お風呂付きの車で入浴したことがありますから』

「あら、キャンピングカーみたいなものですの?」

『まあ、ベッドが備え付けられた車両の方が主流かもしれませんねぇ。でも私が乗ったのは、透明なバスタブが備え付けられた車体でしたぁ。中型トラックの後ろをマジックミラーに張り替えて、どこでも露天風呂気分が味わえる車体があるんですよぉ』

 よくよく聞いてみれば、なんてことはない。いつもの話である。

 さあツッコミよ来い、とミス・リードは待ち構えたわけだが、その願いは大きく外れることになる。

「露天風呂みたいなトラックか。贅沢だな」

『え?』

「それってレンタルできますかしら?わたくしも一度、入ってみたいですわ」

『え?ええっ!?』

「こんな険しい山とかじゃなくて、もっとなだらかな登山道とかに乗り入れたら気持ちいいんだろうな。雲の上まで突き抜けてさ」

「いいですわね、茜先輩。眼下に雲海を眺めながら露天風呂……あ、でもわたくしは海にも行ってみたいですわ。夕日が落ちるのを眺めながら、砂浜ギリギリも素敵ですわよね」

「ミス・リードはどこに行ったんだ?」

『え?えーっと……母校の大学の前とか、普通の商店街とか……』

「なんでそんなところ選んだんだよ」

『私が選んだわけじゃないですぅ!』

 これがピュアって奴なのか、と、改めて自分の置き忘れてきたものの強さに打ちひしがれるミス・リードであった。

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