第45.5話 学校革命と同級生

 大会の15日目は、世間では意外と盛り上がった。ミスり速報のアクセス数も増えに増え、観客たちも大勢見ていたのである。

 何故かと言えば、単に土曜日だったからだ。どの選手がどんな活躍をしたとかより、単にみんな仕事の都合がついただけである。学生たちも、この時くらいは一日中チャリチャンを楽しむことができる。


 茜の兄である、あかつきも同じだった。

「いけー!茜。抜き返せーっ!!……あー、ダメか」

 両親が不在なのをいいことに、彼は昼間からビールを開け、茜の試合を応援していた。堂々とリビングで、大画面で楽しむミスり速報は、彼にとって格別である。

「あー、チクショウ。あのファニーフェイスって野郎。変な自転車のくせに速いな」

 さきいかをつまみに、ソファーに寝そべりながら楽しむスポーツ観戦。自分で言うのもなんだが、おっさん臭い事である。


 ピンポーン……


 呼び鈴が鳴る。山の奥にある諫早家にやってくる客人など、ほとんど思い当たらない。

(はて?誰だ?)

 首を傾げた暁が、玄関まで行く。まさか両親が帰ってきたわけでもないと思うが、万が一を心配してテレビは消した。

 表向き、両親には『茜はイギリスにホームステイしている』という事にしているのだ。それがまさか自転車の大会に出ているとバレたらどうなるか、考えたくもない。

「はいはーい。どちら様で―……」

「あーかーつーきーっ!久しぶりだなー」

 玄関を開けた瞬間、そいつは暁に抱き着いてきた。あまりに突然の事だったので顔は見えなかったが、こんな不躾で唐突なことをする野郎に心当たりなど一人しかいない。

「おい、離れろ。清十郎せいじゅうろう

「なんだよー。ひっさしぶりの再会だろ?冷たいなー」

 清十郎と呼ばれた男は、暁から少し離れる。

 暁にとって、彼は小学校からの同級生だ。大学入試で別な道を選んだが、それまでは腐れ縁のように同じクラスになっていた。

 たしか、清十郎は大阪の大学に行ったはずである。それが半年ぶりくらいに帰って来たというわけだ。もともと少しふくよかだった彼の腹は、大阪の美味しいものでさらに肥えていた。


「お土産も買ってきたぞー」

「おお、大阪土産か?」

「いや、久留米駅で買った」

「くっそ地元じゃねーか。なんで新幹線降りてから土産買ってんだよ!」

 暁がその袋をひったくる。本当に中身は久留米名物だった。

「ふっ、ふふふふっ」

「何笑ってんだよ。清十郎」

「いや、お前、変わってないなって思ってさー」

「変わって……ない」

 清十郎に言われた言葉は、暁にとって少しだけ、寂しいものだった。

(……俺は、変わったよ。ちょっとだけ、つまらない奴になった)

 そう言いかけたが、口には出さない。代わりに言うべき言葉は、

「そうだ。時間があるなら上がってけよ。今ちょうど面白い話があるんだ。うちの妹なんだけどさ」

「ああ、見てるぜ。チャリチャンに出てんだよなー。いやー、妹ちゃんも成長したもんだ」

 遠慮する仲でもない。気の置けない二人だからこそ、清十郎はまったく何も気にせずに上がり込む。

「それじゃあ、お茶でいいか?」

「おう。大丈夫だ」

「ちなみに、俺はビール飲んでるけどな」

「おい待て。なんで客人にお茶を勧めておいて、暁がビールなんだよ!」

 こうして冗談を言い合っていると、なんだか懐かしい気持ちになる。少なくとも、中学や高校では、こいつとコンビみたいなものだった。






 ――5年前。


「新入生の皆さん、生徒会長の、諫早 暁です。うちの中学は、部活動が強制参加となっております。しかし嫌な顔をしないでください。仲間たちとともに、何かに打ち込む。それはきっと、皆さんの3年間を楽しいものにする、素敵な活動となるでしょう」

 いかにも台本をなぞったような口調で、暁はスピーチをしていた。新生徒会長として、新入生を迎える。そんな春の日のことだ。

 正直言えば、先ほどのスピーチに暁の本心は含まれていない。部活動なんてやりたい人だけがやればいいし、学校でバックアップできる範囲にも限界があるのだから、あまり積極的に活動されても困る。

 ただ、

「もしもこれから紹介する部活動に興味がわかないのであれば、部活を新設することもできるという特色が、わが校にはございます。実は俺も1年生の頃、友人と部活を創立したうちの一人です」

 暁がそう言うと、どこからともなく小さな歓声が上がった。それらはざわざわと大きくなり、まるで風が木の葉を揺らすように連鎖していく。

 切れ長の目に、鼻筋の通った顔。耳までかかるくらいのシャープなストレートヘアに、ピシッと着込んだ学ラン。そんないでたちの暁は、先月まで小学生だった女子たちにとってイケメンに見えていた。実際、そこそこイケメンだったのもある。


「暁さん、何部なんだろう?」

「あたし、暁さんと同じ部活入ろっかな」

「女子でもいいのかな?」

「マネージャーになろうよ」


 そんな女子たちの声を聞いた暁は、内心で『やべぇ』と思った。というのも、期待されるほどの部活に入っていない自覚があったからだ。

 しかし、今更スピーチの段取りは変えられない。

「そ、それでは、部活動紹介。それぞれの部長から、お願いいたしましょう。どうぞ」

 そう言った暁の目の前に、舞台袖からやってきた男が立つ。誰あろう清十郎だ。このころからややぽっちゃりしていた彼は、学校指定のジャージに身を包んで登場する。短く刈り上げた坊主頭をさっと撫でると、得意げにマイクを受け取った。


「帰宅部部長!古賀 清十郎こが せいじゅうろうです。押忍!」

 そう叫んだ彼は、横目で暁に目配せをしてくる。

(台本通りに頼むぜ。暁)

(マジかよ?これ、絶対滑るぞ)

 そのアイコンタクトは一瞬。そして暁が迷うのも一瞬だった。次の瞬間には、暁は清十郎の胸に裏拳を入れていた。

「帰宅部って部活じゃねーじゃん!」

 叫ぶ暁。そのツッコミを受けた清十郎は、重いボディからは想像もつかないほどの身軽さで体をひねり、一回転。その勢いを乗せて、暁に裏拳を返す。

「いや、お前も帰宅部じゃないか暁!」

「あ、そうだった」

 やや棒読みのセリフが響き渡り、その後に大爆笑の予定――は、御覧の通り、


 しーん……


 大きく外れることになるのだ。

(滑ったぞ。どうすんだ清十郎?)

(安心しろ。ここから巻き返す)

 清十郎が呼吸を整える。暁も腹をくくった。

 第一声を、清十郎が務める。

「我々帰宅部は、雨の日も、風の日も、台風が来た日も、ずっと活動を続けておりました!」

「家に帰るだけだけどな」

「時には、もう一度学校に戻ってきて、再び帰宅に挑むこともありました!」

「忘れ物しただけじゃねーか」

「我々に、練習などありません。毎日が試合であり、毎日が本番です」

「家に帰る練習があるなら、逆に見てみたいぞ」

「夏休みと冬休みには、合宿もあります。学校に泊まり込みます」

「いや家に帰れよ」


 くすり――

 小さく、新入生から笑い声がこぼれる。同級生たちからも、ちらほらと笑みが見える。

 行ける。そう確信した清十郎は、さらにアドリブを入れて畳みかけた。


「ちなみに、部長の俺は、担当パートは自転車。ポジションは南町2丁目です」

「通学手段と住所をパートとポジションって言うな」

「ちなみに暁は、徒歩で山内5丁目から来ています。なんと、片道2時間です」

「いや、まあそうなんだけど」

「こいつこそ、新の帰宅部エース。今年のインターハイでは期待されております」

「インターハイねーよ」

「皆さん、是非とも帰宅部に入部してください。新入部員が毎年3人必要なんです」

「今年で廃部だよ。俺たちの代で綺麗に終わりだよ」

「新入部員が3人集まるまで、俺はここを一歩も動きません」

「帰れーっ!」


「「どうも、ありがとうございました」」


 ぱちぱちぱちぱち……

 同級生から、戸惑いがちな拍手が起こる。それは新入生たちにも伝播し、大きな波になる。彼らを疎ましく思っていたはずの教師さえ、この時ばかりは拍手をした。

(アドリブ飛ばしすぎだろ)

(ああ、暁なら何とかしてくれるって、信じてたぜ)

(……ったく)

 なんにしても、この時は二人ともうまく演説を終えて、次の野球部に引き継ぐことができた。

 そして、新入部員をギリギリの3名獲得し、正式に部活として存続したのである。



 ――――



「あの時は冷や冷やしたぜ」

「なんだよ。暁だってノリノリだったじゃないかー」

「まあ、な」

 5年たった今だからこそ、笑い話にできるネタ。そんなものをいくつ積み重ねたか。それが人生でわりと重要だと、暁は今更思う。

 インターネット接続されたテレビ(実質PCモニター)には、ミスり速報の最新ニュースが報じられていた。茜は本日に限って運悪く活躍していないらしい。

「ああー、もう。ミス・リード。そんな選手たちは良いから、俺の茜を映せっての!」

「いや、俺のって……変な意味じゃないと思うんだが、暁よー。お前、いつからシスコンを拗らせたんだ?」

 清十郎が少しだけ引く。彼が知る限りで言えば、暁はそこまで妹を溺愛する兄ではなかったと思うのだ。

 ついでに、清十郎が茜に特別な思いを寄せていた過去があるのは、また別な話である。

「そういえば、清十郎が茜と初めて会ったのって、あの生徒会の時だっけ?」

 暁が思い出したように言えば、清十郎もうなづいた。

「ああ、あれだな。忘れもしない『スポーツバイク通学戦争』だ。こないだ従弟に聞いたんだが、まだ伝説らしいぞー」

「お、中学生の従弟なんていたのか」

「ああ、なんなら茜ちゃんと同じクラスだよー」

 伝説の、といえば少し大げさだが、まだ語り継がれる事件として、『スポーツバイク通学戦争』というものがある。



 ――――



「あー、クソ。ダメだったか……」

 中学生だった清十郎が、頭を抱えて教室に戻ってきた。それは中学3年の、夏も近づく6月の放課後である。

「そもそも、通学自転車の指定なんて普通ないだろ。なぁ?」

「千葉県の一部は、みんなブリヂストンのアルベルトじゃないと通学できないって話を聞いたことがある」

 暁がさらりと答えた。ちなみにアルベルトとは、ブリヂストン社が独自の部品を多く積んで、安全安心をうたった通学用自転車である。独自規格の部品代に比例して、決して安くない(というか高すぎる)値段と、相応のメンテナンスフリーさを持つ。

 これで乗り心地まで値段相応であれば文句は何もないのだが、いかんせんそれに関しては安物のママチャリと同等かそれ以下なのが玉に瑕だ。ゆえに自分で整備して乗れる人たちからはあまり人気がない。

「……って、俺はそういう話をしているんじゃないんだよー。生徒手帳に書いてある校則を片っ端から探しても、『通学自転車の指定』なんてないはずだろー。なのに俺がマウンテンバイクに乗り出した途端、それを禁止とか、わけわかんねーぜ」

 要約すると、清十郎はマウンテンバイクを買ったので、それで通学がしたい。しかし学校側はこれを突然拒否し、ルールを勝手に付け加えたという事である。ちなみにアルベルトは全然関係なかった。

「ふむ……まあ、それでも学校のルールは教育委員と教員が勝手に変えていいような決まりになっているしな。どうしようもないんじゃないか?」

 何事にも、どうすることも出来ない範囲がある。中には理不尽なこともあるが、それも含めて受け入れないといけない。暁は14歳にして、それを受け入れていた。

「もし、どうしても納得がいかないなら、教育委員会にでも訴えればいい。この中学校だって公立である以上、市の決定には逆らえないはずだ。たとえ教師でもな」

 そう言い残した暁は、さっと学校指定のスクールバッグを持って帰路に就く。こうして校則に従って帰宅することこそ、彼ら帰宅部の本文であった。

 ただ……

「くそっ。車載カメラまで買ったのに」

 そう言って悔しがる清十郎に、何かできたらいいなとは思った。




「いや、兄貴。諦めんのは早いと思うぜ」

 と、まるで少年漫画の主人公のようなことを言ったのは、おなじみの茜。当時小学5年生、10歳であった。

「きょーいくいーんかい、とかいう奴らに勝ったらいいんだろ。兄貴だって生徒会長なんだ。戦ってぶちのめせばいい」

「ぶちのめすって……おいおい」

「何だよ?違うのか?」

 男勝りな口調は兄譲りだろうと思うが、それ以外で茜は誰に似たのだろう。ことあるごとに気に食わない事の解決に乗り出し、しかも解決法を勝負に例える。好戦的な性格になってしまったものである。

「そもそも、俺には自転車の事とか分からないけどさ。その……そんなにいいものか?本格的なMTBは」

 先日、子供用自転車を壊した茜は、今では大人用のMTBに乗っている。身長も高くなった10歳の茜にとって、その車体は充分乗りこなせるものだった。

「いいもんだぞ。アタイのSENTURION BACKFIREバックファイア 50は」

「そうかい。じゃあ俺のお年玉貯金も浮かばれるってものだな」

「うん。ありがとう兄貴。大好きだぜ」

 ぎゅーっ、と、茜が抱き着いてくる。この季節に暑苦しい事だったので、暁はそれを無理やり押しのけた。

「まさかと思うが、茜。お前まであの自転車で中学に行くとか言わないよな?」

「そのまさかだぜ」

「マジか。校則違反になるからやめとけ。お前にはまたママチャリでも買ってやるから」

 と、財布の中を心配しながら言う。とりあえず通学用なら3万もあればなんとかなるだろう。

 すると、茜は人差し指を立てて、横に振った。ちっちっち……と、口に出して発音する。おかげで全然さまになってない。

「兄貴。アタイらの家は山の中だぜ。ママチャリで走れるわけないだろ」

「うん。それもごもっともだな。だからこそ俺も歩いて通学しているわけだし」

「だろ?」

 なるほど言われてみれば、マウンテンバイクとは山中(マウンテン)を走るからマウンテンバイクなのである。それ以外でこの舗装もされていない険しい山道を走るのは無理だろう。何しろ、MTBでさえ茜くらいの技量がないと走れないのだ。


「……ん?つまり、MTBじゃないと通学できないってことか」

「ん?そう言ってるぞ。何か問題でもあったのか?兄貴」

「いや、ちょっと考えてみたんだ」

 暁は顎に手を当てて、目を閉じる。この瞬間の表情は、緊張感にまみれた硬いものだ。と、本人はそう思っていた。

 はたから見ていると……

「兄貴。楽しそうだな」

「は?楽しそうだと?……おかしいな。俺は難しい顔をして考え事の最中なんだが?」

「でも、ニヤニヤしてたぜ」

「え?」

 自分でも気づかないうちに、ほおを緩めて口角を上げていたらしい。茜はそれを真似したように、にたりと笑う。

「何か知らないけど、兄貴は考え事をしている時が一番楽しそうだな」

「そ、そうか?」

「ああ。今だって楽しいことを企んでたんだろう?アタイにも一枚かませろよ」

 悪戯っぽく言う茜に、暁は意外にも頷いた。

「それじゃ、茜にも悪だくみに一枚かんでもらおうかな」

「え?ま、マジか?」

「嫌か?」

「ん、んなことはないけどさ。えへへっ」




 翌日、暁は中学校で、清十郎に話を持ち掛けていた。

「なるほどー。まあ、それなら俺の自慢の自転車を貸してやろう」

「おお、そう言えばどんな自転車か見てなかったな。MTBだって聞いてはいたけど」

 と、暁はワクワクする。一口にMTBといっても、暁が知る限り安くて2万から高くて200万円までのピンきりだ。

「聞いて驚け。HUMMER FDB-20だ」

「聞いてがっかりだよ。それマウンテンバイクじゃないからな」

「嘘だろ?ネットショップのページではちゃんとマウンテンバイクって書いてあったぞ」

「大手ネットショップだから適当なこと書くんだよ。専門家じゃないからこそな」

 素人の言うマウンテンバイクとは、究極的に言えば『タイヤが太いヤツ』くらいの認識である。サスペンションがああだの、フレーム強度がこうだの……そのようなことを気にする人はまずいない。

「暁。お前、自転車詳しかったっけ?」

「いや、俺がっていうより、妹が、だな。やたら詳しいぞ」

「へぇ。暁の妹か。偏屈そうだな」

「そりゃどうも」

 全く遠慮のない親友に対して、暁はついうっかりヘッドロックをかますくらいには良い気分になった。やはり持つべきは親友だ。遠慮なくヘッドロックできる。清十郎の坊主頭がチクチクして軽く痛い。

「あ、暁……ぎぶ、ぎぶ」

「おっと、やりすぎたか」

 清十郎を離すと、暁は顎に手を当てる。

「さて、それじゃあ清十郎から自転車を借りる案は無しとして」

「おい。なんでだよ!カッコいいだろハマー」

「茜のバックファイアでやってみるか。とりあえず練習しないとな。俺が」

「おい。俺の話は?なあ無視すんなよ」



 ――――



「あの時の暁、かっこよかったな。俺はお前を帰宅部に誘って良かったと思ってるよ」

 ビールをグイっと流し込んだ清十郎は、隣に座る暁の頭を撫でた。

「やめろっての」

「なんだよ。俺の頭も撫でていいぞ?」

「チクチクするから嫌だ。つーか、もう酔ってんのか?」

「そうかもな」

 テレビ画面に映るミスり速報は、既に茜たちと無関係な選手の実況で持ち切りである。今は鹿番長がストラトスと戦っているとかなんとか、その辺の後ろのほうを映していた。

 自転車そのものには大した興味もない二人は、茜が出ない時間は思い出話に夢中になる。

「そうだ。清十郎、今日は泊っていくだろ?」

「いいのか?助かるぜ」

「まあ、もうすぐ暗くなるし、山道は危ないからな」

「その危ない道を自転車で爆走したお前に言われてもな」

「うるせぇや」

 暁が肘で清十郎を小突く。清十郎は勢いよく反対側に倒れると、ソファから落ちた。

「いや、そこまで強く押してないぞ」

「おう。なんかノリで」

「……中学の頃から変わってないな」

「いや、中学の頃に戻れるんだよ。お前といるとな」



 ――――



 部活動報告会。

 分かりやすい話が、部活ごとに活動を報告する会議がある。生徒会役員と各部活の部長たちが集まり、どんな実績を残したかを報告し合う会議だ。

 暁たちの学校では、そこに教師陣も立ち会うことになっていた。また、ペースも2ヶ月に1回。意外と多い。この学校が部活に力を入れている事の表れでもある。

「――以上です」

 野球部が、対外の練習試合を開催したことを報告した。勝利ではなく開催を報告したという事は、つまりそういう事である。

 これが来年の部費予算やグラウンドの使用。そしてインターハイでの応援団要請や壮行会の開催。場合によっては校則にさえ干渉するのだから、少しでも耳に覚えの良い言葉を選ぶのも分かる。

「――続いて、帰宅部」

 そう、この会合。帰宅部も含まれていた。どんな実績を発表するのかと言えば……


「よっ、帰宅部!待ってたぜ」

「今回は新入生向けの交通安全ビデオでも作ってきたのか?」

「それは去年もやっただろ。それより通学路の見直し案の提出じゃないか?」

「それこそ毎年恒例になってきたな。去年はそれで変質者の家を割り出したんだっけ?」

「俺は知ってるぞ。『重さを感じない鞄の背負い方』ってビデオを作ってたんだろ?」


 会場がざわつく。そう……意外にもこの帰宅部は、部員全員がかなり真面目に部活に取り組んでいた。なお、制作したものについては毎年、文化祭で展示している。

 プロジェクターにビデオカメラを接続した清十郎は、マイクを持つようなそぶりを見せて宣言した。なお、マイクは用意されていない。

「さて、お待たせしました。帰宅部部長、古賀清十郎です。今回は『重さを感じない鞄の背負い方』のビデオ……の予定でしたが、変更しまして『山内5丁目に住む生徒の通学事情』についてのビデオをお送りします」

 清十郎が言うと、他の生徒たちは一斉にいぶかしげな顔をした。

「山内5丁目って、どこだ?」

「山内って言ったら、あの何もない山の方だろ。5丁目とか4丁目とかあったか?」

「旧、上山内村だな。しかし、それ面白いのか?」

 今までの作品はどれも、ためになる知識と面白いジョークを交えた作品として完成していた。だからこその期待値だったのだ。それが今回、あまりためになる話に期待できない。

「大丈夫です。ド迫力の映像を保証します。それでは、映像どうぞ」


 ……ばーん


 チープな音楽とともにタイトルが現れ、いかにも初心者がAvi-Utlで作った感満載のオープニングが始まる。

「よっこらしょっと。あー、大変だなあ」

 画面の中に登場したのは、暁だった。セリフ棒読みの雑な演技で、帰宅の疲れを表現している。

「こんな時、自転車があったら楽なのにな。ああ、でもうちは山の中だからな」

 カメラを意識するなと事前に通達されていた彼は、時折ちらちらとカメラを確認しては、なるべく目線を逸らして自然を装う。

 シーンは移り変わり、暁はママチャリに跨っていた。提供してくれたのは同じ帰宅部の男子である。

 暁はその自転車を走らせて、オフロードを駆け下った。

 転がる砂利に車輪を乗せて、横滑りしながら転ぶ。突き出た気の根に止められて、そのままサドルから投げ出される。ぬかるみに後輪を滑らせて、バランスを崩す。

 見事にダメである。

 と、そんな時だ。

「どうした兄貴、大丈夫か?」

 茜がやってきた。跨っているのは愛機であるバックファイアだ。


「誰だ?」

「いや、知らん」

「暁君に似てる」

「可愛い」


 画面の外がざわつく中、画面の中の暁が言う。

「おお、俺の妹の茜じゃないか」

 どう考えても不自然なセリフに、会場がどっと笑った。

「兄貴、こんな時にはマウンテンバイクだぜ」

「おお、それは本当かい茜」

「ああ、見てろよ」

 小学生の少女。それもやせ細ったか弱い女の子が、大人用のマウンテンバイクに跨る。その姿は可愛らしかった。

 ここからが、見せ場である。

「よっと」

 兄の通学鞄を担いだ茜は、軽く自転車をウィリーさせて、木の根を乗り越える。厳密に言えばウィリーと言うより、ただまくりかけただけだが。

「ほっ!」

 10センチはあろうかという段差を超えると、ぬかるみに自転車をそっと着地。なるべく泥が飛ばないようにしながら進んでいく。泥にタイヤが沈むが、それでも前に少しずつ進ませていく。

 砂利道もお手の物だ。こちらは大した意気込みもないまま、ごつごつした石をまるでなだらかな波のように乗り越えていく。車体は揺れるものの、倒れる気配はない。

 そして、コースは終盤。斜度30%はある上り坂だ。

「はぁあああっ」

 茜はギアを最も軽くして、ハンドルを引きつけながらペダルを踏む。


「おお、すげぇ!」

「ほぼ崖だろ」

「つか、チェーン外れてないか?」

「ギアを軽くしたんだよ。それにしても、本当に空回りしているみたいに見えるな」

「可愛い」


 画面外で褒められる茜だが、本人がそれを知ることはない。

「どうだ?兄貴。この車体ならアタイでも、楽に通学できそうだぜ」

「うーん、でもなあ」

「なんだよ?」

「俺の中学、マウンテンバイク禁止なんだよな……」

「えー、それで兄貴は片道2時間もかけて通学しているのか」

 唐突に、茜の喋り方も棒読みになった。つまり、清十郎と暁が作った台本を読むシーンになったのだ。

「アタイは兄貴がいなくて寂しいなー。朝は5時半には家を出ちゃうし、帰りは部活があって夜の7時ごろだろ」

「ゴメンな妹よ。俺だってマウンテンバイクがあったら、30分で帰って来れるんだけどなあ」

「勉強も部活も、生徒会長の仕事も大変なんだろ。そのうえ通学まで大変だなんて。おーいおいおい」

「俺のために泣いてくれるのか。茜のためにも、俺、早く帰って来ないとなー」

「はい、カット」

 清十郎の声がカメラに入っている。

「ど、どうだった?」

「ああ、茜ちゃん良かったよ。暁も」

「よし。あとはこれを当てつけのように流して、MTB通学を認めさせるぞ」

「アタイのために」

「茜のためじゃないけどな」

「よーし、これでバカ教師ども――」

 ――ぷつん――


「えー、何かの手違いで、編集ミスがあったことをまずは謝罪します」

 清十郎が取り繕うように言う。

 バカ教師どもと言われかけた教師陣営は、決してにこやかではない顔を向けてきた。

「……帰宅部部長、清十郎くん。それに生徒会長、暁君」

「うす」

「はい」

「君たちの主張はつまり、マウンテンバイクで登校したい。そういう事でいいかね?」

「「はい」」

 ふたりの声が揃う。

「いいかい。生徒たちはみんな普通の自転車で登校する決まりになっているんだよ。高い自転車を持ってきて、盗まれたりしたら大変だろう」

 教頭が言う。M字ハゲをオールバックにした彼は、常に冷静に生徒を諭すことで知られていた。

「お言葉ですが、教頭先生。我が校には泥棒を働くような生徒はいません。通学時以外は門を閉め、通学時には必ず教頭自らが校門に立つ。そのおかげで、我々は安心して学校に通えています」

 暁がそう宣言すれば、清十郎も続く。

「そもそも、マウンテンバイクを盗まれたら困ります。では普通の自転車なら盗まれても困らないかと言えば、そうではありません。どちらも数万円はする代物ですので」

 二人の意見に、教頭はなおも首を横に振る。

「不公平が出てはいけません。一部の生徒がマウンテンバイクなんか使っていたら、うらやましいと思ったり、不公平だと思う生徒がいるでしょう」

「嫉妬を買うという事ですか?」

「その通りです」

 教頭は暁をみて、少し口角を上げた。暁は聞き分けの良い生徒である。これで分かってくれたはずだ。諦めてくれたはずだ。そう思っていた。


「嫉妬なら、俺も買ってます」

 野球部の部長が、手を上げて宣言した。

「よっ、ホームランバッター」

「さすが、ご自慢のカーボンバットで栄光を掴んだ4番だぜ」

「あのバット、2万したんだっけ?」

 周りからヤジが飛ぶ。この部長、自分のバットを学校に持ち込んでおり、誰にも使わせないことで有名であった。


「それ言ったら、サッカー部のスパイクだってそんくらいするだろ」

「確かにするけどさ。それは野球部のスパイクだって同じだろ」

「美術部のコピックマーカーは?」

「私のはたった400円よ」

「400円……かーけーるー?」

「……72色」

「3万かかってんじゃねーか」

「それ言ったら、写真部。お前の方がひでぇだろ」

「一眼レフは貴重だからな」

「ここだけの話、何万したの?」

「……10万」

「うわぁ」

「優勝」


 部活動なんてそんなものである。

「先生。帰宅部の機材として、マウンテンバイクは必要です」

「ついでに言えば、俺たちだけマウンテンバイクを許可すると『帰宅部だけずるい』って事に成りかねませんので、生徒全員に『許可』だけ下さい」

「「お願いします」」

 これが、暁たち『帰宅部』だった。

 時として、彼らの活動は学校指定の通学路を変えた。毎日の下校時刻の見回りも、彼らが自主的に買って出ている。その恩もあった。

 何より、彼らの話はそんなに思うほど突飛なものでもない。

「解りました。マウンテンバイク通学を認めます。……ただし、次の全校集会でこのビデオを流したとき、賛同者が過半数を占めたら、です」



 ――――



「伝説だったよな。あ、でも今MTBで通学している生徒っているの?」

「さあ?うちの茜はシクロクロスだし、友達の空君はクロスバイク?……とか言うやつに乗ってるってさ」

 茜の影響で自転車に詳しい暁だが、そこそこ知っている程度である。

「さて、もう一本いくか。清十郎」

「お、ビールか」

「いや、もうビールは切れた。今度は焼酎。いける口だろ?」

「おお、好きだぜ」

 暁と清十郎は、夜中まで飲んでいた。日付も変わり、茜や空も寝た頃である。暁の両親も帰ってきて、すでに寝ている。

「いやー、あの頃の暁は生き生きしてたよな。学校改革、楽しかったんだろ?」

「ん。ああ……まあな」

 少しだけ、暁が寂しそうな顔をした。それを清十郎は見逃さない。

「何かあったのか?お前、確か政治家になりたいって言ってたよな。大学も法学部目指して浪人してたよな」

「ん。まあな。でももう終わりだよ。今通ってる大学も、別に法学部じゃないし」

「じゃあ医学部か?親父さんの診療所を継ぐのか?」

「……それも、無しだ。俺みたいな中途半端者に、継がせる気はないってさ」

 暁の父は、診療所の開業医だった。その長兄である暁は、当然のように跡継ぎを期待されていたのだ。

 それを裏切って、わがままで政治家を目指した。であるのにもかかわらず、浪人して諦めた次第だ。結局、暁は応援してくれた妹や清十郎も、裏切ったことになる。

「だからせめて、茜の夢は応援してやりたいのさ。俺は」

「それ、兄妹だから?」

「……つーか、贖罪だな」

 茜だけは、親の都合で夢を諦めたり、振り回されたりしてほしくない。その願いは、暁の今の原動力だった。

「つーわけで、茜がチャリチャンに出てることは親にも内緒なんだ」

「マジかよ。すげーなお前」

「ばれないようにしないとな。お前も口裏合わせてくれよ。茜はイギリスにホームステイ。はいリピート」

「茜ちゃんはイギリスにホームステイ。解ったよ。合わせとく」

「頼むぜ」

 テレビではミスり速報が流れていたが、深夜に走る人が少ないらしい。ミス・リードは今日のハイライトをやったり、選手紹介で時間を潰したりと、いろいろ工夫をしていた。

 そうまでして24時間ぶっつづけで実況をする彼女は何者なのか?それは視聴者にとって大いに謎である。


 日付が変わった時計を見て、暁はふっと笑った。

「なあ、良いことを教えてやろうか」

「ん?なんだ、暁」

「いま、日付変わっただろ。……実はな。今日が茜の誕生日だったんだよ。15歳の」

「マジか?……え?今言うの?」

「まあ、なんとなくな」

 明日の朝、茜に電話をするときに話題にできそうだ。そう暁は思いながら、気分良く焼酎を舐めた。いつもよりずいぶんと多めに飲んだものだ。清十郎と久しぶりに話せたから。






「……おい、暁。起きろ」

「ん?清十郎?」

 暁が起きる。どうやら飲んだまま寝落ちして、そのまま朝になったらしい。

 とはいえ、まだ早朝だろう。窓の外は青白く、少し暗かった。

 テレビ画面には、茜が走る姿が映されている。この映像は前にも見たことがある。生中継ではなく、ハイライト映像だ。ミス・リードは選手紹介コーナーとして茜を特集しているようだった。

「ああ、注目選手だもんな。こうして再放送されることもあるか」

 と、暁は暢気に言う。てっきり、清十郎はこれを見せるために自分を起こしたものだと思っていた。

 しかし、違う。

「そうじゃないんだよ。暁。これやべぇって」

「何が?」

「後ろ見てみろよ」

「後ろ?」


 そっと、振り返った。


 そこには……


「親父……」


 昼頃まで帰らないはずだった父が、そこに仁王立ちしていたのだ。

 画面に映る茜を見ながら。

「暁。これはどういうことだ?」

「い、いや……なんと言うか」

 暁が助けを求めるように、清十郎を見る。しかし、清十郎は両手を上げた。ホールドアップだ。

「すまんな、暁。お前が起きる前に、俺の方から一通りは済ませたよ。適当に話を合わせて言い訳して、その嘘がバレて俺が怒られる。そこまで回収済みだ」

「えー……」

 清十郎の口八丁ぶりは、暁もよく知っている。そして、このチャリチャンが調べる気になれば細かく調べられることも、茜が将来のために本名でエントリーしちゃっていることも。


「私は、茜を連れ戻しに行く。暁は自分の飲んだテーブルでも片付けていなさい」

 父がそう言って、部屋を退出しようとする。

「ま、待てよ!親父」

「なんだ?」

「……」

 暁は、親に対して言うべきことと、言わざるべきことをわきまえているつもりだ。今に始まったことでもなく、子供のころから利口なつもりだ。

 それでも、言う。

「親父は、なんで茜が自転車レースに出るのに反対するんだ?……いや、俺が嘘を吐いたことに関しては謝る。それは俺が全部悪い。俺一人だけが悪い。すまなかった」

「……」

 父は冷たく暁を見下ろすと、ため息を吐いた。

「何度か言ったが……私の言うとおりにした方が、子供だけで夢を見続けるより幸せだからだ」

「なんでそんな決めつける!?」

「お前が、私の言いつけを守って医者の道を目指してくれれば、2浪の挙句に普通の大学に行くなんて憂き目も無かっただろう!!」

「っ……!」


 政治家になりたい。そんな気持ちを、暁は尊重してもらった。そして、期待を裏切ってしまった。

 だから、茜もレーサーになりたい気持ちを、尊重してもらえない。

「俺の所為、か」

「……」

「俺が、わがままを言ったせいか?」

「そのわがままを、最後まで貫けなかったせいだ」

 父はそう小さく呟いて、玄関に向かった。ほどなくして、SUVのエンジンがかかる音がする。茜を本気で連れ戻しに行くつもりだろう。


「あ、待てよ」

 しばらく呆けていた暁が、再び動き出したとき、もう手遅れだった。

「暁。ゴメン。俺がテレビ消し忘れて寝ちゃったから」

 清十郎が追ってくる。

「いや、清十郎のせいじゃないよ」

 玄関を見れば、そこに保管していた鍵がない。父のSUVの鍵が無いのは当然だが、暁の原チャリの鍵もない。

「くそっ。これじゃ追いかけることも出来ないな」

「ケータイは?」

「あの親父が出るわけないだろ。いや、出ても話なんか聞かないし、考え直すなんてもっての他だって」

 茜たちがどのホテルに泊まっているかは、知っている。家からもそんなに離れていない。ざっと40km……原チャリなら行けただろう。

 歩いていくには遠い。もし歩いたとしても、そのころには茜が回収されていることだろう。

「何かないのか?暁。例えばチャリとか」


「……チャリ」

 暁が顔を上げた。スニーカーを引っ掴み、勝手口に向かう。

「あ、おい暁?」

 清十郎が付いていく。暁は勝手口から外に出て、そのすぐ近くの軒下へ……

「あったぜ。バックファイア」

 中学時代に、あのスポーツバイク通学戦争を勝ち抜いた、伝説の車体。

 暁が最初で最後に革命を起こした、あの車体。


「悪い、清十郎。俺は行くから!」

「え?マジか」

「ああ。悪いがこれ一人乗りなんだ。あと、家の鍵とか気にしなくていいから、帰るときは勝手に帰ってくれ」

「お、おう」

 清十郎があいまいに頷く、よりも早く、暁は走り出していた。

 ガタガタした悪路を、泥水が跳ねるのも気にせず走る。

「……本当に行っちまった」

 確かにチャリを提案したのは清十郎だが、まさか本気であれで追いつく気だとは思わなかった。わずかに冗談半分。その場を和ませようと……暁の気持ちを楽にしようと思って言っただけだったんだが。

「暁……お前は政治家の夢を諦めて、かっこ悪くなった。自分ではそう思ってるんだろうけどさ」

 朝日に、目を細める。その向こうに消えた暁の、車輪の跡を目で追う。

「やっぱお前、カッコいいぜ」

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