特別編 第41.5話 未来人とタイムマシン
話は、大会が開催される10日ほど前にさかのぼる。もっともこの10日前とは、エレカの体感で、という事になるのだが……
暦の上では、今から数十年も未来の話だ。
――西暦2102年、東京。
「やあ、マキくん。遅いよ」
エレカは、幼馴染の青年と待ち合わせをしていた。夜中に、ショッピングモールの駐車場で、だ。誰が見ても逢引に見えてしまうようなシーンだが、じつはそんな用事ではない。
「なあ、エレカ。メールで聞いた、その……た、タイムマシン?ってのは、本気なの?」
「ああ、本気だよ。自転車を改造し、私の独自理論を組み込み、実験を繰り返すこと数十回。ようやく私が望んだ形の車体が完成したんだ」
銀色のスーツの上から白衣を羽織ったエレカは、堂々と腰に手を当てて胸を張った。そんな彼女の前には、限定モデルの自転車がある。
「なあ、言っちゃなんだが、そんなことのためにこのDE・ROSA × BMC 12を使ったのか?もったいない……」
そうマキが言うように、この車体は自転車ファンの間では有名な車体だった。それが今では見るも無残。エレカの手によって意味不明な配線が絡められ、奇妙な装置も搭載されている。
「こんなこととは何だね。人類の夢だろう。時間旅行は」
「いや、確かに人類の夢だとも。夢のまた夢だよ。実現しないって」
「マキくんが信じてくれないのは理解したよ。でも実証すれば信じるだろう?」
エレカは得意げに、ポケットから乾電池を取り出した。
やや大きめの、手のひらサイズの円筒形。その側面には、『プルトニウム電池 1.25JW(ジゴワット)』と書かれている。
「……これ、マジか!?」
「ふふふふっ。私はいつでもマジだとも」
プルトニウム電池――それは21世紀の終わりごろに開発された、非常に安全な核燃料電池である。『小さな原発』とも呼ばれるこれは、1本300万円という高値であることを除けば、一般市民でも扱える。
とはいえ、まだ日本では認可されていないシステムだ。かれこれ150年も前から続く非核三原則のせいで、この民間用プルトニウムは輸入に特別な許可を必要とした。
「これ、どんなルートで入手したんだよ?」
「ん?ああ、ちょっと海外のマフィアを騙して、ね。彼らは今頃、自分たちが騙されたことにようやく気付いているんじゃないかな」
「おいおい、それ本当にヤバいぞ」
マキが青ざめた。しかしエレカはそれを気にもせず、自らの自転車にプルトニウム電池をセットする。
「さあ、ごらん。マキくん……」
と、振り返ったときだった。
ビビビビビビビビッ!!
何本かの光線が飛び、マキの身体に当たった。その光線はエレカと逆方向から撃たれたものだ。
(ビームマシンガン?まさか……)
その光線の飛んできた方向を見れば、一台のジープが走ってきていた。ビームマシンガンを持った男たちの顔には、見覚えがある。
「エレカー!よくも俺たちを騙しやがったなぁ!!」
「おかげでこっちは自国だけでなく、ジャパンの政府にまで追われる立場になったじゃねーか!」
見覚えがある……どころの話ではない。
(やばいな。私が騙した海外マフィアだ。まさかここが見つかるなんて)
あのビームマシンガンは、冗談抜きで殺傷能力の高い対人武器だ。おそらく、撃たれたマキは生きていないだろう。
悲しみに浸っている場合でも、生存確認をしている場合でもない。
「エレカ!てめぇだけは許さねぇ。死んで詫びろやー!」
(どうやら話ができる状態ではないね。私も殺されてしまう)
逃げなくてはいけない。
とっさに、エレカはタイムマシンに跨った。とはいえ、しょせんは自転車だ。ジープに乗っている連中から逃げられるだけの速度なんてない。なら……
(時間の彼方へ逃げるか。タイムスリップ装置、起動!)
車体が光を帯びて加速する。とりあえず過去に逃げるのだ。1日戻っただけでもいい。そうすれば今日一日の歴史を改変できる。マキも救えるかもしれない。
ビビビビビビビビッ……チュガン!
タイムマシンの後部に、光線がかする。
(しまった。そこは制御装置の重要基盤だぞ!)
一日どころの話ではない。ほぼ無尽蔵にメーターが上がり、恐ろしいほどの過去を針が指し示している。
それでも、今更キャンセルはできない。既に目の前にタイムホールは開いているのだ。あとは自動運転である。
(これは……プルトニウム電池が切れる限界まで移動することになりそうだ)
――バシュウッ!!
プシュウウゥゥゥゥ……
銀色だった車体は、白く濁っていた。エレカの身体も同じように、真っ白になっている。もともと白かった肌も髪も、パキパキと凍っていた。
「うう……冷たい。寒い。ここはどこなんだ?」
エレカが周囲を見渡す。
「いや、今はいつなんだ?と言うべきか」
そのエレカの呟きに答えたのは、タイムマシンに搭載されていたAIだった。
《現在の標準時刻データを取得。2018年1月3日、22時56分です》
「そうか。ということは、ざっと84年と半年前だな。ずいぶん遠くに来てしまったものだ」
《燃料、ゼロ。プルトニウム電池の残量がありません》
「だろうな」
タイムスリップ以外の機能なら、ごく普通にリチウムイオン電池で稼働も出来る。ただ肝心のタイムスリップ自体は、瞬間的に1.25ジゴワットの出力が必要だ。プルトニウム電池なくして移動は出来ない。
持ち物は、残念ながらタイムマシン――今ではただの自転車――だけだ。
「むむむ……こうなると再びマフィアでも騙してプルトニウム電池を手に入れるか、もしくは渡米して向こうで合法的にそれを購入するしかないな。どちらにしても300万円もする電池だ。資金の稼ぎようが……ん?」
悩むエレカの目に、一枚のチラシが映った。
『日本縦断。何でもありの自転車レース!
チャリンコマンズ・チャンピオンシップ
優勝賞金300万円!』
舞台は変わって、大会14日目の午後。要するに前回のラストから地続きの時間。
エレカは空たちと一緒にレストランに入り、夕食をとりながら今までのエピソードを説明していた。
もっとも、空たちからすれば信じられない話である。
「おい、空。これ、どこまで本当だと思う?」
茜がひそひそと、隣に座る空に問いかける。もちろん、エレカに聞かれないように、だ。
「どこまでって……どこまでも作り話でしょ。そもそもこれ、何かの映画で似たような話を聞いたことあるし」
「映画か。アタイは全然見ないんだけど、なんか最近流行ってたやつか?」
「ううん。もう何十年も前の映画だと思う。お父さんがDVDを持ってたんだよ」
空と茜はこのことから、エレカの話していたことを全て『映画に影響されて妄想を語っただけ』と判断した。
「むむむ……何やら睦言かな?私の前でひそひそ話とは、気になるじゃないか」
エレカに言われて、空たちは正面に向き直る。
「ああ、いえ。えっと……それで、エレカさんはプルトニウムを、300万円で買うんですか?」
「ああ、日本だとちょっと手に入らないだろうから、日韓トンネルを抜けて中国で購入するよ」
「いや、売ってるわけねぇだろ」
茜が突っ込むと、エレカは本気で驚いたような顔をした。
「え?」
「え?じゃねーよ!そりゃあるわけないだろ。北朝鮮だって売ってないぞ」
「嘘だろう?先進国でプルトニウム電池を使えないのなんか、日本だけだろう」
「んなわけあるか。そうそう簡単に核が手に入ったらとっくに世界は破滅だっての」
「まあまあ、茜。落ち着いて」
空が止めに入った。そして、可能な限りエレカの妄想に沿う形での助言をする。
「エレカさん。えっと、多分エレカさんの時代ならそうなんでしょうけど、今は文明がそこまで追い付いていないんです。だから、多分お金で買えるものじゃないんだと思います」
「え?そうなのかい?それじゃあ優勝賞金を目指して頑張った私の苦労は?」
「無駄だよ。全部無駄だよ」
茜が言うと、エレカは魂が抜けたように固まる。
(あ、この人、自分の興味ある事以外は徹底的にダメなタイプだ)
と、空は悟った。
ファミレスの駐輪所まで戻ってきたエレカは、おなかをさすった。随分食べたせいだろう。ぴっちりしたスーツと相まって、おなかが膨れているのが外見で分かる。
「ふぅ……いや、こんなに食べたのはいつ振りかな。この時代に来てから初めてかもしれないね」
「いや、さすがに自転車乗るなら食っとけよ」
「まあ、無一文じゃ仕方ないですよね」
本当に、自分の興味があること以外はダメな人である。なんとエレカは、金もないのに平然と飲食してしまったのだ。
「いやー、空くんたちが話しやすかったから、私としたことがつい気が抜けてしまったよ。うっかりだ。ああ、未来には指紋と虹彩を使用して、自動でキャッシュを払うシステムがあるんだよ。この時代から30年後には普及するのさ」
と、言い訳をするエレカだが、実際に支払わされた空と茜には笑えない冗談に聞こえた。
「これ、一応『貸し』だからな。いつか必ず返せよ」
「ああ、覚えておこう。必ず返しに来るよ」
どこまで本当に覚えていてくれるだろうか。彼女の態度はどこまでも軽いものである。
「では、私はこれで失礼する。大会中にまた会うことがあれば、その時はリベンジさせてくれ」
どうやら優勝賞金300万円でプルトニウムを購入することは諦めていないらしい。研究者らしい頑固さが、変なところに出ている。
スーツの色に何かこだわりや事情でもあるのか、彼女は自転車に乗る前にスーツを銀色に戻した。夜の暗さや街灯の光を受けたそれは、細いわりに凹凸の激しいエレカの身体を強調する。
エレカがタイムマシンに近づくと、その車体はすっとバックして後輪を突き出した。まるで自分がここにいるという事をアピールするような動きだ。いや、実際そうなのだろう。駐輪所でたくさんの自転車に紛れたとしても、見つけやすい。
もっとも、このタイムマシンも異形である。オートバイのようにずっしりとしたデザインの、それでいて見慣れたペダルが付いたその形は、駐輪所でも目立つ。
「ライト」
《了解。ライト・オンします》
エレカの指示に、タイムマシンが従う。フロントフォークの前面と、リアキャリアの一部が光った。心なしかエレカのスーツも少し光り出している。連動しているようだ。
「それでは、また会おう」
言い残した彼女が、空たちの視界から消えるまでは30秒とかからなかった。ぼんやりと輝いたシルエットは、街の明かりに紛れていく。最後は道なりに曲がって姿を消した。
「……なんだか、改めて見ると凄いシステムだよね」
「ああ、あれを未来人ごっこのために作ったんだとしたら、才能だな」
中二病も、ここまで来れば立派なものである。
「さあ、アタイらももう一走りしよう。2、3時間走ったら宿とって休もうぜ」
「あ、うん」
茜が自転車に乗り、ビンディングをはめ込む。そして軽快に走り出して行った。
空はと言えば、ちょっと食べ過ぎたせいかお腹が重い。脚を大きく上げれば苦しいが、クロスバイクの高さ的に、仕方なくそれを我慢する。
(早く茜に追い付かないと……)
と、空がペダルに足をかけた、その時である。
「ああ、待ちたまえ空くん」
「――え?」
店の裏の方……つまり、いまエレカが走り去っていった方向とは真逆から、エレカの声が聞こえた。振り返ってみれば、そこにはタイムマシンに跨った彼女がいる。何故か氷漬けのように真っ白になった彼女は、非常に寒そうだ。
「な、何か忘れものですか?」
「いや、借りたお金を返しに来たんだよ。きっちり利子までつけてね。……と言っても、空くんの感覚だとさっきのことになるのかな」
エレカが胸の谷間に挟んでいた紙片を取り出す。福沢諭吉がプリントされた現行紙幣だった。ポケットが無いのは仕方ないが、そこ以外で入れておけるところはなかったものか。
「え?ぼ、僕、こんなに貸してませんよ」
「利子だと言っただろう?私からしたら、1年は借りっぱなしだった感覚なんだよ。それに、私が元の時代に帰ることができたのも、君たちのおかげだ。受け取ってくれ」
「え、えっと……」
よく解らないまま、その体温で温まった一万円札を受け取る空。スーツ越しに挟まれていたはずのそれは、まるで直接人肌に触れていたかのように湿って柔らかかった。
「それにしても、なんだか懐かしいな」
「え?」
「いや、私の感覚では1年以上が経過していると言っただろう?――じつはあの後、私はなんだかんだでプルトニウム電池を手に入れて、無事に22世紀に帰還するんだよ。そして実家で1年を過ごし、それから借金を思い出してタイムマシンを再び起動させた。そして今に至る」
「はぁ……そうなんですか」
冗談半分に聞いていた空だったが、あることに気づいた。それは――
(あれ?エレカさんの前髪、少し伸びてる?)
さっきまでは眉毛の当たりで乱雑に切られていた銀髪が、今は目を覆い、鼻先に届きそうなまでに伸びていた。
「ところで、茜くんはどこに行ったのかな?」
「あ、えっと、先に行っちゃいました」
「そっか。せっかくだから茜ちゃんにも会いたかったんだけどな……」
寂しそうな表情を見せたエレカは、しかしすぐにいつもの笑顔に戻る。
「まあ、この時代にいるはずの『去年の私』と鉢合わせるわけにもいかないからな。……ああ、別にタイムパラドックスを恐れての事じゃないよ。ただ、大会中の私に会ってしまったら、私は完走する意思を失うかもしれないからね」
「え?えーと……」
言っている意味がよく解らない空に、エレカは何故か得意げに、あるいは悪戯っぽく胸を反らした。
「茜くんに会えなかったのは残念だが、私は未来に帰るよ。今日私が私に会った記憶なんて、私にはないからね」
「え?えっと……プルトニウムで?」
その設定を覚えていた空は、からかうつもりもなく聞いた。するとどうだろう。エレカは何を思ったか、自転車を降りて店の裏に行く。
飲食店の裏なら、結構な高確率であるだろうポリバケツ。要するに生ごみを入れておくゴミ箱を持ってきた彼女は、
「ふふふっ。今のタイムマシンに、原子力は必要ない」
得意げに、その中身を自転車のサドルの下に詰め込む。
(うわぁ……)
汚い。
「それじゃあ、楽しかったよ。これからもたまに、この時代に遊びに来ていいかな?」
「え?あ、はい?」
タイムマシンに跨ったエレカに対して、空は首をかしげるしかなかった。それを少なくとも否定されたわけでないと受け取ったエレカは、タイムマシンのトグルスイッチを上げる。
「それじゃあ、また会おう」
タイムマシンが走り出した。エレカのスーツも、光をまとう。そして――
バシュウ――!!
一瞬で加速すると、そのまま姿を消した。今度は距離が遠くなったとか、曲がり角で消えたとかではない。
直線のはずの道。その途中で本当に忽然と、姿を消したのだ。
見えない壁のようなものを突き破ったタイムマシンは、光に包まれて消えた。そのタイヤが進んだはずの道路には、代わりに一直線に伸びた炎が燃え盛っている。まるでアスファルトにガソリンでも撒いてあったような燃え方だ。
「……え?」
空が近づくと、そこには光る壁など無かった。どこからどう見ても、種も仕掛けも残ってない。マジックショーであるなら何か残っていそうなものだが、思い当たる限りの何もないのだ。
「ほ、本当に、未来人……?」
――2103年。東京。
ぷしゅ――
大げさに煙を吐いたタイムマシンは、すっかり冷え切っていた。銀色に光っていたはずのフレームは、今では真っ白に濁っている。結露した水分が凍っているせいだ。
同じく結露しきったエレカは、ぶるると身震いをした。パキパキに凍ったスーツにひびを入れ、同じく凍った髪を無理やり手櫛で梳いたエレカは、
「ふぅ……これ絶対設計ミスだな」
と独り言ちた。
幸いなのは、今が真夏であることだろう。空に会いに行くときは、真冬に向かったわけだからこれ以上に寒かった。
体温と気温の都合で、どんどん周囲の氷が解けていく。
周囲を見れば、高層ビルの群れ。今いる場所が屋外か屋内かを分かりにくくしているのは、大きな大きなアーケードと高架のせいだ。星一つ見えない。どころか、夜空の黒さえ見ることができないこの町には、人とロボットが共存している。
「やあ、ドクトリーヌ」
「マキくん。その呼び方はやめたまえ」
「はいはい。お帰り、エレカ」
「うむ」
マキと呼ばれた青年は、オープンテラスの一席でエレカを待っていた。エレカと大差ない銀色のスーツに身を包んだ彼は、テーブルに表示されたメニューを操作する。
「とりあえずいつものブレンドでいい?」
「ああ、頼む」
ほどなくして、人型のロボットが紙コップに入ったコーヒーを持ってくる。そのロボットに手をかざしたエレカは、続いて目を見つめ合った。指紋と虹彩をロボットに認証させて、支払いを済ませているのだ。
エレカのかけている眼鏡に、『680円です。支払いますか?』と表示された。指をパチリと鳴らして同意し、紙コップを受け取る。
「それにしても、君も変な女だね」
「ん?それはどういう事だい?マキくん」
「いや、こんなに自由に時間移動が出来るんだ。だったらエレカが最初に時間移動した日に戻って、チャリチャン出場前のエレカにプルトニウム電池を渡すことだってできただろう」
得意げに言うマキ。
確かに、エレカが今回とった方法は、あまりスマートとは言いにくかった。
――2018年2月。
――チャリチャンが終わった後、閉会式を終えたエレカの目の前に現れたのは、エレカ自身だった。本人の感覚で言うなら、1年後の未来のエレカという事になる。
「な、なぜ私が目の前に?」
「おいおい。未来から来たからに決まっているだろう。さあ、1年前の私よ。これを受け取るがいい」
「こ、これはプルトニウム電池……?」
「ああ、手に入れるのは大変だったよ。でも、それで
こうしてエレカは、エレカ自身の手によってプルトニウム電池を手に入れることができたのである。
そして自分が時間移動する数日前にタイムスリップしたエレカは、一年かけてプルトニウム電池を手に入れ、再び2018年に時間遡行することになる。以前より強化されたタイムマシンを使って。
自分自身にプルトニウム電池を届けるために――
「あれさ。もっと言うなら、マフィアが襲撃した日時を過去のエレカ自身に伝えれば、そもそも土壇場での時間移動もしなくて済んだと思うんだよ」
と、マキは語る。
ちなみになぜマキが生きているのかと言うと、あのマフィア襲撃の数日前に戻ったエレカが防弾ジャケットをくれたからだ。
突然マキの家に来たエレカは、レーザーマシンガンを拡散する特殊素材で作られたジャケットをマキに渡して言った。
「数日後、私が君を呼び出すことになる。深夜のショッピングモールだ。そこに行くとき、必ずこれを着用してくれ。頼んだよ」
と――
その時に何があるのかさえ全て教えてくれたら、マキだって(マフィアと殺し合うことは出来なくても)何かしらの対策を考えることができたのだ。
しかし、
「ダメだよ」
エレカ本人は首を横に振る。
「なんで?」
「……単純に、私はチャリチャンが楽しかったんだよ。最初こそ賞金狙いだったけど、終わってみれば大事な思い出だからね」
もう一年以上前の話なのに、いまだに明確に覚えている。それこそ、昨日のことのように……
こうして目を閉じることは、人間にとって最も簡単なタイムスリップだ。いちいち大げさな自転車や危険な核物質を使わずとも、いつだって思い出の中に入り込める。
「私はね。自分の過去とか運命を変えたくてタイムマシンを作ったわけじゃない。ただこの時代には見られない場所を旅行したくて、これを作ったんだ。だからこれから先、私の人生に何があろうとも、極力それを無かったことにはしないつもりさ」
「俺が死ぬ運命は変えたのに?」
「それは特例だ。私だって神じゃない。私情は入るよ」
「過去の自分に電池を渡したのは?」
「それは私にとって確定事項だ。なにしろ大会が終わったとき、私は『私に会った』という過去を持つのだからね。むしろここで『やっぱり私に会うのをやめる』ことの方が運命の改変だよ」
エレカはほほ笑んだ。その笑顔はマキにとって、どんな女神より神々しい。それを目の前にして、何か文句が出るものだろうか。いや、何もない。
「ずいぶん都合がいいなぁ。……まあ、エレカがいいなら俺もいいんだけどね」
そう言いながら、マキは会話の内容とは違う部分――つまりエレカが気にしてもいなかった部分を思考する。
(そもそも、電池が無いから帰れないはずのエレカに、電池が貰えて帰れたエレカが電池を渡しに行くのは変じゃないか?)
目の前にいるエレカは、時間移動の当事者として見ているから気づかないのだろう。客観的に見た時、これは気になる。のだが……
(これが実際に出来ているからこそ、こうしてエレカがここにいるんだよな。うーん。気になるけど、下手につついて歴史を壊すような真似はしたくないし……)
「どうしたマキくん。難しい顔をして」
「んー、いや、何でもないよ」
エレカに呼ばれたマキは、その思考を中断する。
元々、エレカはこの辺に興味が無いのだ。そしてそれは幸いである。ここに興味を持たせてしまったら、エレカは危険を察して時間移動をしなくなる――などという事はなく、むしろ実証実験のために更なる矛盾を呼ぶだろう。本当に世界が崩れかねない。
(出来ることなら、どうやって動いているかさえ謎のタイムマシンが、最後まで謎のまま終わってほしいもんだぜ。この一機を最初で最後にして、な)
という、マキの切ない願いは――
「ああ、そうだ。今度はきみと二人で過去を見て来ようか。タイムマシンで未来に行って、その時代のタイムマシンを借りてくるんだ。そうすればわざわざもう1台作らなくても、一時的に車体を増やすことができるぞ」
あっさりと、悪意のないエレカの好奇心によって潰されるのであった。
(勘弁してくれ――つーか、一時的って言い方は合ってんのか?)
どんどんタイムマシンが異次元に存在する何かになっていく。そのうち次元の彼方に消えそうだ。
やんわりと何か別の話題を探して、興味をそらしたい。そう思っていると、店内のBGMがちょうど変わる。
「お、これ『金魚草』の新曲じゃん」
「ああ、去年にデビューしたとかいうバンドか。高校生の5人組だっけ?」
「もう高校生じゃないけどさ。この新曲も好きだわー。このレスポールギターの輪ゴム弾いたような音とか、ベースの一拍目だけベンって音出すミュート感とか」
「マキくんは、本当にロックが好きなんだね」
目を閉じて、その斬新なサウンドを聞いたエレカは思う。
(正直、21世紀のロックの方が好きだな)
自動車が自動運転で走り、電車がついに空中のチューブを走る時代になろうとも、自転車は廃れない。
同じく、思い描いただけで音を奏でられる時代になろうとも、やはり人の手によって楽器を演奏する文化は途絶えなかった。
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