特別編 第41話 科学者と未来の自転車
『さあ、大会もすでに14日目。つまり第二週の最後ですよぉ。残すところ一週間。選手の皆さん、頑張っていきましょう。
今日は風もなく、穏やかな一日ですねぇ。日差しも温かいですぅ。こんな日はロングコート一枚でお出かけするのもいいかもしれません。もちろん中は……きゃーっ。私からは言えないですぅ。ご主人様がお口に出してください』
「絶好調だね」
「絶好調だな」
空と茜が頷きあう。ちなみにミス・リードが絶好調なのはいつもの事である。二人が言っているのは天気の話だ。
そこに体調の話を込みにしても良い。智咲との一戦を終えたばかりだと言うのに、体は軽かった。
二人の自転車は、タイヤの細さと車体の軽さを武器に進んでいく。風を切り裂いて、スムーズに前へと。
そこに、後ろから一台の自転車が追い付いてきた。
それは……
「ん?ファットバイクか?」
茜がミラーで確認して言う。しかし、空は首を横に振った。
「いや、ちょっと細いよ。多分、セミファットって車体だと思う」
「詳しいな」
「うん。鹿番長と会った日の夜に、ちょっと興味が出て調べてたんだ。スマホで」
ファットバイクの登場以降、MTBのタイヤに関する規格は多種多様になった。特に太さに至っては、旧来の2in前後か、ファットバイクの4in以上かで分かれたのである。
これに対して「中間が欲しい」と願った多くのユーザーの声を聞き入れ、3.0inや2.8inなどのタイヤも完成。これらをセミファットと呼ぶ。
後ろから轟音を鳴らして接近してくる車体は、3.0inタイヤだった。それもトレッド中央に一直線のスリック部分を持つタイヤだ。両サイドはえぐいほどのブロックパターンで、オンロードもオフロードも走りやすい仕様である。
それが、空たちに軽々と追い付き、そして抜いていく。
「は、速い」
「馬鹿な。アタイらだって30km/h前後は出てるぞ?」
その相対速度は、茜の目算でも20km/hほどだ。つまり、セミファットで50km/hも出ていることになる。
「まさか、モペット?」
「フル電動自転車ってわけか。……あれ?でもこの大会では35km/hを越える電動アシストは禁止じゃなかったか?」
そう。だからこそ、トライク二等兵は自身の車体を制限付きで使用していた。日本では24km/h制限があるし、海外でも30km/hを超えて電動アシストできる車体はほとんどオートバイ扱いになっているはずである。あくまでおおよその話だが。
「とりあえず、追うぞ」
「ちょっ、茜。追い付ける相手じゃないって」
言いながらも、空も茜を追う。
『さあ、噂の中学生コンビが追い抜かれましたよぉ。この流れは、追い抜いた選手と勝負になる展開ですかねぇ。楽しみですぅ。
抜いていった選手は、エントリーナンバー1002……え?あれれれー?
えっと、登録選手で1000人以上っていましたっけ?……でも登録されてますねぇ。私の記憶違いでしょうかぁ?そう言えば実況した覚えのないような……
ああ、えっと、失礼しましたぁ。改めましてエントリーナンバー1002 エレカ選手ですぅ。拍手でお迎えください(?)
えっと、車体が……ん?これも聞いたことが無いですねぇ……?』
歯切れの悪いミス・リードの実況を聞いて、エレカと呼ばれた女性はにやりと笑った。
「ああ、あの二人が『噂の中学生コンビ』なのか。興味深い対象ではあるかな」
長い銀髪をすっと手で撫でて、細い眼鏡をくいっと押し上げ、彼女は一言つぶやく。
「減速してくれ。タイムマシン」
その独り言のような言葉に、彼女の乗る自転車が答えた。明確に、日本語で。
《確認。減速シークエンス移行》
エレカの乗っていた自転車が、大きく変形する。それまではローライダーのように、ペダルを前に投げ出すスタイルだった。
その寝そべるような姿勢から、直立する姿勢に変化する。乗り方の問題ではない。フレーム自体が形を変えているのだ。
フロントフォークはサスペンションを縮めるように短くなり、チェーンステーはスライドして短縮。それにより、シートチューブが起き上がる。
《トランスフォーメーション・ビューイングフォーム》
まるでニュースキャスターのような聞き取りやすい合成音声で、自転車が喋った。それに対して、エレカは特に何も答えない。
代わりに、追い付いてきた空と茜に対して語り掛ける。
「やあ、空くんと、茜くんだね。噂は聞いているよ。私はエレカだ。よろしく」
エレカが自己紹介した。それに対して、空たちも走りながら答える。
「空です。よろしく」
「茜だ」
その視線は、あちこちをさまよっていた。それもそのはずである。エレカの姿にしても自転車にしても、いろいろと視線を奪うような部分が多すぎたのだ。
車体に至っては、まるでオートバイのような太いフレーム。各部は変形するための隙間が用意されており、それらが今はぴたりと閉じている。こうしてみればダイヤモンドフレームのようには見えない。
乗っている本人は、これまた人目を引く恰好。
(宇宙人?)
と茜が首を傾げ、
(は、裸の人かと思った)
と、空がどぎまぎするほど、エレカは奇妙な服を着ていた。
銀色に輝き、鏡のように周囲の風景を映す服。それはまるで全身タイツのように、首から下を切れ目なく覆っている。手にはグローブ、足にはブーツが、それぞれ同様のデザインで作られている。
昭和のSFで見られた未来人のような恰好――といえば伝わりやすいだろうか。自転車用のウェアは空力抵抗を避けるため、ピタッとしたシルエットを持つことは多い。しかしここまで密着するのは見たことが無い。
「ふっふっふー。珍しいかね?この自転車が」
自分の格好より自転車に注目してほしいのか、エレカが訊く。その問いかけに、空がうなづいた。茜に至っては、
「珍しいなんてもんじゃないだろ。これ、どうやって走ってんだ?」
と言うほどの驚きである。
大概の自転車は、足回りなどの部品に規格が存在する。どんなに奇抜なフレームやタイヤを使おうとも、ある程度の部品は他の車体と共用であるはずだ。
しかし、エレカの乗っていた車体は何一つとして現代までの自転車の部品を使っていなかった。チェーンも、ブレーキも見当たらない。
「シャフトドライブ、と言ってね。旧来のチェーン駆動より、大きな変速を可能にしているんだ。ほら」
エレカがペダルを漕ぐと、その回転は一本のシャフトに伝えられる。フェースギアと呼ばれる形の歯車を介して、ペダル側から後輪へと動力を伝えているのだ。
そのため、チェーンのようにコマひとつひとつに発生する摩擦が存在しない。チェーンを曲げるだけという程度の抵抗までそぎ落とすことで、通常より軽く走れる。
「そして、変速ギア」
エレカが、ハンドルについているトリガーを引いた。それに応じて、シャフトが伸縮する。
後輪の横に取り付けられたフェースギアは、合計で15枚重なるデザインだった。つまり、15段変速。これがリアだけで、である。
「すごい。初めて見ました。こんな方法で変速ができるんだ」
空が感心するのを見て、エレカは満足そうにうなづく。
「そうだろう。そうだろう。私の自転車は凄いのさ」
『えーと、エレカさん……これ、私の記憶にない車体なのですが……というか、チャリチャン運営の誰一人として知らない車体なのですが、エントリーシートに記載ミスはないですよね?
書いてある通りなら、エレカさんの乗る車体は、DE ROSA & BMC
「コラボしたのだよ。西暦2089年にね。いや、あの時は自転車業界がこぞって取り上げたね」
けらけらと笑う彼女は、急に視線を二人に向けると――
「なあ、空くん。茜くん。ちょっと遊びに付き合ってくれないかな?いや、私と勝負してくれるだけでいいんだよ。いつも通りの事だろう?」
とても蠱惑的な笑みを浮かべて、そう誘うのであった。
「ゴールは、この先のホームセンターでいいかな?
何の話かと思いきや、彼女の眼鏡に画面が表示される。どうやら、マップ機能を表示しているようだ。
「ウェアラブル端末って奴か」
茜がそれに気づくと、エレカは「んー」と顎に手を当てた。
「まあ、そうだね。君たちに分かるような言葉で言えばそれだ。左右それぞれのレンズに画面を投影できるほか、骨伝導スピーカーとマイクも仕込まれているよ」
「それをスマホに接続する方式だろ?Bluetoothか?」
「いや、これは独立した機械だからね。っていうか、この時代は手で操作する端末が主流だったんだっけ?」
そういったシステムについては、茜たちに説明することは不可能だろう。と、エレカはそうそうに諦める。問題は、どうやってゴール地点の位置を説明するか……などと考えていると、ミス・リードから通信がある。
『そうですねぇ。それでは、いつも通りナビマップに表示しておきますよぉ。それと、ゴールに中継班も向かわせていますので、ゴールを間違えることはないと思いますぅ』
ミスり速報の画面に、空たちの現在地。そして30kmほど離れたところにあるホームセンターの位置が表示される。
「おお、私の眼鏡にもリンクしたぞ。これならいけるな。さあ、さっそくやろう」
『それでは、スタートの合図も私が務めさせていただきますよぉ。
茜さん、空さん、エレカさん。準備は良いですね。
レディ・ゴー!』
スタートラインから横並びで、それぞれの車体が飛び出て行く。真っ先に加速したのは、茜のクロスファイアだった。
(相手はセミファットタイヤとかいう太いタイヤ。それも直径20inの小ささだ。アタイの加速に追い付いて来れるわけがない)
グイグイと、車体を揺さぶって走る。ハンドルは一番下を握り込み、大きく振り子。茜が得意な加速技だ。
そこに、エレカが追従していた。
「甘いね。茜くん。その力任せな走り方で、この車体に勝てるかな?」
彼女は、大して力を入れていないように見える姿勢で、ペダルを回している。
太いタイヤから出る音は、間違いなく大きい。つまり、相当な摩擦がかかっているはずだ。なのになぜギアを下げずにペダリングができるのか。
それは……
「電磁誘導だよ。リムに磁石を仕込んでいてね。フレームから発せられる電磁力が、それを自動回転させる仕組みになっている。つまり今、車軸は本体から浮いているんだ。そこに摩擦がかからないのさ」
「嘘だろ?そんなことがっ」
にわかには信じがたいが、茜はエレカの乗るタイムマシンの車輪を見て信じる。
何しろ、ごっそりと毛が生えたように、黒い塊がついているのだ。
「……砂鉄?」
「……ああ、まあ私も開発しながら気になってたよ。この仕様なら絶対に砂鉄対策はしないといけないだろうなとね。そもそも釘なんか落ちてたら全部拾ってしまうよ」
「それ絶対パンクするだろ」
「そうだね。ちょっと失敗作だ」
茜からのツッコミも想定内だったのか、エレカはあまり気にせずに走り続けていく。
「さ、加速するよ。タイムマシン。速度に合わせて自動変形だ」
エレカが言う。すると、自転車がまた合成音で答えた。
《トランスフォーメーション・オートモード》
速度が上がるにつれて、エレカの姿勢がコンパクトになってきた。ハンドルがどんどん絞られていく。オートバイで言うところのセパレートハンドルのような姿への変貌。そして高さも下がる。
サドルが後ろに下がり、ペダルは前へ。大きく体を曲げたその姿勢は、空力抵抗を最小限にする姿だ。
「変形――」
後ろで見ていた空が、そのシステムに目を輝かせる。やはり少年だ。変形するメカには魅力を感じる。
「ちょっと待て。確か大会規定では、時速35km/hを超える場合の電動アシストを禁止していなかったか?」
茜が気づく。確か、トライク二等兵のファットトライクと戦った時、そんな話があったはずだ。
「ああ、大丈夫だよ。それは電動アシストモーターの場合だからね。私は電気を推進力に使っているんじゃなくて、ただ摩擦の軽減や車体の安定に使っているだけさ」
当然だが、自転車は主に人力で動いている。そのため、些細な違いが勝敗を決することは多々あるのだ。
例えば、各部の摩擦。これが少なくなるだけでも、速さや持久力は大きく変わる。
『これはっ……
エレカさんの車体が急加速!?で、でもここから先は、砂利道のセクションですぅ。こんな速度で……』
「走れるよ。ミス・リードくん」
エレカが左側のレバーを引く。これは別に電子的な制御システムなどに繋がっていない。ただの油圧式レバーだ。
そこから伸びたチューブの先にあるのは、ハブの側面に当たっていたローラーだった。それが解放されて――
「タイヤの空気を抜けば、オフロードでも自在に走れる。そんなのはファットタイヤの常識だろう」
エレカが言うように、タイヤから空気が抜ける。
ハブに内蔵したエアチャンバーは、タイヤのバルブに接続されている。普段の高気圧状態を維持する場合は、このエアチャンバーを閉じて走行。そしてオフロードではエアチャンバーを開き、そこに空気を預ける。
もちろん、大気中に放出したわけではない。一時的にチャンバーに預けただけだ。なのでレバーを再び起こせば、空気圧を戻すことができる。
「これなら、オフロードもオンロードも自由に走れるだろう?幸いにして、2050年に実用化された技術だ。君たちが生きているうちに目にすることもできるよ」
「マジで未来人みたいなことを言うじゃないか」
「っていうか、本当に僕たちの時代にあるどんな技術とも違うんだけど……」
砂利道の恐ろしいところは、石ころにタイヤが乗ったとき、その石が転がることだ。これがあるだけで車体が滑る。
柔らかくなった低気圧タイヤで走るエレカは、石を包み込むようにして、車体を固定している。一方の茜は、転がる石に足を取られながらも前進。空はなるべく轍を選び、意思を踏まないように注意する。
「ちっ、この程度の距離でも神経使う」
「体力もね。茜。大丈夫?」
「空こそ大丈夫かよ?アタイはシクロクロスだから、まだ良いけどな」
たった数十メートルの砂利道。その間に随分と差をつけられてしまった。まだ相手の車体は見えているが、しかし追い付けない。
「どうしよう?茜」
「まあ、落ち着けよ。あの速度、アタイは維持できないと見た」
「え?」
「摩擦抵抗が少ないって理屈なら、アタイらのチェーンドライブとボールベアリングでも、十分に抵抗少なくできているはずなんだ。つまり、何かまだ隠している」
「な、なにを?」
「さあな?」
ハンドルから手を離さないまま、茜は腕を伸ばすことで肩をすくめた。そして前を見たまま言う。
「なんなのかは分からないさ。でも、本人の息が上がってきているみたいだぜ。ケイデンスが下がってる。ギアを上げて速度だけは維持しているけどな」
茜が睨んだ通り、エレカの速さの秘訣はもう一つあった。
《警告。エレクトリック・ブースト、120分が経過。休憩を推奨します》
「要らないな。むしろ出力アップだ」
タイムマシンに搭載されたAIが、エレカに危険を伝える。しかし、エレカは警告を無視して、さらに電力を上げた。
EMSというシステムがある。筋肉に直接電気を流すことで、脳を介さずに収縮運動をさせるというものだ。もともとは肩こりの解消や、入院時のリハビリなどに使われていたシステム。現代(2018年)ではダイエット器具としても使われている。
エレカが着用している極薄のスーツには、各所に小さな電極が埋め込まれていた。これによって体のどこにでも、自在に電流を流せる。
「ぐっ……」
そのシステムは、限界を超えた瞬発力と、本人の疲労を無視した持久力を生み出せる。もっとも、強制的に運動させているだけなのだから、筋肉痛にもなるし腹も減る。諸刃の剣であった。
(私も、22世紀の女性にしては体力がある方なのだけどね……)
自転車の後ろに搭載したカメラ。その映像を眼鏡に映し出す。前方の視界に透けるようにして投影された映像には、今まさに自分を追ってきている空と茜の姿が見えた。
(まったく、この時代の人間は強いな。まるでプロのアスリートだ)
風よけに空が、その後ろに茜が並び、エレカを追走する。その距離は近づいてないが、離れてもいない。
「あ、エレカさんの車体がブレた」
「よし。まさかあの太さのタイヤでスリップは無いだろ。疲れてきているんだ」
空が見抜いた微細な動きを、茜が分析する。
「アタイの読み通りなら、さっきケイデンスを落とし始めたあたりから、心肺機能にガタが来ているはずだ。そのうち力を入れてダンシングするはずだ。勝負を仕掛けるならその瞬間だぞ」
「分かった。その時になったら、茜を発射するね」
それまで、空たちの体力が持つかどうか、それも問題だった。現在42km/hで走行。すでに巡行と言い難いほどの速度を出している。
しかも次のカーブの後、そこに待ち受けるのは軽い上り坂だ。
エレカはセパレートハンドルを両側に開き、ストレートバーへ変貌させた。そのまま立ち上がる。茜の言う通り、心肺機能が限界なのである。ここばかりは、電流でブーストをかけにくい。
(脚が上がらなくなってきた……これは、さすがに負担をかけ過ぎたかね)
エレカの感覚としては、痛みや疲れは感じない。いや、麻痺している。それでも速度が上がらないことから、エレカは自分の身体の疲労を察していた。
(自分の身体なのに、自分で『察する』とは、奇妙な感覚だ)
せめて、脚の力を助けられればいいと、全身に電流を流す。
腕の筋肉でハンドルを引きつけ、背中の筋肉で腰を上下させて、ペダルを漕ぐ。フォームとして美しいかどうかなど、もうこの際まったく気にしない。使えるところを使って、使えなくなったところを切り離すだけだ。
「ああっ!」
頭が痛い。側頭部がひりひりする。耳や目にまで、その症状は現れる。あまりにも長時間、あまりにも危険な量の電流に頼り過ぎたせいか。
手が震える。足首も、だ。自律神経にまで副作用が及んでいるらしい。
何より怖いのは、ここまで来ていてまだ感覚的には少しキツい程度であることだ。
(根性を見せろと言われれば、このまま靭帯が切れるまで頑張れてしまうな。本当に切れたら困るので、加減が難しいところだが……)
冬だと言うのに、汗が顔ににじむ。風に当たっている額が冷やされて、そこは気持ちいい。スーツの中は悲惨だ。
空は、このタイミングを待っていた。
「発射するよ」
「おう」
急ハンドルを切って横に避けた空。その後ろから、茜が飛び出す。
体力を温存できたとは言いがたいが、悪くはないコンディションだ。そのままエレカに肉薄していく。
「追い付いてきたか。茜くん」
「まあ、な。アタイのパワーを甘く見ちゃいけないぜ」
「顔色が悪いぞ。酸欠かな?」
「お互いにな。喋ってていいのか?」
その問いかけに、エレカは無言で答える。茜もその答えに満足できたので、それ以上の話をしない。
コーナーを曲がって、最後の直線だ。傾斜もない。遠くにはホームセンターの看板と、中継スタッフの持つチェッカーフラッグが見える。分かりやすかった。
「はあああぁぁぁぁ!」
茜が最後の力を絞る。こちらは小細工無しに、いつも通りのスタイル。
「くぁあっ!」
エレカも、これが最後と電力を引き上げる。つもりだったが……
「……いや、私はもう」
最後の電流が流れた時、ペダルが止まったのを確認した。どうやら脚が痙攣したようだ。時間にして一瞬。ここからペダルを漕ぎ直せば、まだ勝機はある。
ないのは、勇気だ。
これ以上の使用は、本当に選手生命に関わりかねない。
そう思った時、そこまでして二人に勝ちたいかと自問自答すれば、
「私の負けだな。タイムマシン、電流をカットしてくれ」
《了解。電気による筋力増強を中断。回復のため、今後24時間の休憩をお勧めします》
「大きなお世話だよ」
負けを認めてしまった方がいい。エレカは、そう判断したのであった。
(今回の敗因は、この二人と出会う前からエレクトリック・ブーストを使っていたことか。……いや、それが無かったら、彼らに追い付いて出会う事さえなかったか。つまり最初から私は、自力でも覚悟でも負けていたんだな)
負けを認めることは、もっと悔しさの残るものだと思っていた。しかし、今のエレカの気持ちはとてもすがすがしい。
これはきっと、相手の実力などを認められたから――その実力に見合う何かを認められたからなのだろう。
「根性論か……この平成の世でさえ『時代遅れ』と呼ばれた概念だと聞いたが、いやはやどうしてか消えないんだな。これが22世紀まで、さ」
すっと身体を起こして、車体を低速モードに変形させる。視界が開けて、前方が良く見える。
茜がゴールラインに滑り込むのも、空が自分を追い抜いていくのも、とても綺麗に見えた。
「いやー、やはり自転車は奥が深いね。テクノロジーでは私の圧勝だったのだが」
ズタボロのエレカが、自転車に跨ったままやってくる。どうやら電動による機動力も皆無なわけではないらしい。今のタイムマシンは、ペダルを一切漕いでいないのに動いていた。もっとも、非常に遅いが。
「いや、アタイらもそのテクノロジーとやらには驚かされたよ。どうやって変形機構を動かしてんだ?」
「んー?説明が難しいよ。一応私も開発に携わったメンバーの一人だから、だいたいの解説は出来るけどね」
まだ身体が痺れているようで、彼女の長い脚は軽く痙攣していた。一見すると大きく重心を崩しているように見えるその姿勢だが、それでも2輪で自立するのは、
「オートバランサーのおかげで、思いっきり寄り掛かっても倒れないんだよね。助かったよ」
どういう理屈か分からないが、タイムマシンの機能の一つらしい。
ぐぎゅるるるるぅ……
「ところで、おなかが空いたね。君たちは大丈夫かな?」
エレカが照れもなく聞く。先ほどまでの鋭い走りと裏腹に、今の彼女はどうも気が抜けたようにのんびりだ。
「あ、えっと……実は僕たちも、お昼ご飯抜いちゃってたんですよね」
「タイミング逃したからな」
茜たちが言うと、エレカはにやりと笑った。
「それじゃあ、ご飯を食べに行こう。コースアウトだ」
エレカが道案内をすると言って、先頭を走る。まあ、実際に道を案内しているのはタイムマシンだ。目的地は何の変哲もないファミレスである。
《前方30メートル。右、です》
「はいはーい。えっと、この時代の道路交通法だと、自転車は二段階右折だっけ?」
車体をコンパクトに変形させて、ほぼ直立の姿勢をとるエレカ。まるでセグウェイのようなシルエットだ。見晴らしはよさそうである。
その背中……背骨や腰骨まで浮きそうなほど薄い銀色のスーツに、矢印が表示される。
「え?その背中……」
「ああ、これかい?ふっふっふー。実はこのスーツ、全体がディスプレイになっていてね。事前にプリセット登録しておけば、いつでもその模様を出すことができるんだよ。レース中にも使ってたんだけど、気づかなかったかい?」
「そりゃまあ、あんたはずっと前傾姿勢だったからな」
「ああ、そうだったね。お尻にでも表示したら良かったかな?」
「やめろ。つーかその恰好……尻くらい隠せよ」
茜が嘆息する。それを聞いて、エレカも首を傾げた。
「おかしいな。空君はともかく、茜ちゃんは私と大差ない格好に見えるんだが?」
「んなわけあるか」
「あ、でもお尻のラインとかは、その……」
「空まで言うか!……いや、マジで?」
実際には、茜の股間にはパッドが入っているだけマシである。エレカの使用するスーツには、そのパッドも縫い目も見当たらない。
「んー、やっぱり色とか模様が原因なのかな?」
「まあ、銀色オンリーはねぇよ。つーかその格好で飲食店に入るわけじゃないよな?」
「ん?そのつもりだったけど、後で茜くんの服をトレースさせてもらおうかな」
そんなこともできるらしい。
「あ、信号が変わったね」
二段階右折を義務付けられてから、自転車が右折する際には必ず一回は信号に引っかかることになっている。場合によっては2回引っかかる。
「この時代は不便だねー」
そう言いながら、エレカはハンドルを右に切り、さらに左手のレバーを引いた。そのレバーの押し込み具合に応じて、後輪が角度を変える。
前輪もハンドルに連動して動く。こちらは当たり前ではある。その上で後輪まで角度を変えたのだ。
その場で回ったんじゃないかと思うほど鋭いコーナリング。あっという間に進行方向を90度変える。
「すげぇな。そんな機能もあったのか」
「ああ。レース中はここまで細かく操作する余裕が無かったけどね」
レバーの角度だけで後輪を操作するこの機構は、思うより操縦が難しいらしい。それでも、
「例えば幅寄せや車線変更の場合、後輪も前輪と同じ向きにすれば、前を向いたまま横に移動できるわけだ。前輪と後輪を逆方向にひねれば、今のように急激に曲がることもできる。ドリフトから2輪でカウンターをかけて立て直すこともできるよ」
「ふーん。バイシンプルみたいな機能かと思ったけど、操作とかシステム自体は全然違うんだな」
「……バイシンプル?」
今度はエレカが首をひねる番だった。
「ああ、一輪車を2台繋いだようなデザインの車体があるんだよ。それをバイシンプルって言うんだ。こいつも前後両方にステアリング操作がかけられる。つっても、後輪は足で操作しているだけなんだけどな」
「ああ、そうなんだ。ちょっと想像がつかないな」
そう言いながら、エレカの眼鏡には検索画面が開いていた。エレカが小さく「バイシンプル・画像」と呟くと、検索結果が表れる。確かに一輪車を繋いだようなデザイン。あるいは一輪車に前輪とハンドルを無理やりくっつけたような姿だ。
駐輪所につけば、彼女は自転車を降りてすぐに伸びをした。不思議なことに、エレカの自転車はそのまま誰も乗っていない状態で自走し、駐輪所に勝手に入っていく。
しかもあろうことか、そのままスタンド無しで自立した。まるで魔法だ。
空がそっと押してみると、車体は少し傾いてから垂直に戻る。
「うわぁ。エレカさん。これってどういう原理で倒れないんですか?」
「んー?どういう……って、もちろんジャイロ効果だよ。自転車が倒れない理由なんて18世紀からずっとジャイロだろう」
「え?いや、それって走ってるときは車輪が回ってるから倒れませんけど、止まったら倒れるのでは?」
「――ああ、そう言えば平成の終わりごろにこの機構は研究中だったか。えーと、リムの中に重りをつけた円盤が入っていて、それをモーターで回し続けているんだ。だから倒れない。昭和ごろに流行った『ジャイロ独楽』みたいなものだね」
エレカは指を立ててウインクを飛ばす。
「令和の終わりごろには実現する技術だよ。君たちも将来は乗るかもしれないね」
「れ、令和?」
「ああ、今年は確か、平成30年だったね。来年には天皇が生前退位をするのは聞いてる?」
「は、はい」
「そこから令和って元号に変わるんだけど、その末期に普及するのが、このジャイロホイールだよ。子供向け自転車や、子乗せ自転車を中心に展開する。君たちが40歳になるころの話さ」
「へ、へぇ……」
得意げに眼鏡を上げるエレカを見て、空と茜は声を失った。代わりに声なき声で呟く。
((設定に凝った役柄だなぁ))
たまにネット掲示板に、未来人を名乗って書き込みをする輩がいると聞いたことがある。それのオフライン版だろう。
いくら何でもタイムマシンなんて非科学的だが、ここまで設定にこだわり、またハイテクな面白自転車をDIYで作られては、否定する気にならない。
「さて、そんな事より、入店前に茜くんの服装をトレースしようかな。どれどれ……」
ぐるぐると茜の周りを回り始め、じろじろと細部を見ていくエレカ。
「な、なんだよ?」
「ああ、そのままそのまま。外見だけしかトレースできないけど……あ、ちょっと腕上げて」
「な、何をっ!?」
茜の左手首を掴み、強引に上げる。そのまま脇の下までなめるように見て、ついでに腕時計のベルトにも注目し、
「こっちは?」
「ひゃっ!?」
ジャージのファスナーを勝手に下ろし、その流れで鮮やかにレーパンのゴムに指を滑り込ませる。引っ張って中を覗き込んだエレカは、
「……ふむ。ほう」
「ほうじゃねーよ!なんでアタイがひん剥かれなきゃならねーんだ。空、こっち見んな。つーか助けろ」
「え?あ……ええっと、見ないまま助けるのは無理だからっ」
「じゃあ見てもいいから助けて」
「み、見るのも、無理っ!」
遠くでは、空が後ろを向いたままかがんでいる。見ないようにしてくれているのは紳士的なのだが、できれば今すぐ助けてほしい茜。
あやうくレーパンを下げられるんじゃないかと思われたとき、ようやくエレカは茜から離れた。
「よし。それではトレースだ」
それは、魔法のようだった。
エレカの姿が、すっと銀色から変化する。
今まで長袖だったはずのスーツが、茜のジャージ同様に半袖に、
下も同様に、膝が出るほどの長さまで短くなる。いや、スーツがそこまで透明になる。
上下の継ぎ目が再現され、縫い目の一つ一つまで模様になる。胸にあるロゴまで精密にコピー。
体に密着するシルエットこそそのままだが、それ以外の点では茜の姿と変わりない模様に変化した。ポケットまでダミーでついていて、影まで塗装で再現されているのが細かい。
「すげぇな。それならレストランでも変な目で見られないぜ」
「茜くん。まるで先ほどまでの私の姿が、変な目で見られていたとでも言いたげだね」
「いや、わりと直接そう言ってんだよ」
茜のツッコミが入る。ちなみに、
(二人とも、どっちみち変な目で見られる恰好なんだけど……)
とは、常識人である空の一般的な見解。
もっとも、言わぬが吉である。
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